何もかもが茜色に染まる夕暮れ時。
人気のない小さな神社に制服姿の少女がやって来た。少女は何かを気にしているのか、小さな鳥居をくぐると、時折、後ろを振り返ったり、周囲を窺うような仕種をする。だが、そんなことをしなくても、境内に誰もいないことは明らかだった。この稲荷神社はさびれた商店街の一角に忘れ去られたように建っており、地元の者でなければ気づかずに通り過ぎてしまうことだろう。それでも、誰かが毎日、供えていくのか、賽銭箱の近くには白い簡素な皿に乗せられた油揚げが置かれていた。
どこにでもある小さなお稲荷さん。信心深さとは縁がなさそうな、若い女子高生が訪れる場所としてはふさわしくないと言えるだろう。実は、少女がここを訪れたのには、ちょっとしたわけがあったのだ。
少女の名は、稲本箕子<いなもと・みこ>。この近くの高校へ通う、ごく普通の高校二年生だ。箕子はこの神社にまつわる噂を、今日、同じクラスの中田英美から聞いた。
「ほほえみ商店街のお稲荷さん、知ってる?」
土曜日で午前中に授業が終わった放課後、サッカー部の練習を眺めていた箕子に、英美がそう切り出してきた。
知っているも何も、そこは箕子の家からは数百メートルと離れていない商店街で、昔はよく母と一緒に買い物へ出掛けたものだ。当然、その商店街に小さな稲荷神社があることも、お参りしたことは一度もないが知っている。
だが、十年ほど前、駅前に大規模なスーパーマーケットが出来て以来、商店街の客足は見る見る遠のいていき、段々と店じまいせざるを得なくなったと言うのが現状であった。商店街に冠せられた「ほほえみ」はすっかり消え、今も営業を続けている店舗は、全盛時の四割くらいだろう。
箕子は自転車通学で商店街を毎日通るたびに、ずっとシャッターが閉じたままの店を見て、胸を痛めるのだった。とはいえ、箕子の家庭でも買い物は便利なスーパーマーケットを利用しており、さびれた商店街に何の魅力も感じないのは事実であったが。
だから、英美の口から商店街同様にうらぶれた稲荷神社のことが出てきて、箕子は少し面食らった。
「あのお稲荷さんなら知ってるよ。でも、それがどうかしたの?」
箕子が尋ねると、英美の顔がやにさがった。
「実はさ……あの神社で恋愛を祈願すると叶うんだって!」
「ええっ!?」
思わず大きな声を出しかけ、慌てて口許を押さえる。箕子は内緒話をするように、英美に顔を近づけると、声を低めて言った。
「お稲荷さんって、恋愛の神様じゃないでしょ? 確か、五穀豊穣とか、商売繁盛とか、そういうのを願う神様じゃなかったっけ?」
「さあ、私はそういう神様のことは詳しく知らないけど。でも、D組のコとか、そこで祈願して、告白がうまくいったとかって聞いてるよ」
「ウソ!? マジで!?」
「箕子もお願いしてみたら?」
英美はニヤけた顔を向けながら箕子に言った。思わず赤面してしまう箕子。
「な、何をよぉ?」
「またまた、この、とぼけちゃって! 中村くんのことに決まっているじゃない!」
「ば、バカッ! 声が大きい!」
自分でも大きな声を出してしまい、箕子は慌てて英美を後ろへ振り向かせ、身を縮めた。そして、チラリとサッカー部の練習を振り返る。