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「うーむ……」
伊達修造は苦悩していた。
──おっと、いくら賢明なる読者でも、この登場人物のことをすっかり忘れてしまっていることだろう(苦笑)。彼こそ、琳昭館高校の生徒会長であり、元テニス部のエース、伊達修造であった(「WILD BLOOD」第3話参照)。
学業優秀で、スポーツも万能、容姿端麗で全校の女生徒から大人気という、この一見すると誰よりも恵まれている立場の男が、なにゆえ悩みを抱えているのか。
それは一ヶ月ほど前に遡る。
伊達は保健室で、一人の一年生と出会った。その可憐さ、その愛らしさ。スマートな外見とは裏腹に、無類の女好きである伊達は、一目でその一年生を気に入り、下心を疼かせた。ところが、その一年生こそ、一年A組の武藤つかさだったのである。
つかさは、見た目、女の子そのものだが、歴とした男の子だ。それをあとで知ったとき、伊達が受けたショックは計り知れないものだった。
「ああ、ボクはなんという過ちを犯してしまったんだぁ!」
単なる勘違いをしただけだというのに、伊達は頭を掻きむしるとオーバーなアクションで身悶えた。幸い、伊達が今いるこの生徒会室には他に誰もいない。もし、こんなところを彼のファンに見られでもしたら、伊達修造のイメージが崩れていたことだろう。
伊達は横臥しそうなほど身体を反らすと、右手で顔を覆った。
「しかも、なんということか! ボクの心は、あの武藤つかさに奪われたままとは!」
そうなのだ。つかさが男と分かっても、伊達の劣情は未だ醒めることがなかった。それどころか、日に日に募る想いに、伊達は食事もロクに喉を通らないくらいにまでなっていたのだ。
つかさが女なら、伊達もこんなに悩まずに済んだだろう。いつもの調子でさっさと口説き落とし、その貞操を奪ってしまえば満ち足りるのだから。
しかし、相手が男であるとなると、そうはいかない。第一、男である伊達が同じ男を口説いてどうする。自分はノーマルだ、同性愛者などでは決してない、と信じている伊達にとって、そんなことができるはずがなかった。そもそも、そんなことが周囲にバレたら、これまで築き上げてきたものが、一瞬にしてすべてパーになってしまう。それでいて、つかさへの想いを断ち切ることもできない。心のどこかで、あの愛らしい顔をしたつかさが男であるということを、どうしても認めることが出来ないのだ。伊達の煩悶は延々と続いた。
「ああ、武藤つかさ! なぜ、キミは男なんだ!? まったく、なんという運命のいたずらか! ボクのこの想いを、一体、どこへぶつければいいというのだ!?」
伊達はシェイクスピア俳優もかくやという懊悩ぶりを全身で表現した。これ以上、つかさへの劣情が膨れ上がったら、気が触れてしまいそうだ。
──コンコン
そこへ生徒会室のドアがノックされた。伊達は瞬時に苦悶の表情から、爽やかな二枚目スマイルに豹変する。これは条件反射だ。他人に対しては、完全無欠なイケメン高校生、伊達修造を演じるのである。
「どうぞ」
声までしっかりと作り、伊達は来訪者を招いた。ドアが開けられると、そこに一人の女子生徒が立っている。
普通、相手が女子生徒──それも可愛ければ言うことなし──であれば、伊達は無条件で歓迎するのだが、彼女に対してだけは少し違った。女性を虜にするキラー・スマイルが、ややぎこちなく固まってしまう。
「ちょいと失礼しまっせ!」
関西弁で中へと入ってきたのは、一年C組の徳田寧音<とくだ・ねね>だった。その首には一眼レフ・カメラが下げられている。寧音<ねね>は新聞部の部員で、常日頃からシャッターチャンスを狙い、カメラを手放さないのだ。
学年こそ違うが、伊達は寧音<ねね>のことをよく知っていた。まあ、伊達にしてみれば、琳昭館高校の女子生徒の名前と顔、それにスリーサイズ(!)はほとんど当たり前に網羅しているのだが、寧音<ねね>に関してはそういうことではなく、心にやましさを持っている人間にとって、最も畏怖されている存在だから、という理由からだ。
新聞部である寧音<ねね>は、とにかく、その取材能力に長けていることが有名だ。彼女が入学してから、わずか半年の間に、某英語教師と女子生徒の援助交際が暴露され、ラグビー部による飲酒が発覚し、二年B組による集団カンニングが明るみとなった。それらのスキャンダルを、いつ、どのようにしてつかんでくるのか不明だが、特ダネを探し出す独特の嗅覚は脅威的で、今度は誰が寧音<ねね>のターゲットにされるのか、身に覚えのある者としては戦々恐々としている、というのが現状である。
伊達とて、これまでの女性関係を公表されでもしたら身の破滅だ。できれば、自分には近づいて欲しくないと、常々、願っている。
その寧音<ねね>が、わざわざ生徒会室を訪ねてきたとは。伊達は不吉な予感がして、思わず怖気立った。
「な、何の用かね?」
まさか、さっきの心の発露を聞かれたのではないかとヒヤヒヤしながら、伊達は努めて平静を装った。いつも以上に白い歯を輝かせる。
ところが、対する寧音<ねね>もニッと笑った。牛乳瓶の底のようなメガネの奥では、油断のならない眼が光っている。伊達は戦慄を覚えた。
「実は生徒会長はんに、見て欲しいものがあるんやけどな」
寧音<ねね>は伊達に近づきながらそう言うと、一枚の写真を取り出した。伊達はそれを覗き込む。
「──っ!」
