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WILD BLOOD

第9話 あぶない夜は眠れない

−12−

 ドックン ドックン ドックン……
 まるで抱き合うような格好になったつかさと薫は、互いに自分の心臓の音が相手に聞こえてしまうのではないかと思った。暗がりで分からないが、きっと二人とも羞恥に顔を染めているに違いない。どちらも、ここまで異性を意識したことはなかった。
「ちょっと、何すんのよ!」
 薫はつかさに抗議した。と言っても、寝ている美夜に配慮して小声にしてある。それでも薫がかなり憤慨しているのは確かだ。
「ご、ごめん。でも美夜ちゃんが……」
 薫に責められ、つかさは言い訳した。トイレから戻った美夜は、そんな二人の状況も知らずに眠りこけている。ホットケーキの夢でも見ているのか、幸せそうな顔をしていた。
「とにかく、その手をどけて!」
 薫が鋭く注意した。それでようやく、つかさは気づく。つかさの手が薫の胸に押し当てられていたことを。
 丸みを備えた柔らかな弾力。薫に言われてから、急に感触が伝わってきた。
「わわっ、こ、これは!」
 慌てふためいたつかさは、急いで手を離そうと振り払った。だが、あまりにも慌てたため、薫が着ているワイシャツの合わせ目に指が引っかかってしまう。
 さらなる悲劇──いや、喜劇か?
 ぷちん! ぷちん! ぷちん!
「──っ!」
 あろうことか、ワイシャツのボタンがほとんど飛んだ。薫は前がはだけてしまい、慌てて胸元を覆い隠した。
「バカ! このスケベ!」
 薫はつかさを非難した。とんでもないハプニングに、つかさもうろたえまくる。
「い、いや、その、そういうつもりがあったわけじゃなくて──」
「当たり前よ! その気があったのなら、ただじゃおかないわ!」
 囁く程度の声だったはずが、段々とエスカレートしてきて大きくなっていた。美夜がうるさそうにうなり、体をよじる。
 どんっと、つかさはまた美夜によって押された。今度は腰の辺りが、薫の脚に接触する。
 すると薫は太腿に何か固いものが当たるのを感じた。恥ずかしそうなつかさを見て、そのモノの正体を知る(爆)。
「ヤダ……これ……」
 つかさも男だ。美少女二人に挟まれて、興奮するなというのが無理な話である。つかさは顔から火を吹きそうだった。
 困ったのは薫も同じだ。とりあえず、薫はそっと脚を動かして、当たっているモノから逃れようとする。すると、
「うっ!」
 と、つかさが切なそうな声を漏らした。薫は真っ赤になって、脚の動きを止める。
「へ、変な声を出さないでよ!」
「だって、薫が……」
「わ、私だって、そういうつもりじゃないんだから! お願いだから離れてよ!」
「そうしたいのは山々なんだけど……」
 美夜はすでにベッドの半分を占領していた。残り半分を二人で使うには、あまりにも狭すぎる。
 ここは美夜を起こすことになっても、ベッドを取り戻すべきか。いや、ワイシャツのボタンが飛んでしまった薫を見たら、美夜はつかさとの関係を疑うだろう。それも非常にマズイ。だからといって、このまま恋人同士でもない若い男女が肌を重ねたまま一夜を過ごすというのもとんでもない話だ。
 動くに動けず、つかさと薫は抱き合ったままジッとしていた。これでは益々、眠れない夜になりそうだ。二人の緊張と興奮は頂点に達しようとしていた。



