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WILD BLOOD

第1話 真夜中の出会い

−1−

 冷淡な光を放つ秋の月に、霞がかった雲が覆い隠すように重なっていた、そんな晩。
 つかさは祖母に頼まれた醤油と玉子をコンビニで買うと、足早に自宅へと急いだ。
 深夜十二時。だが、女子供でも平気で出歩けるほど、日本の治安は格別にいい。
 いつから人間は夜の闇を畏れなくなったのだろう。
 昔は太陽が沈めば、魔が跳梁跋扈すると言われていたはずだ。奴らはどこかへ姿を消してしまったのだろうか。それとも──
 そんな話を小さい頃から祖母に聞かされ続けたつかさは、十六歳になった今もときどき思い出す。それに今日、学校で聞いた噂話。
 つかさは思わず、誰かがつけていないかと後ろを振り返ってみた。だが、誰もいない。それが不気味でもあった。
 学校で聞いた噂。それはここ数日の間に起きた、若い女性を狙った事件である。新聞に掲載されている小さな記事からは、同一犯らしい痴漢としかなかったが、噂によるとこの痴漢は抱きつき魔らしく、それも物凄く恐ろしい姿をしているのだという。というのは、被害者は外傷がないものの、皆、一様にしてショックで寝込んでしまい、満足な事情聴取も出来ないらしい。犯人は人間ではなく、恐ろしい怪物なのだという噂が、まことしやかに流れていた。つかさが通う琳昭館高校の女生徒も何人かが犠牲になっているという話も聞くが、学校の教師たちからは公表されていない。
 祖母に買い物を頼まれたとき、つかさはイヤだと断ったのだ。それなのに、
「お前なら大丈夫」
 と、にべもなく言われ、渋々、肌寒くなった外へ出掛けた。だが、この首筋の薄ら寒さは、本当に秋風だけの影響によるものなのだろうか。
 自宅から一番近いコンビニは歩いて十分くらいの場所だ。都心という土地柄を考えると遠すぎる。おまけに自宅は、コンビニがある商店街から離れており、途中、外灯の設置もおぼつかない淋しい道を通らねばならない。行きは陸上の短距離選手よろしくダッシュで駆け抜けてきたが、帰りは重い醤油のビンと柔らかな玉子を一緒に入れたポリ袋を手にしているので、全力疾走した途端に玉子が割れてしまう可能性があり、同じ手は使えそうもなかった。
「あ〜あぁ……」
 問題の箇所に差し掛かった。つかさの唇からため息が漏れる。
 行く手は闇に飲まれたようだった。遠くにおぼろげな明かりが見える。
 つかさはもう一度、後ろを振り返って、誰もいないことを確認してから、歩を進めた。
 今まで雲に出たり隠れたりを繰り返してきた月が、こんなときに限って見えなくなった。
 コンビニのポリ袋が立てるガサガサという耳障りな音だけが異様に響く。
 足は知らず知らずの間、早まっていた。
 そこへ──
 向こう側から誰かがやって来るようだった。恐ろしさに目を凝らしてみる。
 それは長身の男性だった。まだ若い。つかさとそんなに歳も変わらないだろう。目鼻立ちがくっきりとした男前の容貌だが、ちょっと目つきが悪そうだった。髪は襟足まで伸ばし、わざとなのか失敗なのか判断はつかなかったが、まるで虎縞のように黒髪に茶髪が混ざっている。肌の色は闇に浮かび上がるように白く、細身の体と相まって妖しげな雰囲気を漂わせているようだ。
 つかさはそんな男の姿を見て、ぞくりとした。半袖から出ている腕が粟立つ。
 男はつかさの方へ視線を投げてきた。獲物を射るような眼。つかさは目線を合わさないよう、顔を逸らした。
 近づいてくる。
 あと五歩、四歩、三歩……。
 すれ違った。
 ──と。
 尻を撫で上げられる感覚。
「ひっ!」
「いいケツだ」
 悲鳴を上げるより先に身体が動いていた。予備動作なしの後ろ回し蹴り。つかさの脚は尻を撫でた男の顔面を捉えるはずだった。
「ととっ!?」
 だが、痴漢はたたらを踏んだものの、後ろにステップしてつかさの蹴りをかわしていた。
 つかさは攻撃の構えを取った。男が両手を振る。
「タンマ、タンマ! ちょっと待ってくれ!」
 痴漢は慌てた様子で許しを請うた。その割にはこの男、隙がない。出来る。
「あなたがここ最近、出没している抱きつき魔ですか!?」
 つかさは詰問した。だが、ちょっと声が震えている。
 男は首を横に振った。
「オレは今日、こっちへ引っ越してきたばかりだ。悪かったな、つい、可愛いお尻だったもんで触ってみたくなった」
 可愛いお尻と言われ、つかさは赤くなった。
「あ、あなたねぇ……」
「ふふふ、随分とウブな反応を見せるじゃないか。お前、処女か?」
 男はニヤけた顔で近づいてくると、つかさの顎をしゃくった。
 そのときになってようやく、月が顔を出した。つかさの顔を照らし出す。
「ぼ、ぼ、ぼ……」
「ん、『ぼ』?」
「ボクは男だ!」
 つかさは顔を真っ赤にして叫んだ。

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