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勇者ラディウスの花嫁

−10−

「そこまでだ!」
 今まさにケインの剣によってガデスが斬られようとしたとき、陰々とした声がそれを制した。有無を言わせぬ響き。ケインとアンはもちろん、ガデスすら戦いを中断させ、その人物を捜した。
「ジャローム……」
 まず、ガデスが頭上を睨み、息を呑むように呟いた。ケインとアンも、同じようにそちらを見やる。暮色に覆われた頭上に、灰褐色のフード付きローブをまとった男が忽如として浮かんでいた。
 ケインは身を固くした。そのローブの男こそ、地下下水道の隠し部屋で邂逅した恐るべき魔術師。ガデスが口にした“ジャローム”というのが、どうやらこの男の名であるようだ。
「ガデス殿、困りますな。勝手に出歩いてもらっては」
 ジャロームの口調は責めるというものではなかったが、ガデスは畏怖されたように、一歩、無意識に退いていた。
「お、オレもずっと部屋の中にいては、息が詰まるのでな。勝手なこととは思ったのだが――いや、すぐに戻るつもりだったのだ」
 豪胆な性格であるはずのガデスが、このジャロームという男に対しては違った。言い訳がましい言葉が口をつく。しかし、その気持ちはケインにも分からぬものでもなかった。ジャロームという男、何やら得体の知れないものを秘めている。
 二人が会話している間、ケインもアンも動けなかった。ジャロームは建物の三階くらいの高さにおり、手出しできないのはもちろんだが、やはりガデス同様に、この魔術師に対して圧倒される何かを感じ取っていたからだ。それは魔法という絶大な力への恐怖感がもたらしたものだったろうか。
 フードの奥に隠されたジャロームの顔は、相変わらず見ることができなかった。声の感じからすれば、老齢な男と思えなくもない。だが、魔術師は普通の人間とどこか違うところが多々あり、声だけで確かなことは言えなかった。
 ジャロームは再び、その陰気な声を出した。
「では、戻ってもらおうか、ガデス殿。そなたには頼んだ仕事をしてもらわねば。こちらはすでに前金を払っているのだからな」
「わ、分かっている」
 ガデスは大人しく応じた。
 果たして、ジャロームがガデスに依頼した仕事とは。どうせ、いいことではあるまいが。
「ま、待ちなさい!」
 ジャロームからの無言の金縛りを破り、アンは精一杯の声を張り上げた。キッと頭上のジャロームを睨みつける。大した少女だった。
「この男はここに置いていってもらうわよ! 今日こそ逃がさないんだから!」
 アンはきっぱりと言い切った。それにはケインも驚く。ガデスへの敵愾心がどれだけ強いか、その表れでもあったろう。
 アンは邪魔に入ったジャロームに対し、一発喰らわせるつもりで、おもむろに二階から跳んだ。しかし、ジャロームの身体はスッと遠のき、空振りに終わる。そのままアンはケインの傍らに危なげなく着地した。
「ちょっと、正々堂々、地面に降りてきたらどう!?」
 アンは歯をむき出しにして、喚き立てた。もちろん、そんな挑発に乗るジャロームではない。仕方がないので、すぐにアンは目の前のガデスに目標を変えた。
「――さあ、ガデス! 今日という今日は観念するのよ!」
「イイ女に追いかけられるのは悪い気分じゃねえが、そいつはまた今度にしとくわ!」
 ガデスはアンのおかげで普段の調子を取り戻し、逃げる体勢に移りつつ、大剣<グレート・ソード>を振りかざす。
 そのとき、何の警告もなしにジャロームが呪文を唱えた。
「ヴィド・ブライム!」
「またかよ!」
 ケインはジャロームの掌中に真っ赤な火球が膨れ上がりかけるのを見て、舌打ちした。飛びかかるようにして、立っていたアンを押し倒す。
「な、なにすん――!」
「バカ! 伏せてろ!」
 ジャロームはファイヤー・ボールの呪文を完成させると、ケインたちへ向けて発射した。次の瞬間、耳をつんざく爆発が起こり、地面が大きく抉られる。ケインはアンの上に覆いかぶさりながら、雨のように降り注ぐ土砂に頭を抱えた。
 街中での強力な攻撃魔法の使用は、人々をパニックに陥らせた。何しろ、地面をも揺るがす大爆発だ。斬り合いなどの比ではない。その音と振動に、多くの人が悲鳴を上げて逃げまどった。
 爆発がおさまると、ケインは土砂の中からむくりと起き上がった。どうやらジャロームは、魔法を直撃させる気はなかったらしい。そうでなければ、ファイヤー・ボールに吹き飛ばされ、今頃はあの世行きだったろう。
 ケインが周囲を見回したとき、すでにジャロームとガデスの姿はなかった。
「大丈夫か?」
