RED文庫]  [「WILD BLOOD」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→



WILD BLOOD

第8話 ひとりぼっちの神隠し

−1−

「あー、また見失ってもうた!」
 徳田寧音<とくだ・ねね>は夕暮れどきの児童公園で、右手にカメラ、左手で額ににじむ汗を拭いながら、やるせなく呟いた。改めて周囲を見回してみるが、公園には寧音<ねね>以外、誰もいない。九月も下旬になったが、夏の名残か、どこからか蜩<ひぐらし>の鳴き声だけがむなしく聞こえてきた。

 ジジジジジジジッ……

 寧音<ねね>が追いかけているのは、同じ琳昭館高校の一年A組に転校してきた仙月アキトだ。アキトは転校早々に空手部の三年生とやり合ったり、生徒会長の伊達修造とテニスで対決してみたりと、校内でもかなり目立つ存在である。新聞部に所属する寧音<ねね>としては、とても興味が湧くキャラクターだ。それにアキトには何か秘密がある、と寧音<ねね>のジャーナリストとしての勘が訴えていた。
 それがハッキリしたのは、白昼の教室で獣のような怪物が暴れ回ったときだ。アキトはその怪物を相手に、真っ向から素手で戦った。どんなに格闘技の心得があろうとも、普通だったら殺されかねないほど凶悪な怪物である。しかし、アキトはそれを圧倒した(「WILD BLOOD」第5話を参照のこと)。
 不思議なことに、その事件は多くの生徒たちが目撃していたにもかかわらず、誰も憶えていない有様だった。まるで記憶操作でもされたかのように、異口同音に怪物など見なかったと言い、壊れた教室も学校荒らしの仕業だと片づけられ、ただ一人、怪物の犠牲となって重傷を負った木暮春紀も、今は病院の集中治療室で昏睡している状態だ。従って、いくら寧音<ねね>がその話をしても、信じてくれる者はおらず、夢か幻を見たのだと笑われた。
 しかし、そんなことはないと一番分かっているのは当人の寧音<ねね>だ。妄想と現実を混同するわけがないと自負している。そこで、自分の正しさを証明するため、加えてクラスメイトたちがどうして事件の記憶をなくしてしまったのかを解明するため、独自に調査を開始することにした。そこでやはり鍵となるのはアキトだ。
 他の生徒たち同様、もしアキトが事件当日のことを憶えていなかったとしても、あの恐ろしげな怪物と戦ったところを寧音<ねね>はしっかり目撃している。どうして、あんなことができたのか、それを究明するだけでも事件の真相に近づけるはずだ。
 ところが、肝心のアキトは寧音<ねね>の追求から、のらりくらりと逃げ回っていた。インタビューを申し入れればむべもなく拒否され、尾行してアキトの秘密を探ろうとすれば、簡単に勘づかれて、まんまと巻かれてしまう始末(半分くらいは寧音<ねね>のドジに原因があるのだが……)。一週間もアキトを追っているが、得られた情報はと言えば、同じA組の忍足薫<おしたり・かおる>から、
「底抜けに呆れるほどの単純バカで、ちょっと可愛い娘を見ると見境なく襲いかかろうとするスケベの上、おまけにどうしようもない生まれながらの変態で、がさつで、食い意地が張ってて、無礼きわまりなく、そのくせ何様のつもりなのか尊大なほど自信過剰で、思い通りにならないと、すぐにカッとするような子供みたいなところがあって、とにかく超がつくほどのどうしようもないヤツ」
 ということくらい(第5話より抜粋)。寧音<ねね>が知りたいことは、未だに皆無だ。
 また、学校の職員室に忍び込んで、アキトのデータを盗もうとしたこともある(おいおい)。取材対象の住所や家族構成を知っておくことは、ジャーナリストの基本だ。ところが、学生情報を管理しているはずのパソコンにハッキングしても、一年A組の担任教師の机をひっくり返しても、まだ転校してきたばかりのせいか、アキトの個人情報はどこを捜してもなかった。まさに八方ふさがり。
 実は、寧音<ねね>が知る由もないが、アキトのデータは、すべて理事長である玉石梓<たまいし・あずさ>の手中にあった。彼女はアキトの正体が東洋系の吸血鬼<ヴァンパイア>だと知っており、自らが招いた美人カウンセラー、毒島カレンとともに、何かを企んでいるらしい。そして、彼女たちとは別に、校長の信楽福文<しがらき・ふくふみ>も何やら裏で動いているようなのだが……まあ、それはまた別の話(笑)。
 とにかく、アキトに関する調査は、思いの外、進まなかった。
 だが、それで諦めるような寧音<ねね>ではない。いや、むしろターゲットのガードが堅ければ堅いほど、必ず特ダネをモノにしてやろうというファイトが湧く。
 寧音<ねね>は下校するアキトへの尾行を続けた。来る日も来る日も。
 しかし、どういうわけかこの一週間、ここ坂時町にある児童公園に差し掛かったところで、アキトは姿をくらませていた。
 どうせ、アキトは寧音<ねね>の尾行など勘づいているのだろう。必ずこの児童公園にある公衆トイレへ立ち寄るのが毎日のパターンだった。そこで不思議なことに、トイレへ入ったが最後、パッと消えてしまうのだ。
 公衆トイレには男女ともに入口はひとつだけ。他から出て行けるはずもなく、最初の日は暗くなるまで、「むっちゃ、長グ×やなあ」と思いながら(苦笑)、ずっとトイレの前で張り込むはめになった。そのときは、一時間くらい待ってから、たまたま通りかかった塾へ行く途中らしい中学生を呼び止め、中に誰かいないか確かめてもらったのだが、まんまと逃げられたと知らされたときは、その中学生がそそくさと逃げ出すほど、地団駄を踏んで悔しがったものである。
 結局、それが毎日繰り返され、いくらアキトを尾行しても、その自宅すら突き止めることは出来なかった。
 そんなことが続いて一週間、今日も寧音<ねね>は坂時町児童公園の公衆トイレ前で立ち尽くしていた。
 一体どんなトリックを使って姿を消しているのか。ひょっとして秘密の抜け穴でも掘ってあるんじゃないかと疑いつつ、検証しようにも、まさか男性トイレへ入るわけにもいかない寧音<ねね>は、今日も成果なしにガックリと肩を落とし、仕方なく自宅へ帰ろうと思った。

