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WILD BLOOD

第7話 ともだち以上、コイビト未満

−1−

 武藤家の古びた門をくぐる直前、忍足薫<おしたり・かおる>は姿勢を正した。
 ここはクラスメイトである武藤つかさの家だ。いつもなら、こんな緊張を感じることなく、まるで自分の家のように遠慮なく入っていくのだが、毎週日曜日は勝手が違う。薫は自分を落ち着けるように深呼吸をすると、意を決したように足を踏み入れた。
「ごめんください」
 声だけを発して、玄関の戸を開けた。武藤家に呼び鈴の類はない。
 普段は自他共に認める男勝りな性格をしているが、昔から剣道をやっているお陰で、礼儀作法は身についている薫だ。それでも、ギクシャクしたものを拭えない感じがした。
 程なくして、女の子と見間違えそうなくらい愛らしい少年が奥から現れた。つかさだ。袖をまくった白い綿のシャツに、黒のズボン。一見すると、学校の夏服とさして変わらない出で立ちだ。だが、自宅でリラックスしていた証拠に、足は裸足のままである。いつも通りの屈託のない笑みを薫に向けてきた。
「いらっしゃい。もう皆さん、集まっているみたいだよ」
 そんなことはつかさに言われるまでもなく分かった。玄関の上がり口には、ハイヒールや草履など、女物の履き物が並んでいる。薫は緊張した面持ちで靴を脱ぐと、振り返って自分のを揃えた。
 そんな薫の様子を見ていたつかさが、気づかれないように苦笑する。ほとんど毎週のことだが、こんなに緊張した面持ちの薫は学校で見られない。
「どうぞ」
 すでに勝手は分かっているのだが、つかさに案内されて、薫は長い廊下を進んだ。二人が歩くと、板張りの床がキュッキュッと鳴る。築二、三百年にはなろうかという日本家屋だ。ここにつかさは祖母のつばきと二人で住んでいる。以前はつかさの祖父が古武道の道場を開いていたが、その死後、門下は絶えている状態だ。
 薫は庭を眺められる和室に通された。つかさが障子を開けると、そこには横一列になって正座している年齢も様々な女性が四名。和装有り、洋装有り。薫が姿を現すと、皆、にこやかに挨拶した。
「おはよう、薫ちゃん」
「おはようございます」
 他の四名に比べると、薫が一番若い。薫は深々と頭を下げた。だが、緊張の原因は年上の彼女たちではない。
「あっ、ばあちゃん」
 行きかけたつかさが、廊下をやって来た祖母つばきに気づいた。薫はそれに敏感に反応する。
「皆さん、お揃いだよ」
「じゃあ、始めるとしようかね」
 つかさと入れ違いに、つばきが和室に入った。その手には新聞紙にくるまれた、たくさんの草花を抱えている。それを一旦、自分の脇に置いて座ると、向かいの薫たちに向かって姿勢を正した。全員、畳に指をついての一礼。
「先生、おはようございます」
「おはようございます」
 つばきも同じように挨拶をした。そして、薫を初めとした五名を改めて見渡す。
「今日は先週も申しましたように、五行型をやりたいと思います。花は用意しました。それぞれ自分のを取ってください」
 そう言ってつばきは、新聞紙にくるまれた草花を回すように促した。
 つかさの祖母つばきは、華道『武藤無心流』の家元である。といっても、流派は勝手に作り上げたもので、学びに来る生徒はほんのわずか。
 薫は小学校四年の頃から、つばきの華道教室に通っていた。昔からヤンチャで手を焼いた薫の両親が、少しでも礼儀作法を学ばせようと、剣道と一緒に習わせたのだ。最初、華道など退屈で、剣道の方ばかりに夢中になった薫だが、中学の頃、ある出来事がきっかけで、華道にも身を入れるようになった。高校生になった今も、ほとんど毎週日曜の午前中、こうして通い詰めている。
 師匠であるつばきは、小柄で、とても穏やかな表情を浮かべているが、どういうわけか薫には厳しかった。生まれついての不器用さというのもあるが、どうも薫には華道のセンスが乏しく、つばきから褒められたことは一度もない。今、教えを乞うている五人の生徒の中でも二番目の古株だが、次々と新しい生徒が入っては抜けていく中、一人、取り残されているような状況だった。
 薫たちはつばきの指導の元、五行型に取りかかった。五行型とは日本古流の生け花で、木、火、土、金、水という五つの働きを表現する花型である。これは基本花型のひとつであるが、他の三才型や陰陽型に比べると、多くの要素を含んでいて複雑だ。火性は真、木性は体、金性は受、土性は留、水性は留流し。その五つを葉蘭で表現するのだから大変である。
 薫も真剣に取りかかったが、留を作るところで手間取った。どうにもバランスが取れない。ああだ、こうだとやっていると、最初に作った真が崩れてくる。
 他の生徒たちを見ると、皆、悪戦苦闘はしているが、そこそこ形にはなっているようだ。時折、つばきの直しが入りながらも、徐々に完成していく。
