カンナはオレに近づくと、自らもしゃがんで、木箱の中をオレに見せた。中にあったものは、臼井和尚が見せてくれたオオサンショウウオもどきの奇妙な生物の死体ではなく、巨大なナメクジに似た生物の死体だった。
「あなたがここへ隠したのね?」
オレは返事することも出来ず、うなずいた。カンナはその木箱を大男に渡す。
「あなた、《パシフィック》と関係があるの?」
「……夕べ、オレの所に電話があった……」
電話の男が名乗った《パシフィック》というのは聞き慣れなかったが、どうも日本では馴染みのない、海外の薬品会社らしい。そこから突然、電話があった。
最初、話の内容を信じられなかった。何でも南天沼村の山へ隕石に乗った生物が落ちたとかで、多額の報酬を払うから、その生物を生死に関係なく回収して欲しいという依頼だったのだ。何でも、その生物から新しい薬品の開発が出来ないか実験しているらしい。SFじみた話で、初めは新手のいたずらかと思ったが、その日の昼に、山寺で奇妙な生物の死体を目撃していただけに、ウソだと笑い飛ばすことも出来なかった。さらに話を聞くと、報酬は三百万だと言う。その金額に何やら違法的なものを感じたが、月給が安い警察官にとって、それは甘い誘惑だった。
今日の昼前、オレが“泥御坊”の沼へ一人で赴いたのは、その生物を探すためだった。もし、発見できないならそれまでだと思っていたのだが、偶然、あの沼の近くで発見してしまったである。オレはすぐに報酬のことが頭に浮かんだ。三百万あれば欲しかった車も買えるし、加絵子さんに気の利いたプレゼントだって出来る。出来心と言えばそれまでだが、清廉潔白を信条とする警察官にそれは許されない。結局はオレの心の弱さが招いたのだ。
電話の男からは、同じように探しに来るヤツらがいるはずだと忠告されていた。そこで偽装のために、山寺にある死体を利用しようと思いついた。臼井和尚の留守を幸いに、オオサンショウウオもどきを運び出し、代わりに発見した巨大ナメクジを木箱に隠したのだ。オオサンショウウオもどきが本物かどうかは分からないが、少なくとも時間稼ぎになるだろうと。
そして、思いもよらぬ殺人事件などにも遭遇したが、カンナたちはオレの思惑通り、オオサンショウウオもどきを落ちた生物だと信じ、持ち帰った。そこでオレは早いうちに、とりあえずの隠し場所だった山寺から、巨大ナメクジを運び出そうと思ったのだ。そのために、臼井和尚には駐在の留守番をしてもらい、山寺を空にしてもらったのである。しかし、どうやらカンナたちの目を欺けなかったようだ。
「あの男の子の証言がなかったら、あなたはきっと、こいつをうまく運び出して、大金を手に入れていたでしょうね」
カンナの言葉を、オレは遠くで聞いているような気がした。
「オレはどうなるんだ?」
ようやく、それだけを訊いてみた。
「理由はどうあれ、《パシフィック》の仕事を請け負うなんて、言語道断よ。ヤツらは地球外生物を私利私欲で欲するばかりでなく、新種の麻薬やバイオ兵器にも用いようとしているの。未知の生物にどれだけの危険があるか、計り知れないわ。ことによっては、それで人類が破滅してしまう恐れだってあるのよ。私たちの仕事は、それを防ぐ意味もあるわ。だから、あなたは大したことじゃないと思ったかも知れないけど、これは立派な犯罪なの。あなたはこれから、散々、《パシフィック》との関係を追求されて、当然ながら警察はクビ、刑務所にも二、三年入ってもらうことになるでしょうね」
カンナは冷たく言い放った。一縷の望みにかけていたが、これで本当にお終いだった。
オレは二人に連行されるようにして山を下り、村の外れに止めてあった黒いランド・クルーザーに乗せられた。大男が運転して、車が走り出す。
オレは窓の外を眺めた。と言っても、外灯が少ない村は真っ暗で、遠くに家の明かりが見えるだけだ。
車が佐伯家の近くを通り過ぎようとしたとき、オレの目に加絵子さんの姿が飛び込んできた。帰りが遅いオレを外へ出て待っていてくれたのだろうか。まだ夜は寒いのか、薄いカーディガンを羽織った肩は縮こまり、手をさすっている。加絵子さんは車に気づいた様子だが、中に乗っているオレまでは暗くて見えなかったようだ。
加絵子さんの姿が小さく遠ざかっていく。
オレは不意に、臼井和尚が話してくれた“泥御坊”の逸話を思い出した。身分の違いから仲を引き裂かれた男女。そのつらさが今のオレには分かる気がした。
車は真っ暗な闇の中を走り続けた。それはあたかも、オレのこれからを暗示しているかのように。