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食えない役者

−3−

 奈緒子が立ち去ってからしばらくして、私は座長室に戻った。実は今までの根津と奈緒子のやり取りを、隣室のマジック・ミラーから覗いていたのである。
「いいんですか、根津さん。彼女を引き止めなくて」
 私はソファに座ったままの根津に言った。
 根津はタバコをくわえたまま、
「しょうがねえよ。彼女自身も言っていたろ? 『同じ役者なら演技か否かを見抜くべきだ』とさ。今、彼女に『アレは演技でした』と言ってみろ。今度は彼女が傷つく」
 そう。これは全て私と根津が仕掛けた奈緒子の入団テストだったのだ。もちろん、《やっちゃ場》で彼女が私に声をかけてくることは事前に知っており、私は“初めてのファンに感激した売れない役者”を演じたのである。つまり、先程も演技だったわけで、騙されたのは私でなく、奈緒子の方だったのだ。
「でも、彼女なかなかの演技力でしたし、ルックスもイケてたと思いますけど。将来、ウチの看板女優にだってなれる」
「しかしよぉ、工藤。それだけじゃ、オレは不満なんだよ。こう、なんつーか、役者としての野心みたいなものが欲しいのさ。彼女にお前を蹴落とすくらいの気の強さがあればなぁ。残念ながら彼女はお前に遠慮しちまった」
 私は思わず笑ってしまった。
「そんな野心だなんて、私にだってありませんよ。私がいつ主役をやらせてくれって言いました?」
「確かにな。でも、お前には他の役者を食ってやろうという気構えが常にある。オレや主役を演じるヤツは、いっつも気が抜けねえよ。だから新入団テストで、普通のヤツはお前が演技をしているとは気づかねえ。お前もそれを楽しんでいる節がある。オレはそんなお前が好きなんだよ」
 私は何も言わなかった。さすがは付き合いの長い仲である。私が長く芝居を続けていられるのは、その辺に理由があるのだろう。もちろん、意識しているわけじゃないが。
「まったく、お前も食えない役者だな」
 そう言って根津は、吸っていたタバコを灰皿にすりつぶした。


<了>


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