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暑中見舞い

−2−

「驚いた〜、こんなところに勝原くんがいるんだもん」
 恭子は久紀と並んで歩きながら、弾けた笑顔を見せた。
「こっちだって。全然、佐々木だって分からなかった」
「そう?」
 久紀が持っていたイメージとは全く違った恭子がそこにいた。高校時代は色白で、大人しい感じだったが、今、隣にいるのは真っ黒に日焼けした牧場の少女そのものだ。肩まであったセミ・ロングの髪は短く切りそろえられ、余計に快活さを増している。何より明るく振る舞う姿は、半年前からは考えられなかった。
「勝原くんは変わってないね」
「ははは、進歩がないって言うか……」
「ううん、そんなことないよ。ちょっとは大人っぽくなったんじゃない?」
「そうかなあ」
「そうだよ。久しぶりに会った私が言うんだもん、間違いないよ」
「佐々木の方がよっぽど大人っぽくなったよ」
「え〜、逞しくなったの間違いじゃない?」
「それもある」
「ヤッだぁ〜、ヒド〜い!」
 久紀は肘で恭子に小突かれた。お互いに笑い合う。
「でも、どうしてここへ?」
 恭子は屈託のない笑顔を見せながら尋ねた。
「うん。それはさあ……」
 あんな絵ハガキをよこした恭子の反応が意外に軽いことに久紀は戸惑いを覚えていた。もっとドギマギするような展開になるのかと想像していたのだが、恭子は高校時代とはまったく違った接し方をしてくる。それならそれで切り出しやすいというものだが、なんだか逆に拍子抜けした部分もあった。
「佐々木、オレ……」
 こっちが緊張してどうすんだ、と自分を叱咤しながら、久紀はズボンの尻ポケットから絵ハガキを取りだした。
「お前に会ってどうしようとか、何かを言おうとか、そんなことは全然、考えていないんだけど、この絵ハガキをもらったら居ても立ってもいられなくなってさ」
 久紀が差し出した絵ハガキを恭子は受け取り、それをしばらく無言で眺めた。そして、唐突に返す。
「これ、私が書いたんじゃないよ」
「へ?」
 思わぬ恭子の反応に、久紀は口を半開きにしたまま、恭子の顔を見つめた。
「字が違うし、それに消印を見て」
「消印?」
 久紀は言われたとおりに消印を見た。『原宿』と読める。
「原宿?」
 思わず裏返った声が出た。岩手にいる恭子の絵ハガキが、なぜ原宿から?
「勝原くん、騙されたんだよ。きっとこんなことするのは、真由美あたりね」
 ゲタゲタ笑う真由美の顔が思い浮かぶ。
 久紀は脱力して、その場にしゃがみ込んでしまった。
「く、くっそ〜っ!」
 真由美にまんまと騙されて岩手くんだりまで。久紀は恥ずかしくて恥ずかしくて面を上げられなかった。
「まあまあ、せっかく来たんだから、今日はウチに泊まっていきなよ。東京じゃ味わえない、自家製の牛乳も飲ませてあげるから」
 恭子にそう慰められて、久紀は立ち上がった。
 恭子が住んでいる塩谷農場は、酪農を中心にした牧場だった。何でも恭子の父の親戚筋に当たるとかで、元々は恭子の祖父がやっていたそうだ。それを恭子の父が東京に飛び出していったために後継者が居なくなり、同じく酪農をしていた親戚が引き継いだのだと言う。ところが恭子の父も望郷の念は捨てられず、娘がある程度、成長したことも契機となり、脱サラして戻ってきたということらしい。ただ、まさか娘まで一緒に岩手に来ることになろうとは、さすがの父も思っていなかったらしく、塩谷農場は一気に大所帯になった。いずれ恭子の父が仕事を覚えたら、親戚は自分たちの牧場に戻るという話だ。他に二つの牧場を抱えているそうなので、本来の後継者に返すのはやぶさかではないのだろう。
 久紀は母屋で恭子の父や母、そして実質的に経営している親戚たちに紹介され、緊張した。娘を訪ねてのこのこやって来た元クラスメートに対し、家族たちはどんな反応を示すのか、久紀はヒヤヒヤものだったが、拍子抜けするくらいのフレンドリーな対応に驚いた。田舎独特のおおらかさなのだろうか。
 その後は恭子の案内で、久紀は牧場を見て回った。乳牛の大きさに驚いたりしたが、それよりも驚きは恭子の明るさだった。それは高校の時のイメージとまったく違っていた。
「なあ、佐々木」
 前に立って歩く恭子の背中に、久紀は呼びかけた。
「ん?」
 振り向いた恭子の顔。なんだか、ドキッとした。
「い、いや、ちょっと、訊いていいかな?」
「何を?」
「その……どうして、短大をあきらめてまで、こっちに来ようと思ったんだ?」
 恭子は背中を向けたまま、しばらく無言だった。久紀は悪いことを訊いてしまったかと思う。だが、
「何故だと思う?」
 と逆に恭子が訊いてきた。
「え?」
 久紀は戸惑った。
 恭子は十八歳。自立してもいい年頃だ。父親が牧場の経営のために東京を離れることになったとは言え、それにわざわざついて行かなくてもいいだろう。ましてや短大への入学が決まっていたのだ。それを取り消してまでというのが分からない。大学受験を失敗した久紀にしてみればもったいないという思いが強い。
「分からないよ。分からないから訊いてんだろ?」
 意地悪な質問返しに、久紀は少し口を尖らせた。
 恭子はおかしそうに笑った。
「よく夏休みにね、この牧場に来てたんだ。その頃はおじいちゃんも生きてて、色々なことを教わった。楽しかったわ、何もかも。あんまり楽しかったから、私、お父さんが後を継がないで東京でサラリーマンをやっていることに怒ったこともあったわ。牧場の娘なら毎日楽しく暮らせるのにって。だからね、お父さんがサラリーマンを辞めて、牧場を継ぐ決心をしたとき、喜んだの。だって、それが私の夢でもあったんだもん。だから、せっかく合格した短大をあきらめるのに後悔はなかったわ」
「そうか。佐々木の夢、かなったんだな」
「うん、まあね」
「良かったな」
「うん」
「そうだな、これだけ美味い空気吸って暮らしていけるんだもんな。佐々木の選択は間違ってないよ」
 久紀はうなずきながら言った。
「いい所でしょ?」
「ああ、いい所だ」
 こうして風に吹かれていると本当にそう思えてくる。
「じゃあ、勝原くんもここで暮らしてみる?」
「え?」
 思いがけない恭子の言葉。久紀は何と答えていいのか、口ごもった。
 それを見て取った恭子は、突然、笑い出した。
「ふふっ、冗談よ、冗談!」
「さ、佐々木ッ!」
 久紀は自分の顔が真っ赤になったのを見られ、恥ずかしかった。
「ヤダ、ちょっとはその気になった?」
「何言ってんだよ! んなわけ、あるか!」
「あやし〜い!」
「あのなあ」
 完璧に恭子におちょくられ、久紀は益々、赤面した。やっぱり高校の頃とは違う。と言うよりは、真由美に騙され、恭子におちょくられる久紀自身に問題ありか。
 母屋の方に逃げるように駆けていく恭子を追いかけながら、久紀は自分が何をしているのか分からなくなっていた。


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