 ケインは下になっていたアンを助け起こした。アンの顔は煤け、不機嫌さありありだったが、何か言おうとするのをぐっと堪える。またしてもガデスを取り逃がしたことを悔しがっているのだろう。ケインはそんなアンを慰めるように、軽く頭の上に手を置いた。
「ケイン様!」
 宿屋の表で待っていたローラが、爆発を聞きつけて駆け寄ってきた。ケインとアンの無事な姿を確認して、ちょっぴりホロリとする。そのまま二人に抱きつくつもりだった。
 ところが――
「ラディウス様!」
 ローラよりも早くケインに抱きつく少女がいた。クリスだ。貴族の令嬢は、ほこりまみれ、すすだらけの姿にもかかわらず、ケインに思い切り身体を預けた。
「うわっ、ちょっと!」
 ケインは少女の大胆な行動に狼狽した。
「ご無事で何よりですわ、ラディウス様!」
「い、いや、オレはラディウスなんかじゃ……」
 クリスからの熱烈な抱擁に、ケインは弱り果てた。かといって、まだ十歳くらいの少女を邪険にするわけにもいかない。
 それを見ていたアンとローラは、開いた口が塞がらなかった。二人ともケインを勇者ラディウスではないかと勘ぐったことはあるが、クリスの情熱的なアタックぶりにはたじろぐ。本当に勇者ラディウスを心から捜し求めていたのだなと、改めて思った。
 そこへ、これもクリスが心配で居ても立ってもいられなかった執事のジェラードがやってきて、みんなの無事を確認し、安堵の表情を浮かべた。
「ああ、クリス様! よくぞ、ご無事で! 心配しましたぞ! ――おや、そなたは?」
 ジェラードはクリスが抱きついているケインの顔を見た。そして、思い出す。
「そなたは市場でクリス様を助けてくださった剣士殿ではありませんか! いや、その節は充分なお礼も出来ず――」
 ジェラードが慇懃に礼を述べようとするところをクリスが遮った。
「ジィ! 私は決めました! この者をミハイロフ家の婿とします!」
「いいっ!?」
 クリスの宣言に目を剥いたのはケインだ。唖然としたアンとローラも顎を落としそうになる。
「クリス様、よろしいのですか? 勇者ラディウス様でなくても?」
 ジェラードの言葉に、ケインは何度もうなずいた。今の言葉を取り消してくれ、とばかりに。それでもクリスはケインの首にすがりつき、
「構いません。この方は、一度ならず二度までも私を助けてくださいました。この方こそ、私にとっての勇者様。私はこの方と結婚いたします」
 クリスははっきりと宣言した。まだ十歳の子供にそんなことを決められ、ケインは死刑でも宣告されたような顔つきになる。
 ジェラードはハンカチで涙をぬぐった。
「左様ですか。そう、お決めになったのなら、わたくしも何も申しません。ロイヤルに帰って、お父上のミロノヴィッチ様にご報告しましょう。――ああ、それにしてもよかった!  これで坊ちゃまの夢が叶う!」
「坊ちゃま?」
 不意に漏らしたジェラードの言葉をアンは聞き咎めた。ジェラードは涙を拭いたまま、うなずく。
「クリス様はミロノヴィッチ様のご長男として生まれながら、どういうわけか昔から女の子のように振る舞われる性癖がございまして、わたくしどもも、どうしたらよいものか悩んでいたのでございます。この度も、幼少の頃より憧れていた勇者ラディウス様とぜひ結婚したいと申されて……。しかし、これで万事が丸く収まります。貴方様なら、きっと領主ミロノヴィッチ様もお気に召すでしょう」
 ジェラードは涙ながらに事情を話し、太鼓判を押した。
 その話を聞いて凍りついたのはケインだ。むべなるかな。
「じゃ、じゃあ、この子は……?」
 ケインの胸の中で幸せいっぱいにしているクリスは、どう見ても本物の女の子にしか思えなかった。誰か嘘だと言ってほしい。
 やおら、くくくくくっ、とアンが笑いをこらえた。貴族の令嬢かと思いきや、実は女装癖のあるお坊ちゃまだったとは。それに惚れられたケイン。これが笑わずにいられようか。
「あはははははっ! よかったわね、ケイン! これで悠々自適の生活が送れるわよ!」
 アンは意地悪く、ケインの結婚を祝った。ローラは黙って、ケインを気の毒そうに見ることしかできない。
 ケインはもがいた。
「い、イヤだ! オレは男となんて結婚したくなぁぁぁぁぁぁぁいっ!」
 そんなケインを逃がすまじと、クリスはひしっとしがみついた。
「大丈夫です、ケイン様。私、体は男でも、心は女同然ですから!」
「そういう問題じゃなぁぁぁぁぁぁぁぁい!」
 ケインの悲痛な絶叫は、くすぶった煙が立ち昇っていく秋の夕暮れに吸い込まれた。


<Fin>

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