「ねえ、マリナ。今度、合コンがあるんだけど、一緒に行かない?」
大学のキャンパスから出ようとしたとき、並んで歩いていた友達のつぐみが思い出したように言った。
「また合コン? 好きねえ、あんたも」
彼女と知り合ったこの四年間、二週間に一回はこの話題だ。私は苦笑した。
「何よぉ、私は彼氏がいないマリナのためを思って、こうして誘っているんじゃない」
とは、つぐみの言い分。彼氏がいないのはお互い様でしょうが。
「はいはい。ありがたや、ありがたや。それで、いつなの?」
「んーとね、来週の月曜日」
「月曜ね」
私は予定をチェックしようと手帳を取りだした。そして、その日付を見て、目を大きく見開く。
「来週の月曜日って……ちょっと! それ、十二月二十四日じゃないの!?」
「そうよ」
一オクターブは高くなった私の声。でも、つぐみは涼しい顔だ。私は一緒に歩いていた彼女の前に出て、立ちふさがった。
「あのねえ、つぐみ! 悪いけど、私は今年のクリスマス・イヴこそ、素敵な彼氏と過ごしたいのっ! 合コンなんてしてる場合じゃないわ!」
友達のつぐみがせっかく誘ってくれたにも関わらず、私は断固たる口調でそう言い切った。
十二月二十四日。キリストが降誕した前夜祭だとか、ユダヤ歴では日没を日付の境としたために、イヴの夜はすでにクリスマスであるらしいとか、本当はいろいろと意味深い日なのだろうが、日本ではすでに恋人たちの一大イベントとして認識されている。すなわち愛し合う男女が共に過ごす日。この日、素敵なステディがいない人は、淋しい夜を迎えねばならない。
噛みつきそうな勢いの私に、今度はつぐみの方が苦笑した。
「マリナ、現実を直視しなさいよ。イヴまで、あと一週間だっていうのに、あなたにそんな素敵な彼氏がいて?」
「うっ……!」
つぐみの残酷な一言が、私の胸にグサリと突き刺さった。でも、私はひるまない。
「『あと』じゃなくて、『まだ』一週間よ。その間に作ってみせるんだから」
「そう簡単に作れたら苦労しないでしょ? それよりも合コンで、イイ男をゲットした方が早いって」
建設的なつぐみの意見。確かに、その方が現実的かも。いやいや──
「そ、そんなお手軽にゲットしても、どうせ、ロクな男じゃないわ! そうよ、絶対にそう! 大体、クリスマス・イヴに合コンしようだなんて男、女の子を酔わせてホテルへ連れ込もうっていう下心が見え見えじゃない! そんなの、絶対にヤだ!」
口に出して言っているうちに、私は合コンの誘惑を振り切る。あぶない、あぶない。もうちょっとで安易な方向で妥協するところだった。
そんな私に、つぐみは憐れむような視線を向けてきた。
「そうかもしれないけど……もし、彼氏ができないままイヴを迎えたらどうするの? 独り淋しく自分の部屋でケーキを食べるわけ? それよりは合コンで賑やかにイヴを過ごした方がいいじゃない。私はマリナのためを思って言っているんだからね」
それきり、駅までの間、つぐみは合コンの話題を出さなかった。
私だって、クリスマス・イヴを独りで過ごすなんてイヤだ。でも、願わくば今年こそ、今年こそ素敵な彼氏と二人きりで過ごしてみたい。年頃の女の子なら、誰もが憧れること。そんなに高望みなことだろうか。
これでも私は、そこそこ可愛いと自負している。街中ですれ違う男性の三人に一人は──もとい、五人に一人くらいは私を振り返るし、「デートしない?」と誘われたことだって一度や二度じゃない。性格だって明るく、笑顔にはとっても自信がある。
もちろん、大学に入学してから何人か彼氏もできた。しかし、どういうわけかクリスマス・イヴの前になると別れてしまい、私の夢は実現しないままなのだ。
三年前は彼氏の二股が発覚して、こちらから袖にしてやった。
二年前はこちらから交際を申し出た相手だったのだが、元々、そんなに乗り気じゃなかったのか、私の束縛を嫌って、別れを切り出された。
