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暑中見舞い

−1−

『暑中お見舞い申し上げます。突然ですが、告白します。私、勝原くんのことが好きでした。』
 一葉の絵ハガキにしたためられた文章にもう一度、目を通してから、勝原久紀は夏の高い青空を見上げた。
 周囲は送られてきた絵ハガキの風景に似た牧草地で、東京にはない心地よい風が身を撫でていた。緑の大地を真っ二つにするように一本の道路が伸び、それ以外のものは皆無だ。孤立した感覚と開放感に、久紀はこれまでにない高揚を感じていた。
 絵ハガキの差出人の名前は佐々木恭子。今年の春に卒業した高校の同級生だ。三年間、同じクラスだったものの、あまり喋った記憶がないくらい、大人しくて目立たない少女だった。その恭子から突然の暑中見舞い。いや、遅れてきたラブレターと言ってもいいだろう。なぜに、今、こんなものが。
 久紀は大学受験に失敗し、この春より自宅から予備校に通っている。
 一方、恭子は短大に合格していたらしいが、父親の仕事の関係で岩手に引っ越したと聞いていた。小学生や中学生じゃあるまいし、一人、東京に残って短大に通うこともできただろうに、とは思うが、恭子の家庭の事情まで知らない久紀が無責任に言えることでもない。それ以来、佐々木恭子の名前は忘れていた。
 だから余計に分からなかった。どうして今になって告白をしたのか。恭子の真意を確かめてみたい。衝動的にそう思った。
 気がつくと東北新幹線に乗っていた。我ながら呆れるくらいの行動力である。手紙や電話で尋ねることもできたはずだ。
 まあ、ほとんどの学生が夏休みに入っている時期、連日の夏期講習には飽き飽きしていたところでもあったので、ちょっとした小旅行も兼ねてみた、というのが久紀の自分に対する言い訳である。
「それにしても……」
 道は果てしなく続くばかりで、一向に目的地が見えてこない。
 衝動的に新幹線に飛び乗った久紀は、どの駅で降りていいのかも分からず、とりあえず車掌に尋ねて、電車を乗り継ぎ、最も近いと思われる駅で下車した。そこで再び絵ハガキの住所を駅員に見せて、運良く通りかかったトラクターにヒッチハイクさせてもらったのだが、運転していた農家のおじさん曰く、まだ十キロほど先だと言われた。仕事があるおじさんと別れ、トボトボと歩き続けてきたものの、さすがに疲労が足取りを重くした。
 携帯電話の着メロが鳴ったのは、そのときであった。
「もしもし?」
 笑えそうなくらい情けない声が出た。それほど久紀はへばっていた。
「勝原?」
 受話器から聞こえたのは、しゃがれたような女の声だった。高校の同級生だった須藤真由美だ。久紀と同じく、受験に失敗して同じ予備校に通っているが、元来が遊び人なので、真面目に進学しようという気があるのかないのか疑問である。
「おう」
 弱々しい返事で、久紀は応答する。
「ゼミ、どうしちゃったの? サボり?」
「ああ。オレ、二、三日休むわ。他の奴等にもよろしく」
「マジで? 今日、昼飯おごってくれるって言ってたじゃない!」
 真由美は不満を口にした。
「わりぃ、また今度な」
 正直、疲れているところで勘弁して欲しい会話だったが、ドタキャンしたのは事実だし、車内では電話の電源を切っていたので、連絡も取らなかった久紀に非はある。
「どうしちゃったのよ、急に」
「ちょっと用事ができてさ」
 久紀は言葉を濁した。真由美は恭子のことをよく知っている。それで変な誤解を持たれたくなかった。
「何処にいるのよ?」
「何処だっていいだろ」
「聞きたい」
「なんでそこまで話さなきゃいけないんだよ」
「こっちは昼飯食い損なったんだから! ちゃんとした理由を述べない限り、許さない!」
「なんだよ、昼飯くらい」
「なんだとはなによ? 自分で誘ったんじゃない!」
「そりゃ、そうだけどさ……」
「何処よ?」
「だからさ……」
「何処?」
「………」
 口では真由美にかなわない。
「勝原?」
「……岩手だよ、岩手」
「岩手?」
 驚いたような真由美の声。無理もないだろう。そんなことは昨日まで一言も言ってなかったのだから。
「岩手って、まさか勝原、アンタ、まさか……」
 これ以上、真由美と会話を続けるとややこしいことになりそうだった。
 そのとき、ようやく人が立っているのが見えた。あそこで恭子の住所を尋ねようと思った。
「じゃあな、真由美。帰ってから、この埋め合わせをするから」
「ちょっ、勝原!?」
 久紀は携帯電話を切り、電源もオフにした。そして、何やら作業している人の所へと、足を早めた。
「すみませ〜ん、『塩谷農場』という所に行きたいんですけど……」
 久紀は、柵に白いペンキを塗っている麦わら帽子にオーバーウォール姿の人物に話しかけた。近づいてみると意外に小柄な人だった。
 麦わら帽子の人物は、ペンキを塗る手を休め、久紀の方を振り返った。
「勝原くん……?」
 そして久紀の名字を呼んだ。
「え?」
 久紀はその人物を見つめた。
 相手は麦わら帽子を取ると、久紀に微笑みを向けた。
「久しぶり、勝原くん」
 その人物こそ、絵ハガキの差出人、佐々木恭子だった。

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