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◆突発性競作企画第15弾「世界の名言」参加作品◆

ロミオとジュリエットは結ばれるのか?

−1−

「ああ、ロミオ、ロミオ! あなたはどうしてロミオなの?」
 ジュリエット役の江東珠莉が、情感のこもった演技で一人嘆いた。
 シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』の中でも、恋に落ちたジュリエットが愛しいロミオの名を呼ぶ、一番有名なシーンだ。
 本当は二階のテラスにいるジュリエットを庭園の物陰に隠れたロミオが見上げるところなのだが、今は部室代わりとなっている空き教室を使っての稽古。ロミオ役の茂木幹生は、珠莉から一メートルほど離れたところで跪いていた。
「──どうか、その名をお捨てになって。そして、私のすべてを受け取ってください」
「お言葉通り、あなたのすべてを頂戴しましょう! 僕のことはただの恋人とお呼びください。そうすれば新しく洗礼を受けたも同然! 今日からはもうロミオではなくなり──」
「ストップ、ストップ!」
 ロミオのセリフのところで稽古が中断された。演出家の神谷深雪がイライラした様子で、乱暴に黄色いメガホンをバンバンと叩く。場の空気が稽古の緊張から、またか、というため息に変わった。
「幹生! 何なのよ、そのセリフは? そんなんでジュリエットが落とせると思ってんの? 何度言ったら分かるのよ?」
 深雪はロミオ役の幹生に対し、激しい口調で言い放った。これで何度、稽古が中断したかことか。二人は幼なじみだが、仲がイイのか悪いのか分からないほど、よくケンカする。深雪に怒鳴られた幹生はふくれっ面をして立ち上がった。
「うるせえなあ」
 幹生は面倒くさそうな顔をしながら、深雪に歯向かった。二人以外の者たちが、いつもよりも不穏な空気を感じ取って後ずさる。嵐の予感。
「何よ、役者が演出家に逆らうつもり?」
 気の強い深雪は、まったくひるむ様子を見せなかった。むしろ幹生の方へ向かっていく勢いだ。度の強いメガネの奥でスッと目が細められる。それは目の悪い彼女のクセなのだが、クラスの男子たちはいつも睨まれているようだと肩をすくめていた。その目つきの悪さと口の悪ささえなければ、そこそこ可愛く見えるのに。
 幹生は手にしていた台本を机に放り投げた。深雪が今回の舞台のために、改稿に改稿を重ねて書いたものだ。
「そんなに言うんなら、自分でやってみろってんだ! 大体、何で今さら『ロミオとジュリエット』なんだよ? 文化祭の公演だぜ! もっと気の利いたモン、作れなかったのか?」
 彼らの通う県立与田高等学校は、一週間後に文化祭を控えていた。幹生たちが所属する演劇部は、例年、舞台公演を行っており、今年も夏休み前から企画を立て、準備してきたのである。それがシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』だった。幹生が言うように、最初は部員たちも渋ったが、部長である深雪が猛烈にプッシュし、台本ももう書き上げたからと、半ば強引な形で決定したのである。
「何よ、今頃になってイチャモンつける気? ちゃんと多数決で決めたはずよ」
 その多数決のとき、逆らえば容赦しない雰囲気だったことを他の部員たちは黙っておく。深雪の強権発動に異議を唱えられる者などここには存在しない。
「はは〜ん、さては幹生、演じる自信がないのね? 出来ないから、そんな言い訳してんだ?」
「違わい! オレはもっと観客ウケのいい芝居の方が面白いだろうって思っただけだ! 第一、このご時世に誰がこんなカビの生えた古典を観て喜ぶんだよ?」
「か、カビの生えた古典ですって?」
