菅谷はケイを捜した。方法は簡単である。事故に遭った高校に問い合わせ、修学旅行に参加しなかった生徒を捜し出すだけだ。ここでようやく菅谷はケイの本名を知った。予想通り、「ケイ」は名前のイニシャルだった。
学校から今度は自宅を突き止めた。これ以上、ケイに罪を重ねさせたくないからだ。だが、ケイは姿を消していた。新聞記者と偽って、ケイの母親に部屋にも入れてもらったが、問題のライカも見当たらない。ただ一つ、机の上にはケイが教室で撮影したと思われるクラスメイトの写真。また、親の銀行口座からは、すべての預金が引き落とされていた。どこか遠くへ行くつもりなのか。置き手紙などは一切なく、何も知らない母親はおろおろとしており、菅谷は胸が痛んだ。一番の理解者だと思っていた自分が、ケイを止められなかったなんて。
それ以来、ケイとの連絡は途絶えた。
あれから十年。
声は少し大人びた感じがするが、最後に電話をしたケイを彷彿とさせた。
「あれからどうしていたんだ?」
菅谷は何度も電話して尋ねたかったことを、十年を経て、ようやく訊くことが出来た。
『あれからアメリカへ渡りました』
「アメリカ?」
『ええ。昔から行ってみたかったんです。自由の国、人種のるつぼ……。あそこなら僕が生きる場所があるんじゃないかと思って。偏狭な日本にはうんざりしました』
ケイは疲れたような声を出した。初めて聞くような声。この十年で彼を変えてしまったものとは何だろう。
「それで君にとってのアメリカはどうだった?」
『確かに大きな国でした。でも、日本と大きな違いはありません。自由だの平和だのと言葉だけは大層なことを掲げていますが、やっていることは同じです。他人を傷つけ、自分だけを正当化させる。人間はろくでもありません。僕は幻滅しました。人間に。そして自分にも。自分も他の人と同じ人間なのだと気がつきました。結局は僕も最低な人間の一人なのだと気がつきました……』
「そうか。だが、それを自覚することで、自分を変えていくことも出来るんじゃないのかな? 私は人間に絶望していない。人間にはイヤな部分もあるが、讃えるべき部分も絶対にある。未来永劫、争いは絶えないかも知れないけど、少しずついい方向へ歩いていけると思っているよ。私はそう信じているんだ。──楽観的すぎるかな?」
菅谷は尋ねた。やや間があって、ケイは「そうですね」と短く言った。
『ところで菅谷さん、パソコンのメールアドレスを教えていただけませんか? 今すぐ、そちらに送りたいものがあるのですが』
「ああ、分かった」
菅谷はメールアドレスをケイに教えた。すると受話器から、かすかにキーボードを叩く音がする。
「何を送っているんだい?」
『写真です』
ケイの言葉に、菅谷は不吉なものを感じた。吸い残しのタバコを床に投げ捨て、急いで自分のデスクに戻る。途中、忙しく立ち回る同僚たちに行く手を阻まれ、苛立つ。邪魔な若手編集員を押しのけるようにして、菅谷は席に着き、パソコンのメールをチェックした。
一通のメールが届いていた。開いてみる。画面に表示されたのは都市部の景色だった。
「これは……?」
中央に大きなビルが二つ連なっている。そのビルは、菅谷の記憶を呼び覚ました。
『これが何のビルだか分かりますよね?』
ケイは十年前のあの日と、同じ声音に変わっていた。喉の奥で声を押し殺して笑うような不気味さ。菅谷は血の気が引いていくのを感じた。
「世界貿易センター……」
今から十年前の二〇〇一年九月十一日、ニューヨークのシンボルの一つでもあった世界貿易センターは、イスラム原理主義のテロ組織、アルカイダの標的となり、ハイジャックされた旅客機二機が突っ込み、崩壊した。アメリカ同時多発テロ。その後、アメリカはイラクに戦争を仕掛け、未だにアラブ各国を巻き込んで紛争が続いており、人々の苦い記憶となっている。
『その写真は、あのテロが起きる三日前に、僕のライカで撮影したものです』
平然と言ってのけるケイに、菅谷は憤りを感じた。
「どうしてこんなことを!」
『実験ですよ。それまで人物しか撮ったことがなかったので。でも、これでライカの力は人間だけでなく、物質にも影響するのだと証明できました。もっとも、ライカは中にいた人間に対して、反応しただけかも知れませんが、それはどっちでもいいことです。僕は一つの計画を立てました』
「計画?」
『そうです。地球のゴミみたいな人間はすべて死んでしまった方がいいんです。僕はそのために、ライカの力を使うことにしました』
ケイに対して反論しようとした菅谷だが、パソコンからメールの着信音がして、気勢を制された。発信者は──再びケイだ!
『もちろん、すべての人間と言うからには僕も含まれていますよ。僕も汚い人間の一人だ。菅谷さんが言ったとおり、自分の怒りを知らしめるために、クラス全員を殺した人間ですからね。今度は逃げたりしません。僕も同じ罰を受けます』
菅谷は受信したメールを開いた。そして、愕然とする。ケイから送られてきた二枚目の写真──それは漆黒の宇宙に鮮やかに浮かんでいる蒼い地球であった。
『菅谷さん。僕の最後の写真、届きましたか? ……もう、誰も逃げられませんよ』