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アキト危機一髪。
アリゲーターのエサにはなるまいと、アキトは踏んづけた石鹸から足を離した。その勢いで、つるっと石鹸がアリゲーターの口の中へ飛び込む。だが、アキトもまた転倒し、そのままの惰性でアリゲーターへと突っ込んだ。濡れたタイル床のせいでブレーキが利かないのだ。
「うひぃぃぃぃぃぃぃっ!」
さすがのアキトも観念しかけた。アリゲーターの口がパクッと閉じる。
火事場のクソ力──
食べられようとする刹那、アキトは両足を大きく開脚させ、アリゲーターの口が閉じようとするのを防いだ。力比べならいい勝負。いや、命の危険にさらされている分、アキトの方が必死だ。
「ガッ、ガガガガガガガッ!」
アリゲーターは何とか口を閉じようともがいた。強烈な圧力がかかる。しかし、アキトも文字通り踏ん張った。
「くっ、食われてたまるかぁ!」
アキトは両脚へさらに力を込めた。アリゲーターの口の角度が、さらに大きくなる。今度は顎が外れそうになったアリゲーターの方が悲鳴を上げた。
抵抗するアキトに対し、とうとうアリゲーターの方がじれた。アキトを解放すると、身をひねって、尻尾の一撃を喰らわす。
「ぐわぁっ!」
アキトはかろうじて両手でガードしたものの、その威力は凄まじく、反対側の壁まで弾き飛ばされた。背中を痛打する。
そのアキトへ追い打ちをかけようと、アリゲーターはすぐにも襲いかかろうとした。だが、その動きが、突然、止まる。
「?」
アキトが怪訝に思っていると、アリゲーターは大きなゲップをした。どうやら口の中へ飛び込んだ石鹸が引き起こしたものらしい。アリゲーターは苦しくて、涙目になっていた(ホントか?)。
脱出するなら今だ。出口はアリゲーターを挟んで反対側。それよりも近いのはアキトがやって来た吸気口だ。ちょうど真上にある。
アキトは吸気口へ跳び上がろうとした。だが、アリゲーターはせっかくのエサに逃げられては大変と、アキトに噛みついてきた。
「うわぁっ!」
足下をアリゲーターの鋭い歯がかすめ、アキトは肝を冷やした。しかし、足を食べられなかったものの、アリゲーターの歯がジーパンの裾に引っかかる。アリゲーターは首をねじ曲げるようにグイッと引っ張り、アキトを引き倒した。
「しつこいぞ、てめえ!」
アキトは倒されながらも、自由になっている方の足でアリゲーターの鼻面を蹴飛ばした。だが、怒り狂ったアリゲーターは、意地でもアキトを離さない。
「このぉ! くのぉ!」
鼻面を蹴っているうちに、誤ってアリゲーターの飛び出ている目に当たった。これにはさすがのアリゲーターもたまらない。
「シャアアアアアアアッ!」
アリゲーターは暴れた。そのせいで、アキトもタイル床の上を転がされ、バスルームの壁やバスタブに身体をぶつける。どうしてもアリゲーターの歯にジーパンが引っかかって、外れなかった。
このままではマズイと思ったアキトは、とっさにジーパンのベルトを外した。そして、ジッパーを下げ、ジーパンを脱ごうとする。アリゲーターにメチャクチャに振り回され、なおかつ濡れたジーパンが肌にくっついていて、なかなか思うようにいかなかったが、苦戦の末、何とか脱出に成功。アキトは慌ててアリゲーターから離れた。
アキトは荒い息を整えながら、ジーパンをムシャムシャと食べ始めたアリゲーターを見つめた。もちろん、これくらいでは満腹にならないだろう。案の定、アリゲーターはジーパンを胃の中に納めると、片眼をギロリとアキトへ向けた。
「どうやら、決着を着けないといけねえみたいだな」
死闘を演じてきたアリゲーターに、アキトは言葉をかけた。アリゲーターはそれを理解したかどうか。少なくともアキトへの戦意は、まだ旺盛に見えた。
「シャアアアアアアアッ!」
再びアリゲーターが威嚇の唸り声を発した。大きく口を開けて、のこぎりのように並んだ歯を見せる。ようやくアキトに、巨大爬虫類への恐怖よりも、戦うことへの悦びが湧き上がった。
「来いよ!」
アキトは手招きした。吸血鬼<ヴァンパイア>の血が騒ぐ。
アリゲーターは一呼吸置くと、猛然と襲いかかってきた。
それを予測していたアキトはまずバスタブへ跳んだ。そして、バスタブの縁を蹴り、今度はアリゲーターの背後へ跳ぶ。
三角跳び。
先程の失敗を教訓に、今度は低い天井を考慮してのアクションだった。
だが、アリゲーターはすぐさま尻尾を振るい、背後へ回ったアキトに攻撃を浴びせようとした。天然の皮ムチがしなり、空を切り裂く。
ビチッ!
アキトはその直撃を受けた。いや──
「上等じゃねえか!」
アキトはアリゲーターの尻尾を真っ向から受け止めていた。まるでのたくる大蛇か、活きのいいカツオを胸に抱くようにしながら、その手を離さない。アキトはそのままアリゲーターを持ち上げようと試みた。
「せぇいの!」
二メートルのアリゲーターがタイル床から離れた。とても普通の人間では持ち上げられそうもないアリゲーターをアキトは振り回し始める。回転は段々と加速がついた。
ジャイアント・スイング。
生まれて初めてかけられた大技に、アリゲーターは片眼を回した。
アキトはアリゲーターを振り回したまま、ロックされたバスルームのドアに叩きつけた。
どがーん!
