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コロッケ

−1−

「また、コロッケかいな!」
 今年、小学二年生になったばかりの松浦和彦は、夕飯のおかずを目にするなり、これ見よがしに不満を漏らした。すぐさま、母、はるの手が和彦のいがぐり頭を叩く。熟れ頃のスイカを叩くような音がした。
「やかましい! 文句言うなら、食べんでええわ!」
 はるは和彦を睨みつけながら、テキパキと食卓に茶碗を並べていく。小さな卓袱台<ちゃぶだい>は、家族四人分の食器が置かれると、それだけで一杯になる。その食卓に、父、欽蔵が黙って座った。その尻の下は今にもすり切れそうな薄汚れた畳だ。手にしていたクシャクシャの新聞を広げる。朝から何度も読んだ証拠だった。それでも、まだどこを読むところがあるのか、寡黙に紙面を眺める。母子のやり取りには口を挟まない。いつものことだ。
 和彦は恨めしげに母を見上げた。
「昨日もコロッケやったで。一昨日もや。毎日、コロッケばっかやないか」
 和彦はぐずった。まだ小学二年生。親の言うことを聞き分ける年頃ではない。
「その前は焼き魚、出してやったやないの。おかあちゃん、ちゃんと憶えてるで」
 息子の追求に、はるは動じることなく答えた。浪花の肝っ玉かあちゃん、ここにあり、だ。
 だが、和彦の我慢も限界だった。
「オレが言いたいんは、たまには変わったものを食べたいってことや」
「変わったもの? 何が食べたいって言うの?」
「例えば、すき焼きとか!」
「すき焼き!? アカン、アカン! ウチは貧乏なんや。そんなお金、畳ひっくり返したって出てこんで!」
「ええやんか、たまには! すき焼き、すき焼き!」
 和彦はその場で跳びはねるようにして、はるに催促した。そのドタバタが古い家屋の端々に伝わり、天井からぶら下がった裸電球が大きく揺れる。埃も舞い落ちた。
 すると、欽蔵が新聞を置いた。
「カズ!」
 ゴツッ!
 重たい音がした。欽蔵が和彦の頭をゲンコツで叩いたのだ。父、欽蔵ははるのように頻繁に手を上げる方ではないが、殴るときはゲンコツで容赦がない。和彦は声を殺して、頭をさすった。こちらも親の折檻には慣れている──とはいえ、さすがに涙が出るほど痛かったらしい。
 はるはそんな和彦に呆れ顔を作る。
「食べ物の前で暴れるからや。大人しく座っとき」
 そう言って、はるは台所へ立った。欽蔵用の瓶ビールを運ぶ。欽蔵は何事もなかったかのように、また新聞を広げ、冷えた瓶ビールに手を伸ばした。すると、ちょうどそこへ祖母、カツがやって来た。
「おや、カズ坊。また叱られたんか?」
「………」
 和彦はむくれていた。家が貧乏なのは、和彦だって知っている。父、欽蔵は大工だが、一月ほど前、足場から転落し、腰を痛打して入院。最近、やっと退院したが、まだ仕事に復帰できていない。それに和彦の四つ年上の兄、昭彦は、長期の入院生活を送っていた。和彦には難しい病名までは分からなかったが、心臓の重い病気らしい。よって、松浦家の家計は逼迫していた。
 しかし、それはそれとして、和彦は毎日のようにコロッケばかりが出る夕飯のおかずに飽き飽きしていた。別に野球のグローブをねだったわけでもないのに、それすら聞き入れてもらえないなんて。和彦は完全にむくれた。
 そんな和彦の隣に、祖母カツは座った。カツは孫である和彦が可愛くてしょうがなく、普段から優しく接してくる。和彦もそんなカツが好きだったが、ときにはそれが疎ましくなることもあった。特に、このような不機嫌なときは。
「まあまあ、そんなにむくれとらんで、婆ちゃんのコロッケ、半分やるから、機嫌、直しいや」
「コロッケなんか、もういらんわ!」
 和彦は箸を卓袱台に投げ出すと、部屋の隅に行って、家族に背を向けるように、膝を抱えて座った。自分の部屋があれば、こもることも出来るのだが、祖母のカツ以外は皆、この八畳の茶の間で寝起きしているので、そうもいかない。
 すっかりすねた和彦を見て、はるがため息をついた。
「カズ、ごはん食べんの?」
「………」
「食べへんのやったら、片づけてしまうで」
「………」
「ほっとけ。食べたくないヤツは食べんでもええ」
 ボソッと欽蔵が言った。はるはもう一度、ため息をつく。
 和彦は黙り込んだまま、顔を伏せた。そして、泣いた。


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