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神様はつまらない

−12−

 こうして境内に一人取り残されると、今までの出来事はすべて夢だったのではないかと思えてくる。楽しくはなかったが、不思議な体験をしたものだ。
「うーん、んん!」
 一日ぶりに自分の身体を取り戻し、箕子は思いきり伸びをした。すると、何だか疲労と眠気が襲ってくる。考えたら、箕子は夕べ、一睡もしていないのだ。
 とりあえず家に帰って、熱いシャワーを浴びて、ベッドに倒れ込みたい。そんな衝動に駆られた。
「おっと、その前に」
 箕子にはやるべきことがあった。一つは警察へ行って、強盗犯の特徴を証言することだ。どうして今頃になってと追求されるかも知れないが、このまま黙っていることは出来ない。
 そして、もう一つ──
 箕子は社の裏へ手を伸ばし、ビニール袋に入ったバインダーを探し当てた。楢崎の裏帳簿だ。こちらの悪事も見逃せない。
 箕子はビニール袋からバインダーを取り出した。中を覗くと細かい数字とまとめられた伝票を見ることが出来た。数字だけを見ても、箕子にはさっぱり分からなかったが、伝票にはハッキリと楢崎のドラッグ・ストアの名前が明記されている。専門家が読めば、脱税の明かな証拠になるはずだ。
 裏帳簿を誰に渡すのが最適か考えながら、箕子は稲荷神社を後にしようとした。そこへ、一人の男が現れる。その男の顔を見て、箕子は思わず声に出してしまっていた。
「あっ、強盗犯!」
 と。
 自分の迂闊さを後悔しても、もう遅い。男は箕子の声を確かに聞いていた。その表情がサッと強張る。間違いない。男は夕べ、お婆さんを襲った強盗だ。
 犯人は現場に舞い戻ると言うが、何もこんなときに。箕子は裏帳簿を抱えて、後ずさった。
 男はジャンバーのポケットから小型のナイフを取り出した。ナイフの刃が夕陽を赤く反射させ、箕子に血を連想させる。
「キャッ!」
 箕子は逃げだそうとしたが、足の方が伴わなかった。呆気なくもつれ、尻餅をついてしまう。
「お前……見たのか?」
 男はナイフを手にしながら、箕子へと近づく。
「ヤダ! 来ないで! 来ないでよ!」
 箕子は手にしていた裏帳簿を男に投げつけた。だが、男はナイフを持った右手で弾き飛ばす。バインダーがばらけ、中の帳簿が大きな紙吹雪のように舞った。
 男の目は据わっていた。このままでは本当に刺されてしまう。
 箕子は悲鳴を上げた。
「誰か、助けてー!」
 すると天の配剤か、救いの主は現れた!
「おい、何をしているんだ!?」
 助けに現れた人物を見て、男ばかりか、箕子も驚く。
「な、中村くん!」
 それは朝のジョギングと同じ格好をした中村俊雄だった。練習試合の帰りでたまたま通りかかったのか、スポーツバッグとネットに入ったサッカーボールを持っている。
 俊雄は箕子と男を見て、すぐに状況を悟ったようだった。顔が険しくなる。
「ちくしょう!」
 男は罵ると、今度は俊雄へと突進した。まずは俊雄から刺すつもりだ。
「中村くん、逃げて!」
 箕子は叫んだ。しかし、俊雄はひるまなかった。
 持っていたスポーツバッグを放り出すと、ネットに入ったままのサッカーボールを目の前でバウンドさせる。弾んだボールは俊雄の足下へ落下。その間に、俊雄はシュート体勢に入っていた。
「!」
 鋭く振り抜かれた右脚は、強烈なシュートを打ち出した。エース・ストライカー中村俊雄の一撃。ボールは狙い違わず、男の顔面を痛打した。
 至近距離でのシュートの威力は、ボクサーの必殺パンチ同然だった。男はのけぞるように倒れ、その拍子に地面に後頭部を打ちつける。
「うっ!」
 男は一声呻いて気絶した。
 男の顔面から跳ね返ったボールが計ったように俊雄の右脚まで転がっていくのを、箕子は茫然と見送っていた。まさにスーパー・シュート。強盗犯を一発でKOだ。
 俊雄は足下のボールを起用に蹴り上げて左手に抱えると、気絶した男に近寄った。
「あっ、この人!」
「知っているんですか?」
 俊雄の反応に、箕子は思わず尋ねてみた。すると俊雄はうなずく。
「うん。駅前にドラッグ・ストアがあるだろ? 確か、あそこの主人の弟だよ。何度か見かけたことがある」
「この人が?」
 箕子は改めて強盗犯の顔を見た。そう言われてみれば、楢崎に似た顔立ちをしている。これがときどき金を無心に来る弟か。多分、兄にも借金を断られ、とうとう強盗事件まで起こしてしまったというところだろう。
「それよりも、小野さん、大丈夫? ケガはない?」
 強盗犯相手にシュートを放つまでは冷静で強気だった俊雄だが、尻餅をついた箕子の様子を見るや、血相を変えた。俊雄に腕を握られ、頬を赤らめる箕子。
「だ、大丈夫です……」
 消え入りそうなくらい小さな声で答えた箕子だったが、俊雄の言葉に引っかかって、真顔に戻った。
「? 小野って……私、稲本なんですけど……?」
 どうして有紀の苗字が出てきたのかワケが分からなかったが、箕子は控えめに訂正した。
 だが、今度は俊雄の方が怪訝な顔をする。
「え? キミは小野さんじゃないの?」
「はい……稲本箕子ですけど……」
「だって、昨日、高原が……」
 二人は同時に気がついた。俊雄は高原一成に一杯食わされたのだ。
 昨日、俊雄は練習を見学していた箕子を見つけて、一成に名前を尋ねたのだ。それは俊雄が学校の女子の名前に疎いからなのだが、一成はわざとからかい半分に、近くにいた小野有紀の名前を言ったに違いない。あの後、一成が箕子の方を見てニヤニヤしていたのが何よりの証拠だ。
 箕子は大笑いするサルの顔を思い浮かべ、腹が立った。
(高原のヤツめ!)
 俊雄も箕子と同じ思いだった。
 とすれば──
 箕子は俊雄の顔を見て、再び赤面した。
 今朝、俊雄が親しくなりたいと願っていた「小野」とは、自分のことではないか?
 その考えに至り、箕子は有頂天になるよりも先に、恥ずかしさで息も出来ないくらいだった。
 そんな箕子を見つめる俊雄の顔も、次第に照れたようなものに変わっていった。
「ここのお稲荷さん、ホントに願いが叶うんだなぁ」
 きっと俊雄も、ここの縁結びの御利益を知って、わざわざお参りに来ていたに違いない。
 二人の高校生は互いの気持ちを明らかにする言葉も出せないまま、ずっと見つめ合い続けた。
 その二人の近くには、気絶した男と散乱した裏帳簿があり、騒ぎを聞きつけて誰かが駆けつけたら、この状況をどう解釈するだろう。
 一部始終を社から眺めていた神様は、それを考えると、愉快そうに笑った。
「たまにはこんな見せ物もないと面白くないものね。ホント、人間って面白いわ。──さて、次はどんなことをしようかしら」
 そんなことを考えている神様は、結構、楽しそうだった。


<了>


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