 あわわわわ、と部長の深雪を畏怖している下級生の部員たちが蒼白になった。幹生の言葉は深雪にとって禁句だったからだ。
 深雪はおもむろにピョンと跳びはねると、見事にエビ反りして、背の高い幹生の頭をメガホンで殴った。いや、そのつもりだったのだが、怒りで手元が狂ってしまい、幹生の耳を掠めるようにして痛打する。むしろ頭を叩かれるより、こっちの方が痛い。耳がちぎれそうな痛みに、幹生はギャッと喚いた。
「て、てめえ、何しやがる!」
「やかましい! よくも偉大なシェイクスピアを愚弄してくれたわね!」
「あ……」
 幹生は耳を押さえながら、深雪がシェイクスピアに心酔しているのを思い出した。演劇部へ入部したのも、その影響が強い。
「撤回しろ! 撤回っ! 今すぐシェイクスピアの墓前へ行って土下座しろ!」
 深雪はまるで半狂乱のようになって、幹生の腕をメガホンで叩いた。まだ夏用の制服なので、半袖から露出する腕は見る間に真っ赤になっていく。
「ぶ、部長!」
「お、落ち着いてください!」
「どうどう! どうどう!」
 さすがにまずいと思った他の演劇部員たちが深雪を止めに入った。それでも怒りに我を忘れた深雪は、押さえ込まれた手足を激しく暴れさせる。まるで松の廊下の刃傷沙汰。さしずめ深雪は浅野内匠頭か。
「放せ! ええーい、放さんか!」
 なぜか時代劇がかった口調で喚く深雪。まったく手のつけられない状態だった。
「チッ! やってらんねーぜ!」
 幹生はこの隙にヒステリックな深雪から離れた。そして、自分のカバンを持って、教室の出口へと向かう。
「茂木くん」
 ジュリエット役の珠莉が心配そうな顔で呼びかけた。幹生はチラリと振り返ったが、そのまま黙って教室を出て行ってしまう。ピシャリと大きな音を立てて、ドアが閉められた。
「何なのよ、あいつは! ──ちょっと、コラ、いつまでまとわりついてんのよ!」
 鼻息荒く、制止する部員たちを振り払い、深雪はどっかりとイスに座った。
 深雪は飲みかけだった紙パックのいちごミルクを手に取ると、ストローに口をつけた。そして、一気に残りを吸い込む。
「まったく、注意されたくらいでふてくされるなんて、あいつも大人げないヤツねえ」
 空になった紙パックをポイッとゴミ箱に投げ捨てると、深雪はまるでオヤジのように、イスの上で大胆に脚を組んだ。どっちが大人げないんだ、と他の部員たちは思っても、決して口にはしない。誰だって自分の命は惜しいからだ。
 すると珠莉が深雪に頭を下げた。
「ごめんなさい。稽古、出来なくなっちゃって」
「何謝ってんのよ? 珠莉が悪いわけじゃないでしょ?」
「でも……」
 珠莉は言い淀んだ。深雪はため息をつく。
 珠莉はジュリエット役に選ばれたように、演劇部でも一番の美人だ。深雪と違って、おしとやかな面を持つ。しかし、元々、内気なところがあって、クラスから浮いている印象を受けた。一年のとき、同じクラスになった深雪は、そんな彼女を明るく前向きな性格にしてやろうと、演劇部に誘ったのである。
 芝居をしているときの珠莉は、実に生き生きして見えた。演技の上達も早く、深雪はもちろん、他の部員たちも目を見張った。今や誰もが認める演劇部の看板女優である。だが、普段の学校生活では、少し明るさを見せるようになったものの、まだまだ気の弱さを解消できたわけではなかった。
「何かあったの?」
 深雪は真顔になって珠莉に尋ねた。珠莉は黙ってうつむく。
「珠莉、ちょっと」
 他の部員たちの前で話を聞けそうもないと判断し、深雪は部室の外へ珠莉を連れ出した。廊下の端にある階段のところまで行く。ここなら誰が来ようがすぐに分かる。内密な話には打ってつけの場所だった。


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