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「やっぱり臭いで……」
一年C組の徳田寧音<とくだ・ねね>が、突然、呟くと、すぐ隣に座っていたクラスメイトの伏見ありす<ふしみ・ありす>がキョトンとした顔で振り向いた。
「なになに、ねねちゃん? 何の臭い〜?」
ありすは舌っ足らずな口調で、寧音<ねね>に尋ねた。ありすは高校生にしては子供っぽく見られ、普段の言動もどこかほんわかした夢見がちな少女である。ロリータ・フェイスにふわりとまとめたおさげが、チア・ガールのボンボンのように揺れた。
だが、当の寧音<ねね>は、心ここにあらず、といった様子で、一人、ぶつぶつと何事かを呟いていた。
そこへ、もう一人の女子高生がやって来る。
「やめとけ、ありす。どうせ寧音<ねね>は、いつもの病気が始まったんだから」
その男っぽい口調と同様に、ボーイッシュな女子高生は、面白半分、呆れ半分に説明した。
桐野晶<きりの・あきら>。一年生ながら琳昭館高校女子バスケットボール部で早々とレギュラーを獲得。スリーポイントラインの外から次々とゴールを決めるシューティング・ガードとして、校内でも実力と人気を兼ね備えたゴールデン・ルーキーだ。もっとも、どういうわけか同性からの支持の方が圧倒的で、毎日、下駄箱にラブレターが入っているとかいないとか。
晶の言葉を聞いて、ありすは元々、大きな瞳をさらに大きく開けると、両手の拳を口元へ持ってきて、身をくねらせた。
「え〜、ねねちゃん、病気なの〜ぉ? 大丈夫〜?」
そのリアクションに、晶はコケそうになった。
「違う! その病気じゃない! いつものアレ! 何か特ダネを見つけて、また突っ走ろうとしているんだよ!」
晶が言うように、寧音<ねね>は新聞部に所属していた。
琳昭館高校の新聞部は、運動部よりも目立たない文化部の中にあって、唯一と言っていいほど、活発に活動をしている。月一度の校内新聞「琳昭館月報」の発行。その内容は、校内の行事や運動部の取材記事を中心に、話題の生徒に迫ったインタビューや噂調査、そしてマンガ研究部が寄稿する四コマまんがなど、かなりの情報が網羅されている。その校内新聞を楽しみにしている生徒は少なくない。
寧音<ねね>も部員の一人として、積極的に取材していた。いや、その取材能力とジャーナリスト魂は、他の部員をはるかにしのぐと言っていいだろう。
それを聞いて、ありすは安心したようだった。
「な〜んだぁ、その病気か〜ぁ。もお、ありす、ビックリしちゃった〜ぁ」
同じクラスになって半年くらいになるが、どうもありすと喋っているとテンポが狂う晶であった。
「で、今回は何を追いかけているんだ?」
訊くともなしに晶が言うと、いきなり寧音<ねね>は立ち上がった。
「これは絶対におかしいで!」
「何が?」
「先日の事件や!」
凄まじい勢いの寧音<ねね>に、さすがの晶もたじろいだ。だが、ありすは何が面白いのか、そんな寧音<ねね>に向かって、パチパチと拍手をしだす。
先日の事件と言えば、校内での出来事に限ると、思い当たるのは一つしかない。
「事件って、この前の校内荒らしのことか?」
晶の言葉に、寧音<ねね>は強くうなずいた。
「そや! 隣の一年B組の教室が白昼堂々、巨大な怪物に荒らされおった! それも昼休みの真っ最中やで! なのに、どうしてみんな、それを忘れてしまったみたいに、平然としてんねん!?」
グッと拳を握りしめてまで力説する寧音<ねね>に晶は呆れた。実はこれ、何度も繰り返されてきた議論なのだ。
「巨大な怪物? アンタが言っていた、ヒツジの頭を持った緑色の怪物ってヤツかい?」
「ヒツジやない、山羊や!」
「まあ、どっちでも似たようなもんだろ。けど、一体、誰がそんなのを目撃したって言うんだ? そんな話、他の連中から聞いたこともないよ。寧音<ねね>、アンタだけだろ? そんな怪物を見たってーのは。まあ、確かに近所の小学校や中学でも似たような事件があったみたいだけど、私は見ちゃいないよ。──ありす、アンタはどうだい?」
「え〜? ありす、分かんな〜い」
ありすに尋ねてから、人選を誤ったと晶は後悔し、膝から力が抜けた。
だが、寧音<ねね>は一歩も引かなかった。
「何言うてんねん!? 晶はんも見たはずやで! ありすはんもや! どうしてそれを、みんな憶えてへんのや!?」
「だ〜か〜ら〜、それこそ寧音<ねね>の妄想、白昼夢だったんだろ? それが一番、納得できる答えじゃないか?」
晶はいい加減、この話題に飽きていた。寧音<ねね>が新聞部員として、これまで多くのスクープをものにしてきた実力は認める。だが、今回だけは何かの間違いとしか思えない。そもそも、この世の中に寧音<ねね>が言うような──山羊の頭を持った緑色の怪物などというものが存在すること自体、疑わしい。
犯人の目撃証言はないのだが、一番、有力な説として浸透しているのは、外部からの侵入犯だ。教室が荒らされていたのは、B組の生徒たちが音楽室で授業を受けていた昼休み前の四時限目と推測されており、そのときを狙えば誰でも犯行が行える(ただし、隣の教室の誰も、物音を聞かなかったという不思議な問題が残っていた)。よって、何か強烈な思い込みが、寧音<ねね>の記憶をねじ曲げているとしか思えなかった。
しかし、一方の寧音<ねね>とすれば、あれだけの大きな騒ぎになりながら、誰一人として事件を憶えていないことに不信感を持っていた。自分が夢や幻を見たなどと、当然、信じていない。むしろ、寧音<ねね>を除いた全員の記憶が消されてしまったという大胆な仮説を立てていた。何か陰謀のにおいがする。それが先程の呟きにつながっていた。
「絶対にこれは、裏に何かあるで」
そう深読みする寧音<ねね>に対し、晶は段々と苛立ちを覚えてきた。
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