「ここならいいでしょ? 話して」
深雪は珠莉を促した。珠莉はぽつりぽつりと話し始める。
「う、うん……実は茂木くん、一昨日から私によそよそしい感じがするの」
「はあ?」
「何となく私を避けているみたいで……」
「避けている? 幹生が?」
にわかには信じられなかった。幹生とは長い付き合いだが、昔から珠莉みたいなタイプが好きだったのを深雪は知っている。そして二人は、この春から正式に交際しているのだ。その二人の仲を取り持ったのが深雪なのだから間違いない。
先に相談を持ちかけられたのは珠莉の方からだった。二人だけのとき、たまたま恋バナになって、珠莉が幹生のことを好きだと告白したのである。どうやら同じ演劇部として顔を合わせるうちに恋愛感情が芽生えたらしい。そのときはえらく驚いた深雪だったが、内気な珠莉が誰かのことを好きになるのは悪いことではないと考えた。そこで幹生をよく知る深雪が一肌脱ぎ、部活が終わったらわざと三人で帰るようにしたりして、二人の親密度を高めていったのだ。
二人は順調に交際していると思っていた。それに幹生が珠莉に愛想を尽かされるならともかく、その逆はとても考えられない。
「何か思い当たる節とかないの?」
深雪はうつむく珠莉の顔を覗き込んだ。
「うん、ないこともないんだけど……」
「何? 何なの? 言いなさいよ。問題があるなら、私が相談に乗るって」
迫るようにして深雪は顔を近づけた。珠莉はたまらず身を引きそうになる。
「え、えーと……三日前、茂木くんと二人で帰ったとき、私がつまらないことを言ったからだと思うの」
「つまらないこと?」
「うん。茂木くんって、他に好きな人がいるんじゃないのって」
そう言って、珠莉はチラリと深雪を見た。
そのとき、一瞬だけ深雪の思考回路が止まった。なぜ珠莉がそんなことを藪から棒に言い出したのか分からない。
「な、何を言ってんのよ? 幹生は昔から珠莉みたいなおしとやか系の女の子が好きなのよ? 珠莉と付き合っている今、他に好きな人が出来るなんて有り得ないじゃない! てゆーか、もし珠莉の言うとおり、他の子が好きだとか言うんだったら、幹生のクセに生意気よ! 身の程をわきまえなさいっての!」
まくし立てるように喋る深雪を見て、珠莉は思わず笑ってしまった。それを深雪が見咎める。
「何よ?」
「ううん。茂木くんもそんなことないって否定してた」
「じゃあ、問題ないじゃない」
「そうなんだけど……」
珠莉はそこで言葉を切ると、くるりと深雪に背を見せた。そして、一歩二歩、離れる。まるで芝居で見せる立ち振る舞いのようだった。
「私と二人だけの茂木くんと、神谷さんも含めた三人でいるときの茂木くんは違う気がするの。私と二人だけのときは、いつも遠慮がちって言うか、私にどう接していいか分からないような感じなんだけど、そこに神谷さんもいるとホッとするのか、とても生き生きしているように見えるのよ。私がいいなって思ったのは、そういう茂木くんだったんだけど……。だから茂木くん、確かに優しく接してくれるけど、私のこと、そんなに好きじゃないのかって思って。ううん、私よりも本当に好きなひとがいるような気がして……。そうしたら、一昨日からギクシャクしちゃった」
努めてさらりと言おうとしている珠莉だったが、やはりどうしても声は沈みがちに聞こえた。深雪はそんな珠莉の後ろから、まるで気合いを入れるように両肩をつかむ。
「そんなこと気にするからいけないのよ! 私と幹生は幼稚園のガキんちょ時代からの腐れ縁で、互いに言いたいことを言い合っているだけ! 幹生はきっと珠莉のような彼女を持ったことがないから、まだどうしたらいいか分からないでいるのよ。二人とも初々しいカップルなんだからさ、もうちょっと素直にラブラブになればいいんじゃない?」
そう言って深雪は元気づけた。だが、それでも珠莉の気は晴れないようだった。
「そうなのかな? 本当にそれだけなのかな?」
「それだけよ!」
深雪はバシッと、思い切り珠莉の背中を叩いた。あまりの勢いに、珠莉はよろめく。
「まっ、幹生のヤツも珠莉を押し倒すくらいの甲斐性が欲しいわよね。いいわ。幹生には私から言っておいてあげる。可愛い彼女を不安にさせるなってね」
「神谷さん……」
珠莉は少し困ったような顔を見せた。だが、深雪は気にも留めない。
「さあ、ロミオはいなくなったけど、他のシーンの稽古をしましょ! とにかく、あと一週間しかないんだから」
「は、はい」
「休憩終了! よっしゃ! 始めるぞー!」
深雪は右腕をブンブン回しながら、演劇部の部室へと戻った。