そして、一年前は年上のサラリーマンと付き合っていたのだが、イヴの直前になって彼が海外出張へ行ってしまい、それが原因で破局した。
ここまで来ると、私はクリスマス・イヴに嫌われているとしか思えない。大学生活もラスト・イヤー。このまま甘いイヴを過ごすことがないまま終わってしまうのか。
つぐみと別れた私は、バイト先のケーキ・ショップへ行った。ここは私が住むアパートから近く、手作りケーキのおいしさも手伝って、かねてより通っていたお店である。この春、販売員兼ウェイトレス募集の貼り紙を見て、ここでアルバイトさせてもらうことにしたのだ。
残念ながら、私は大学四年にも関わらず、まだ就職先が決まっていない。卒業したら、このままここでお世話になる可能性が大だ。私は通用口から入ると、厨房でせっせとケーキを作っている店長に挨拶した。
「おはようございます、店長」
「おはよう。今日も頼むよ」
「はい」
私は店長の背中と冷蔵庫の間に出来たわずかな隙間を、身体を横にしながら、やっとこさ通り抜けた。厨房自体が狭いこともあるのだが、それよりも店長の体型の方が大きな問題だ。手作りケーキの試食のし過ぎなのか、メタボリックなスタイルのせいで白衣がはちきれそうなくらいになっている。そのくせ、冬でも夏と変わらない半袖から出した風船人形のような腕はチョコレート・ケーキみたいに浅黒い。何でも、趣味はウインド・サーフィンなのだそうな。人間、見かけによらないというが、その姿はとてもじゃないが想像できない。そもそもボードの上に立って浮かんでいられるのか、相当、怪しいと思う。
「そうだ、マリナちゃん。昨日、言い忘れたんだけど」
「はい?」
店長に呼び止められて、私は振り返った。
「イヴの夜は暇?」
「は?」
不意に尋ねられ、私は呆けたような顔をしていたに違いない。
(まさか店長、私のことを誘っているの?)
私は、先刻までつぐみと話していた話題を思い出して、急にドギマギした。
店長は四十前で、私とは一回り以上、離れている。それに店長は結婚しているのだ。奥さんの香奈恵さんはお店で一緒に働いており、今もカフェの方にいるはずである。それなのに若い女の子にちょっかいをかけてくるなんて。今まで、そんな素振りなどまったく見せなかったので、私はとても驚いた。
(店長はいい人だとは思うけど、私、お相撲さんタイプはちょっと……)
内心、私が引いていると、
「もし予定がないなら、店の前でクリスマス・ケーキを売ってくれないかなぁ。定番だけど、サンタクロースの格好してさ。バイト料の方は、ちょっと色をつけておくから」
と、店長は拝むように手を合わせた。私はまたポカーンと口を開けてしまった。
どうやら、私が勝手に想像しただけだったらしい。あまりにも恥ずかしい妄想に、私は顔を赤らめた。
「どうしたの?」
様子をおかしいと思った店長が、私の顔を覗き込んだ。
「い、いえ、何でもないです」
「そう。──それで、どうだろう? マリナちゃんに予定があるなら、クリスマス・イヴでもあるし、無理にとは言わないけど」
「あはっ、あははははは、やっぱり、クリスマス・イヴですからねえ」
「うん。イヴだからねえ」
店長は細い目で、私の答えを待った。もお、どうして次から次へと、クリスマス・イヴに何か予定が入ろうとするの?
「す、すみませんけど……」
私はペコンと店長にお辞儀した。店長はちょっとガッカリ、ちょっと繕うようにして、
「そうか、やっぱり無理か。そうだよね。マリナちゃんみたいな若い女の子に彼氏がいないはずないもんな。──うん、分かった。今の話はなかったことにして。イヴの夜は楽しんできなよ」
ううっ、店長の優しい言葉が傷口にしみるようだ。私は申し訳なさ一杯で、もう一度、店長に頭を下げてから、更衣室へ逃げ込んだ。
ああ、今年のクリスマス・イヴほど、憂鬱なものはないなあ。