 ジジジジジジジッ……

 蜩<ひぐらし>が悲しげに鳴いている。過ぎ去ろうとしている夏。夕暮れどきの公園。
 汗ばんだ夏服の襟元と袖口から、涼しげな風が吹き込んだ。
 その瞬間、一歩踏み出した寧音<ねね>の足がふらついた。
 一瞬、地震かと思った。地面が波打ったような感覚。同時に耳鳴りがして、立っていられない。思わず、寧音<ねね>はその場にしゃがみ込んだ。倒れそうになって、両手を地面につく。その拍子に、かけていたメガネが落ちた。
「メガネ、メガネ……」
 横山やすし風に呟きながら、寧音<ねね>は落ちたメガネを手探りで捜した。何しろ、メガネなしだと裸眼では視力0.04で、ほとんど何も見えない。だが、すぐ下に落としたと思ったのに、メガネはまったく寧音<ねね>の手に触れなかった。
「お姉ちゃん」
 不意に声をかけられた。小さな女の子の声。寧音<ねね>は天の助けとばかりに、声がした方に顔を向けた。
「おっ、お嬢ちゃん、ええところに来てくれたなあ。お姉ちゃん、メガネ落としてしもうてんねん。悪いけど、拾ってくれへんか?」
 顔を向けては見たが、やっぱりメガネなしでは女の子の顔を見ることは出来なかった。全体的になんとなくそこにいるような、ぼやけた捉え方しか出来ない。
 女の子の返事は意外なものだった。
「メガネ? どこにもないよ」
 屈託のない無邪気な声。焦ったのは寧音<ねね>だ。
「何やて? そんなはず、あらへんやろ。たった今、ここで落としたんや。あるはずや」
 そう言いながら、寧音<ねね>は砂地の地面を探った。だが、やっぱりメガネは見つからない。
「どこにもないよぉ。アヤネ、ウソつかないもん」
 自分を“アヤネ”と呼ぶ女の子は、少しムクれたように言った。
 寧音<ねね>も目が見えない以上、さらに強くは言えなかった。本当にメガネはどこかへ行ってしまったのかも知れない。イヌか何かがくわえていったとか?
「お姉ちゃん、アヤネが一緒に見つけてあげようか?」
 アヤネが提案してきた。それは渡りに船だ。とにかくメガネがないと家にも帰れない。
「ホンマか? ほな、頼めるかいな」
「うん、いいよ」
 アヤネがセーラー服の袖を引っ張った。寧音<ねね>は恐る恐る立ち上がる。
「お姉ちゃんなあ、メガネがないと何も見えないんや」
「じゃあ、アヤネが手を引いてあげる」
 アヤネは寧音<ねね>の右手を握ってきた。小さく柔らかな温かい手。アヤネの先導で、寧音<ねね>はおっかなびっくり歩き出す。辺りはすっかり夕闇が迫っている。これ以上、暗くなったら、いくら公園の電灯がつくとはいえ、益々、見えなくなってしまうだろう。早いうちに見つける必要があった。
「おーい、メガネ。どこ行ったんや?」
 返事をするわけもないのに、寧音<ねね>は呼びかけてみた。

 ジジジジッ…… ジッ……

 いつの間にか、蜩<ひぐらし>の鳴き声は聞こえなくなっていった。

<次頁へ>


RED文庫]  [「WILD BLOOD」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→