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泥御坊・完結編

−1−

 オレが拓哉を連れて下山したのは、すっかり日も落ちた夜だった。待ち受けるのはパトカーの赤いライトと集まった村人たち、そして報道陣のカメラのフラッシュだ。上空にはヘリコプターも飛んでいる。オレと拓哉が姿を現すと、おおっ、という歓声があがった。中には拍手まで含まれている。オレはまるで英雄にでも祭り上げられたようで、少々、困った。
「タク!」
「ママァ!」
 人だかりの中から飛び出してきたのは加絵子さんだった。我が子の無事な様子に安堵し、抱きしめる。良かった。このひとを悲しませるようなことにならず、本当に良かった。
「粕谷」
 応援に駆けつけた捜査陣の中に、オレの上司である安東部長の姿もあった。直接、会うのは、実に久しぶりだ。部長はオレに握手を求めるようにしてきて、そのまま背中を叩かれた。
「よくやったな、粕谷」
 荒々しいねぎらいに、オレは少し顔をしかめた。
「いえ。結局、犯人を死なせる結果になってしまいました」
 オレは“いまだや旅館”の馳を殺した犯人が底なし沼にゆっくりと沈んでいく光景を思い出していた。しばらくは頭から離れないだろう。
 しかし、そんなオレを部長は引き寄せるようにして、ささやいた。
「粕谷、余計なことは喋るな。特にマスコミの前ではな。犯人が死んだのは、あくまでも事故だ。お前が気に病むことはない」
 言葉だけを受け止めれば、オレを慰めているとも取れるが、要は警察としてのメンツを守りたいがための口止めなのは明らかだった。もし、オレが犯人を見殺しにした──もちろん、助ける余裕など、そのときのオレにはなかったのだが──ということになれば、マスコミはこぞって警察批判をするだろう。上層部の連中はそれを避けたいのだ。それが身内に甘い体質と言われる警察組織の暗部だった。
 オレは黙ってうなずいた。正義感に熱くなったわけではない。そんなことは承知していたことだ。それにオレは正しいことをしたという自負があったし、マスコミに痛くもない腹を探られるのは願い下げだった。
「とにかく、報告書とかも書いてもらわなきゃならん。疲れているとは思うが、署まで来てもらうぞ」
「分かりました。──その前に、ちょっとすみません」
 オレは部長に断り、まだ抱きしめ合っている加絵子さんと拓哉のところへ行った。
「加絵子さん」
 オレが声を掛けると、加絵子さんはようやく拓哉から身を離して、オレの方を向いてくれた。
「粕谷さん、本当にありがとうございます」
 加絵子さんは深くおじぎをした。その目には涙が光っている。オレは軽く加絵子さんの肩に触れた。
「いえ、警察官として、当然の義務を果たしたまでです」
 オレはそう口にしたが、もちろん半分以上は加絵子さんのためにしたことだ。
「このあと、どうなるんですか?」
 不安そうに加絵子さんがオレに尋ねた。
「拓哉くんは家に帰っても大丈夫だと思います。オレは調書とかを取らないといけないので、署まで行かないといけませんけど。まあ、そんなにかからないと思います」
「そうですか」
 加絵子さんは涙のせいもあって、潤んだ瞳でオレを見つめた。それを見ていると、何だかオレの中に込み上げてくるものがある。
「あ、あの、加絵子さん」
「はい」
「その……帰りが少し遅くなると思うんですが、ちょっと話があるんです。待っててもらえませんか?」
 それが今、オレに言える精一杯のセリフだった。オレは顔を真っ赤にしていたと思うが、幸い、夜のおかげで気づかれなかったことだろう。
 加絵子さんは少し、考える素振りを見せたが、
「分かりました。お待ちしています」
 と返事してくれた。それを聞いて、オレは一気に肩の力が抜けるのを感じた。
「あ、ありがとうございます」
 それから拓哉にも言っておくことがあった。しゃがんで、拓哉と目線を合わせる。
「拓哉、あのことはヒミツだぞ」
 オレが言う「あのこと」とは、もちろん、オレたちを助けてくれた女と男のことだった。彼女も自分たちのことは内緒にしてくれと言っていた。オレは黙っているつもりだったが、一応、拓哉にも念を押しておく。
「分かってるよ」
 拓哉も心得たようにうなずいた。オレは笑って、拓哉の頭を撫でてやる。
 それから、もう一つ用事があった。人だかりの中から姿を探す。
「あ、和尚さん」
 オレが探し出したのは臼井和尚だった。こちらから駆け寄る。
「やあ、お巡りさん。無事で良かったですね」
 開口一番、臼井和尚はオレの顔を見て言った。オレはうなずく。
「ええ。拓哉も無事でしたし、なんとか。──それより和尚さんに頼みたいことがあるんですが」
「私に? なんでしょうか?」
「これから署の方へ行かなくてはいけないので、帰ってくるまで、駐在の電話番を和尚さんにお願いしたいんです。本来なら、警察官の誰かが残るべきなのでしょうけど、オレが戻ったあとに町へ帰るとなると、遅くなってしまうと思うので。それにさほど大事な電話はかかってこないと思います」
 オレの頼みに、臼井和尚は二つ返事でOKした。
「お安いご用ですよ。どうせ、寺へ帰っても私一人ですから」
「そう言っていただけると有り難いです」
 こうしてオレは臼井和尚に駐在の留守番を頼み、事情聴取のため、署へ向かった。


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