 その頃、美夜が仕掛けた数々の罠<トラップ>をくぐり抜け、ようやくアキトは目的地まであと少しというところまで来た。ここから二つ目にあるドアが美夜の部屋だ。アキトはメラメラと闘争心を燃やしながら舌なめずりをした。
「待ってろよ。もうすぐ行くからな」
 誰に言っているのか、アキトは一人呟くと、恐る恐る足を踏み出した。きっとここに最後の罠<トラップ>が仕掛けられているに違いない。それをクリアできればゴールのはずだ。
 案の定、アキトの右足が床のスイッチを作動させた。
 ガシャン!
 何か音がしたと思った刹那、天井からギロチンを思わせる巨大な刃が現れた。
 それは畳半畳分くらいの大きさで、振り子のように揺れながら、アキトの方へ襲いかかってきた。アキトは慌てて、廊下の壁にへばりつく。その目の前を床すれすれに振り子の刃がかすめていった。
 他の罠<トラップ>もそうだが、一体いつ、こんな大仰な仕掛けを仕込んでいたのか。それも、まだ一軒家なら分かるが、マンションの一室である。到底、不可能としか思えない。アキトは我が妹ながら恐ろしくなり、同時にマンションの構造を疑った。
 しかし、そんなことを考えている場合ではなかった。振り子の刃は一つではなく、他に二つあったのだ。それも振れるタイミングが微妙に異なり、アキトを幻惑する。
「うひーっ! おひょーっ!」
 アキトは廊下の壁を行ったり来たりしながら、振り子の刃を避け続けた。振り子の刃は三枚が廊下に沿って動いている。一枚をやり過ごしたかと思えば、もう一枚が襲い、それを回避しても今度は後ろから別の刃が戻ってくるのだ。これではまったく前進できない。アキトはその場で右往左往した。まるで仕掛けだらけの迷宮を進むテレビゲームのキャラクターにでもなった気分だ。もっとも、この場合、ゲームオーバーは即、死を意味するが。
 とうとう、ここでギブアップか。
 否、仙月アキトはあきらめを知らない男だ。絶体絶命のピンチでこそ頭が冴える。
 アキトはひらめいた。起死回生の策を。
「とあっ!」
 迫り来る振り子の刃に対し、アキトはジャンプして、その上に飛び乗った。振り子のロープを握りしめながら、振り落とされないようにする。すぐ横を隣の刃がかすめていったが、動きがバラバラでも刃の高さは三枚とも揃っているので、アキトが取ったポジションは安全だった。
 まんまと振り子刃の廊下を攻略したアキトは、ブランコのように揺れる刃の動きを利用して、反対側へ着地した。虚しく揺れ続ける振り子の刃をチラッと振り返る。もう美夜の部屋は目の前だ。
「ふっふっふっ、待たせたな。仙月アキト、只今参上!」
 苦労に苦労を重ねて、ようやく美夜の部屋へ辿り着くことができ、アキトはこれ以上ない達成感に浸っていた。あとは念願のお楽しみタイムだ。
 アキトは手揉みをしてから、ドアノブに手を伸ばした。
 しかし、美夜は甘くなかった。最後の罠<トラップ>は、まだ残されていたのだ。
 ドアノブに触れる直前、アキトの頭上から荒縄で編まれた捕獲用の大きな網が降ってきた。すっかり油断していたアキトは、頭からスッポリと包まれてしまう。
「しまった!」
 悔やんでももう遅い。網は獲物を捕らえるとそのまま引っ張られ、アキトは蓑虫のように天井へ吊り上げられた。
「ち、ちくしょう!」
 アキトはドアノブに向かって網目から腕を伸ばした。もちろん、届くわけがない。宙づりにされたアキトは、ぶらんぶらんと情けない姿で揺れるだけだ。
「くそーぉ、こんなもの、すぐに引きちぎって──」
 アキトは両手に力を込めて、網を引きちぎろうとした。だが、そこへさらなる罠<トラップ>が。
 天井に設置されたノズルから、ピンク色のガスが噴射された。アキトはとっさに鼻と口を覆った。
 ガスは延々と吐き出された。廊下がピンク色に煙っていく。アキトは出来る限り息をしないようにした。吸血鬼<ヴァンパイア>なので、人間よりも長く呼吸を止めていられるが、それにも限界はある。美夜もそれを計算してのことだろう。ガスが途絶える気配はまったくなかった。
 ガスを吸い込む前に網から脱出しようとアキトは必死にもがいた。だが、網はなかなか引きちぎれない。
(ぐっ……せっかくここまで来て、あきらめられるかぁ! このドアの向こうにつかさたちがいるんだ! 絶対に忍び込んでいって、そんで……)
 アキトは懸命に自分を奮い立たせたが、やがて限界が訪れた。息が苦しくなり、ちょっとだけガスを吸い込む。その途端、甘い匂いがしたかと思うと、急速に意識が遠のき始めた。
 このピンク色のガスは催眠ガスだったのだ。それも吸血鬼<ヴァンパイア>であるアキトもイチコロなくらい強力な。
(ふ、不覚……)
 アキトは宙づり状態のまま、とうとう美夜の罠<トラップ>の前に屈した……。
 ちょうどそのとき、ドア一枚を隔てた美夜の部屋の中では──
 まだ、つかさと薫がベッドで体を絡ませたまま、どうやってこの状況から抜け出すか、悪戦苦闘を繰り返していた。
「ちょっと、どこ触ってんのよ!」
「薫こそ、動かないでよ!」
 まだ寝ている美夜を気遣いながら、二人は小声で口論していた。
「とにかく、どいて! 早く!」
「う、うん」
 つかさは苦労しながら四つん這いになり、仰臥している薫の上になった。ようやく体は離れたが、つかさはボタンの取れたワイシャツ一枚を羽織って横たわる薫の肢体を改めて見ることになり、生唾を呑み込む。それは暗がりの中でもハッキリと見えた。
「ヤだ、ジロジロ見ないで!」
 薫は恥ずかしそうに顔を背けた。その仕種が男心をそそる。
「か、薫……」
 いきなり、つかさは薫に覆い被さってきた。薫はビックリして、悲鳴を呑み込んでしまう。
「つ、つかさ……」
 思いもしなかったつかさの大胆な行為に、薫の心臓は破裂しそうだった。
(ウソ……まさか……まさか、つかさが!?)
 薫は身を固くしながらも、つかさをはねのけるようなことはしなかった。ギュッと目をつむり、隣の美夜が起きないことを祈る。
 だが、つかさは薫に欲情したわけではなかった。実は、アキト撃退用の催眠ガスがドアの隙間から部屋の中まで流れ込み、つかさを昏倒させたのだ。
 やがてガスの効果は薫にも及んだ。つかさにのしかかられたまま、薫も意識を失う。
 こうして、つかさ、薫、アキト、美夜の四人は昏睡状態に陥った。おそらく、朝になるまで目覚めないことだろう。近所迷惑にも騒がしかった仙月宅がようやく静かになる。
 もっとも、翌朝にはつかさと薫のとんでもない姿が発見され、さらに大変な騒ぎになることは想像に難くないが。

<第9話おわり>



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