 そうなると薫は余計に焦った。どうして自分は出来ないのか。悔しさに奥歯を噛む。力が入った。
「あっ」
 とうとう真を形作っていた葉蘭が折れてしまった。それを偶然に目撃してしまったOL風の女性が、プッと吹き出す。それに気づいた他の生徒たちも、花器からうなだれるようになっている忍の葉蘭を見て、つられて笑った。
「もう、薫ちゃんたら、力の入り過ぎよ」
「そんなに短気を起こしちゃダメよ!」
 いつも繰り返される薫の失敗に笑いが起こった。彼女たちに悪気がないことは分かっている。妹のような存在である薫を、皆、好いているのだ。しかし、薫としてみれば、笑われていい気分はしない。顔は真っ赤になり、すぐにでもここから飛び出したい恥ずかしさに耐えた。
 すると、つばきが前にやってきて、薫の生け花を見た。別に柳眉が逆立っているということはないが、その目はとても厳しい。
「すみません……」
 薫は消え入りそうな声で謝った。
「もう一度、やってごらんなさい」
「はい……」
 つばきに言われ、薫は再び取りかかった。だが、繰り返し何度やっても、同じところでつまずいてしまい、それ以上先へ進むことは出来なかった。
 やがて授業の終了時間が来た。薫の他の生徒たちは、とりあえず五行型を完成させた。出来ていないのは薫だけ。
 そこへ、つかさが日本茶とお茶菓子の芋ようかんを運んできた。
「皆さん、お疲れさまでした。どうぞ、召し上がってください」
 ずっと集中して取り組んでいたせいで、華道教室の生徒たちはやっと解放され、姿勢と表情を緩めた。そんな彼女たちに、つかさは温かい湯呑みを配っていく。
 薫に渡すとき、つかさは彼女の浮かない顔に気づいた。だいたいの察しはつく。薫の前にある未完成の生け花を見れば。
「今日は五行型だったんですか。難しかったんじゃないですか?」
 つかさは他の生徒たちに話しかけながら、落ち込んでいる薫に配慮した。華道教室が終わったあとの薫を元気づけるのはつかさの役目だ。
 すると、和装の婦人がつかさの会話に乗ってきた。
「ええ、難しかったわあ。今までの三才型や陰陽型とは大違い。私の見て、変な格好でしょ?」
 和装の婦人が言うように、確かに作品はきれいな五行型とは言い難かった。
「そうですね、もっとしなやかさが出せた方がいいと思います」
 つかさは率直に感想を述べた。
「やっぱり? 先生にも同じことを言われたわ。──そうだ、つかささん。久しぶりに生けて見せてくれません?」
 和装の婦人の言葉に驚いたのは、比較的、入門してから日の浅い生徒たちだ。
「え? つかささん、生け花できるの?」
「そうよ。知らなかった? ──ねえ、つかささん。せっかくだし、見せてくれませんか?」
「いやぁ、ボクは……」
 思わぬ展開になり、つかさは大弱りになった。
 そこへ、茶をずずっとすすったつばきが一言、
「つかさ、やってごらん」
 と促した。祖母の言いつけでは、つかさも無碍には出来ない。
「……では、ちょっとだけ。薫、ちょっと借りるよ」
 つかさは畳に正座すると、薫の花器を前にして、スッと葉蘭を手に取った。その途端、余興を楽しむつもりだった生徒たちがハッとし、場に張りつめたような空気を感じ取る。注がれる目線はつかさの手へ。白魚のようなつかさの手は、優雅ともいえる動きで生け花に取りかかった。
 つかさは全身のどこにも力む様子なく、流れるような動作で五行型を形作っていった。生徒たちの誰もが苦戦した五行を表すバランスを美しく表現していく。その手練は華麗の一言に尽きた。
 ものの五分も時間をかけず、つかさは五行型を完成させた。師匠であるつばきが手本で作った物と比べても遜色ない出来。思わず、つかさの生け花を初めて見る生徒たちの口から、感嘆の吐息が漏れた。
「すごい……」
「でしょ?」
 つかさに生け花を頼んだ和装の婦人が、まるで自分事のように胸を張った。薫も久しぶりにつかさの腕前を見て、すっかり見取れてしまっている。
 期せずして拍手と嬌声が起こった。つかさは大いに照れて、頭を掻く。
「これで『武藤無心流』も安泰ですね、先生」
 生徒の一人がつばきに言った。このときばかりは、つばきもうっすらと微笑みを見せる。
「なあに、私の代で終わりにするつもりだよ」
「つかささんも、これでいつでもお嫁さんに行けるわね!」
「ボクは男ですってば!」
 悪乗りするOL風の生徒に、つかさは苦笑して見せた。
 そのとき、薫がおもむろに立ち上がった。
 何事かと、皆、一斉に仰ぎ見る。
「わ、私……ちょっと、おトイレへ」
 薫はそう言うと、和室から退室していった。
 それを見送るつかさの顔には、複雑な表情が浮かんだ。

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