深夜にはとてもはばかられるような大きな破砕音が響き、アキトを閉じこめていた忌々しいドアが吹き飛んだ。アリゲーターはそれだけでグロッキー状態である。しかし、アキトはさらにアリゲーターを振り回した。
「うりゃっ!」
アキトはトドメとばかりに、アリゲーターの尻尾から手を離した。アリゲーターはバキッという何かが砕ける音とともに、鼻先からバスルームの壁に叩きつけられる。血の痕をひび割れたタイルにこびりつかせながら、アリゲーターはずるずるとバスタブの中へ落ちた。
すると何かのスイッチが入ったのか、瞬間的にバスタブのお湯が沸騰し始めた。アキトが薫たちの入浴を覗こうとしたときに作動した罠<トラップ>に違いない。もっとも、今、その犠牲となっているのはアリゲーターだが。
アリゲーターは熱湯の中で溺れていた。仰向けに落ちたため、バスタブの狭さが邪魔して起きあがれないのだ。いくら暑さを好むワニとは言え、さすがにこの温度は致命的だった。
しばらくバシャバシャと水しぶきを立てていたアリゲーターは、不意に力を失い、動かなくなった。腹を見せた状態で、ぷかりと浮かび上がる。完全に茹で上がっていた。釜茹でにされたアリゲーターというのも珍しい。
アキトは合掌した。成仏しろよ、と。
とりあえず、これでまたひとつ、美夜の罠<トラップ>から脱出できた。アキトは濡れたTシャツを脱ぎ捨て、上半身裸の赤い柄パン一丁になると、即席のワニ・スープをあとにして、再び美夜の部屋を目指した。
深夜も一時を回った。しかし、つかさはまんじりとも出来ないでいた。
その原因は相変わらずどこかからか聞こえてくるドタンバタンという激しい音と奇声。きっとアキトが美夜が仕掛けた罠<トラップ>に片っ端から引っかかっている音だろうと想像はしているが、一向にギブアップしない根性は見上げたものだった。
アキトを近づけないことに成功した美夜であるが、一方で誤算もあった。この騒音のせいで、隣にいる薫が神経を尖らせ、眠れないでいるのだ。音が聞こえるたびに、唸ったり、身じろぎしたりする気配が、美夜を挟んでつかさのところまで伝わってくる。美夜としては、薫が寝付いたのを見計らって、つかさを誘惑しようという魂胆だったのだろうが、これではいつまで経っても、そんなチャンスは巡ってこない。とうとう美夜の方が根負けして、今では本当に眠ってしまっていた。
美夜が夜這いをかけてくる心配がなくなったので、つかさも眠りたいところなのだが、完全に目が冴えてしまっていた。眠らなければと思うほどに寝つけない。
(こういうときは、ヒツジを数えるのがいいって言うよね。よーし、ヒツジが一匹、ヒツジが二匹、ヒツジが三匹……あれ? ヒツジって一匹、二匹で数えるんだっけ? 同じ家畜の牛は一頭、二頭だよね? ん? でも、ブタは一匹、二匹でいいのか?)
と、まるで夫婦漫才の春日三球・照代の地下鉄ネタみたいなことを考え出したら、余計に眠れなくなってしまった(若い読者には分かるかな?)。
疲れ果てたつかさがぐったりとした途端、いきなり隣で寝ていた美夜がむくりと起きた。寝ていなかったのかと驚く。しかし──
「おトイレ……」
美夜は寝ぼけ眼をこすりながら、そうのたまわった。つかさは一瞬、呆気に取られ、すぐさまベッドから降りる。
つかさの動きを認識しているのかいないのか、美夜はフラフラと立ち上がると、部屋を出ていった。どうやら本当にトイレらしい。つかさはホッと胸を撫で下ろし、ベッドへ戻った。
「ちょっと!」
耳元で鋭い声がしたので、つかさは首を向けた。薫の苛立った顔が目の前だ。
「な、何?」
ここまで薫と顔を近づけたのは初めてだった。見かけだけはとびきりの美少女なので、つかさはドギマギしてしまう。
だが、薫の方はいつもの調子だった。
「まだ、あのバカ、諦めていないわけ?」
薫の言う「あのバカ」とは、もちろんアキトのことだ。
「だろうね。夜が明けるまで、ああやって侵入を試みるんじゃない?」
そう言っている矢先に、アキトの悲鳴が遠くから聞こえてきた。
「まったく、寝られやしないわ! だから、さっさと帰れば良かったのに!」
「そんなこと言ったって、美夜ちゃんと風呂まで付き合ったのは薫だろ? あれが余計だったんだ」
「私の責任にするつもり? アンタだって、特上にぎりに目が眩んだくせに」
「うっ! そ、それは薫もじゃないか」
「第一、何で男であるアンタが女の子の部屋に泊まってんのよ?」
「しょうがないだろ。美夜ちゃんが強引に──」
「とか何とか言っちゃって、ホントはスケベ根性を出したんじゃないの?」
「違うよ」
「どうだか分かったもんじゃないわ。いいこと? 美夜ちゃんに変なことをしたら、タダじゃおかないからね!」
変なことをされそうになったのはこっちだと言いたかったが、そんなことがバレたら、余計に薫は逆上するだろう。つかさは黙っておくことにした。
そこへ美夜が戻ってきたので、口論は中止になった。二人とも何事もなかったかのように寝たふりをする。
すると──
どん!
ベッドへ潜り込んできた美夜は、元の真ん中には戻らず、つかさがいた端っこにポジションを取った。それによって、自動的につかさは真ん中になり、薫と隣り合うことになる。しかも、美夜は完全に二人の存在を忘れてしまったのか、もっとベッドを占領しようと、つかさの体をグイグイと押した。そのため、つかさと薫の体が密着することに。
「──!」
二人の顔がさらに急接近した。
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