それはつかさの写真だった。体育の授業中に撮られたものらしく、体操着を着ている。バストショットの写真では、到底、女の子にしか見えない。伊達が保健室でつかさと初めて会ったときも、上半身、体操着姿で、胸をときめかせたものだ。
伊達は、ゴクッと生唾を呑み込んだ。つかさの生写真。喉から手が出るほど欲しい。
「どうでっか? よく撮れとるやろ? 生徒会長はんには特別価格、一枚五百円で譲ってやってもええんやけど?」
大阪商人よろしく、寧音<ねね>は吹っかけた。伊達はうなずきかけたが、理性のブレーキがそれを押しとどめる。伊達はうなずく代わりに、フッと笑みを漏らした。
「どうしてこのボクが、一年生の男子生徒の写真を欲しがらなきゃいけないんだね?」
垂涎の一枚であるにもかかわらず、伊達は無関心を装って見せた。本当は、今すぐにでも寧音<ねね>の手から奪って、頬ずりしたいくらいなのだが。
すると寧音<ねね>は、ほほう、と唇を尖らせた。
「別に欲しゅうないって言うこっちゃね?」
寧音<ねね>はこれみよがしに、つかさの生写真をヒラヒラと振った。伊達の目線は、ついつい生写真を追いかけて、左右に動いてしまう。もちろん、それを寧音<ねね>が見逃すわけがなかった。
「なら、こいつは破いてしまおか?」
寧音<ねね>はつかさの生写真を両手でつまむと、それを引き裂くようなマネをした。伊達が焦る。
「ま、待て! 待ちたまえ! な、何もせっかく撮った写真を破いて捨ててしまうことはないだろう?」
「でも、ウチには必要ないものやしなあ。売り物にもならないようやし、ゴミにしてしもうてもええやろ。そうでっしゃろ、生徒会長はん?」
寧音<ねね>は明らかに、伊達がつかさのことを好きだと踏んでいる。その上で持ちかけた取引──いや、ゆすりだ(苦笑)。ここで突っぱねても、後日、新聞の一面に暴露記事として掲載されるかもしれない。
伊達は悩んだ末に答えを出した。
「わ、分かった、しょうがない。その写真、五百円で引き取ろうじゃないか」
「さすがは生徒会長はん! 毎度あり!」
伊達は五百円と引き換えに、つかさの生写真を手に入れた。それを眺めながら、つい顔がニヤけそうになる。なんて可愛いんだろう。いくら眺めても女の子にしか見えない。帰ったら、自分の机の上に飾ろう。伊達はつかさの生写真を大切にしまった。
ところが、これだけで終わる寧音<ねね>ではなかった。
「実はなあ、他にもまだ写真があるんや」
寧音<ねね>は十枚ほどの写真を、まるで扇子のように手元で広げた。どれもつかさの秘蔵ショットだ。それも一枚一枚、違ったものである。伊達は目を見開いて吟味したが、どれひとつとしてカスはなかった。おそらく盗み撮りだと思われるが、ここまでの写真を撮れるとは、どうやら寧音<ねね>はスキャンダル記事だけでなく、カメラの腕前も一級品のようである。
伊達の反応は決まっていた。
「よ、よし! 皆まで言うな! 払おう! 一枚五百円だな? 全部もらおうじゃないか!」
「おおきに! 九枚あるさかい、しめて四千五百円や!」
まんまと寧音<ねね>の術中にハマり、伊達は今月の小遣いのほとんどをつぎ込むはめになった。この出費は非常に痛いが、次第につかさの生写真十枚を手に入れられた喜びの方が大きくなる。伊達は満足していた。
だが、寧音<ねね>の商人魂は、伊達の想像を遙かに超えていた。
「そうそう。その写真のネガもあるんやけど? うーん、写真を買うてくれたし、大マケにまけて、三千円にしとこか」
「………」
伊達は黙って三千円を支払った。さすがにここまで来るとグウの音も出ない。最初からネガがあるのだと分かっていれば、写真を一枚五百円という高値で買う必要はなかったはず。徳田寧音<ねね>、恐るべし。
それと同時に、伊達はある仮説を立てて身震いした。
これまで寧音<ねね>が発表したスキャンダル記事など、実は氷山の一角に過ぎないのではあるまいか。本当はもっと多くのネタを抱えていて、単にそれを公表していないだけなのではないか。ひょっとすると、寧音<ねね>に秘密を握られ、要求されるがままに口止め料を支払っている人物は、この琳昭館高校に大勢いるのかも知れない。
徳田寧音<ねね>──お主も悪よのう(苦笑)。
「と、徳田くん、どうかこのことは内密に……」
生徒会長であるはずの伊達が、下級生の女子生徒に懇願した。寧音<ねね>はメガネのズレを直しながら、うなずいて見せる。
「分かってまんがな。他人の趣味をどうこう言おうだなんて、ウチ、これっぽっちも思うてへんから」
そう言いながらも、寧音<ねね>の唇は歪められていた。もうこれで、二度と寧音<ねね>には頭が上がらないだろう。伊達は心の中で深いため息をついた。
「───」
そんな生徒会室の様子を廊下から窺う一人の人物がいた。寧音<ねね>と同じように、首からカメラを下げている。
「あの生徒会長の伊達さんがねえ……」
中の二人に聞こえないよう呟いたのは、写真部に所属している一年B組の大神憲<おおがみ・けん>だった。もっとも、現在の写真部は幽霊部員のふきだまりで、活動らしいことはしていないのだが。
大神は人間ではない。彼は満月の夜になると人狼に変身する狼男である。その大神の人間離れした聴力は、これまでの会話をすべて耳にしていた。
「おっと、こうしちゃいられない!」
大神は足音ひとつ立てずに生徒会室から離れると、逃げるように廊下を走りだした。
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