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WILD BLOOD

第13話 学園の支配者

−1−

「不吉だわ」
 三角形に配置された三枚すべてのタロット・カードをめくり終えた黒井ミサは、誰にともなく呟いた。
 ここは黒魔術研究会の部室。通称“黒研”。生物室を拝借したものだが、窓は黒いカーテンで覆われ、ロウソクが灯された薄暗い室内は足下から忍び寄る言い知れぬ冷気のようなものを感じる。床には禍々しい六芒星の魔法陣。その他、首から上だけになった山羊のはく製や、カエルやヘビ、トカゲ、サソリといったもののホルマリン漬け、マンドラゴラの薬草、梵字で書かれた呪符、マチ針がハリネズミのように無数に刺さったワラ人形、黄金でできた血の杯、魔道書ネクロノミコン、死海文書、水晶でできた髑髏、得体の知れない生物の骨などなど、どこから持ち込んだものやら、――いや、そもそも日常的にはちゃんと生物室として使われているのか疑わしくなるほど、様々なものがミサの周囲を取り巻いていた。
 ここまで来ると、黒魔術研究会よりはオカルト研究会と呼んだ方がよさそうだが、ミサはあえて区別し、ただ一人の部員となっていた。日頃から、どのような活動をしているのか、誰も恐れをなして知りたがらないが――さわらぬ神に祟りなし、である――、ミサの占いはよく当たると評判で、たびたび、訪れに来る者がいるという。ただし、ミサが占いで当てるのは口に出すのもはばかられる不幸なことばかりで、必ず相談者は後悔しながら帰っていくという、もっぱらの噂だ。
 そのミサが朝っぱらから――外が明るいというのは、かろうじてカーテンの隙間から分かる――黒研の部室に来てタロット占いをするのは日課になっていた。何でも自宅より、この琳昭館高校の方がパワー・スポットになっているかららしい。
 だが、この日の占いは、これまでにないほど最悪の結果が出たようだった。三枚のタロット・カードをめくったミサは、その表情こそ崩さなかったが、顔色は白蝋に近い。
「正位置の“悪魔”に、逆位置の“皇帝”、そして逆位置の“節制”……」
 正位置の“悪魔”が意味するものは、邪心、束縛、堕落など。
 逆位置の“皇帝”が意味するものは、傲慢、尊大、横暴など。
 逆位置の“節制”が意味するものは、浪費、消耗、不安定など。
 タロット占いは、これらのカードが意味するものから結果を読み取る。それは占う者の資質によるところが多いとも言えよう。誰もが同じカードを見て、同じ未来を託宣するとは限らないのだ。
 しかし、今、占っているのは、誰あろう黒井ミサだ。彼女を知る者の多くは、陰で密かに、こう呼んで畏怖している。“魔女”と。
「何かがこの学校で起きようとしている……それも、これまでにない最悪の出来事が……」
 それが、三枚のカードから読み取った結果だった。そして、何よりも忘れてならないのは、ミサの占いは、恐ろしいくらいによく当たるということだ。特に悪いことは百発百中。逃れる術なし。
 ミサは残っているタロット・カードから、新たに一枚をめくった。それは災厄に対するキー・カード――のはずであったが……。
「正位置の“愚者”ね」
 琳昭館高校の魔女、黒井ミサは、それ以上、何も言わず、“悪魔”の隣に“愚者”のカードを並べた。



「大変や! 大変や! 大変やぁぁぁぁぁぁっ!」
 一年生の教室が並ぶ廊下を、まるで砂煙を上げて移動するバッファロー、はたまた銭形平次の元へ馳せ参じる子分・八五郎か、というような勢いで走る一人の女子生徒の姿があった。徳田寧音<とくだ・ねね>。新聞部に所属する一年C組の生徒だ。
 寧音は掲示板に貼ってあった『廊下は走らない!』の標語が書かれた掲示物を風圧で吹き飛ばしつつ、自分の教室の前でキキキキキィィィィッと急ブレーキをかけた。勢い余ってリノリウムの床をツーッと滑り、三メートルくらいオーバーランする。慌ててたたらを踏み、教室のドアを壊そうかという手荒さでガラリと開けた。
「ニュースやで! 大ニュースや!」
 寧音は声高に言うと、教壇に立ち、両手でバァーンと教卓を叩いた。
 何事だ、と当然の反応を示す者の多い中、桐野晶<きりの・あきら>は頭痛を覚えたように、こめかみを手で押さえた。寧音の大ニュースは毎度のことだ。それが大騒ぎに見合うだけのネタであればいいのだが、その多くはどうでもいい事柄ばかり。それを何十倍にも膨らませる悪癖が寧音にはある。どうやら、一流ジャーナリストにあこがれている割には、三流ジャーナリストに毒されているらしい。それさえなければ、晶もうんざりしないのだが。
 しかし、クラスメイトの多くは、寧音の口癖になっている大ニュースに期待していた。実のところ、大したネタでなくても構わないのだ。寧音がどれだけ面白おかしく脚色して楽しませてくれるか。それこそが重要なのだった。それに、ときとして本当の特ダネをどの情報通よりも早くもたらしてくれることもある。
「ねねちゃん、なになにぃ? どぉしたのぉ〜?」
 今まで後ろに身をひねりながら晶と会話していた伏見ありすが、トレードマークになっているおさげのボンボンを揺らしながら、楽しげに尋ねた。ありすは、ちょっとトロい口調と一緒で、能天気な性格をしている。
 晶を除いたクラス全員が興味津々な様子を見て、寧音は得意げな表情を作った。この瞬間こそ、彼女の虚栄心がくすぐられるときだ。うぉっほん、などと、もったいぶった咳払いをして発表に入る。
「諸君! 耳の穴かっぽじって、聞いて驚け! なんと本校に、また新しい転校生がやって来たんや!」
 寧音が高らかに明かすと、おおっ、というどよめきが教室で起きた。今度は可愛い女子か、と“彼女いない歴=今までの人生”という数多の男子生徒が色めき立つ。何しろ、このひと月前にやって来た転校生は男で、しかもとんでもないヤツだったからだ。
 そんなクラスメイトたちに、寧音は不敵な余裕をかました。この情報を知っているのは、この学校の生徒の中で、彼女ただ一人であるためだ。何せ、たった今、職員室で盗み聞きしてきた産地直送、アツアツでジューシーな情報である。その優越感をじっくりと噛みしめているかのようだった。
「ふっふっふっふっ……それはやなあ……」
 ゴクッ、と誰かが固唾を呑む音がした。寧音はビン底メガネを指で押さえながら、たっぷりとタメを作る。じらしにじらし、そして、満を持して、ニヤッと笑った。
「喜べ、女子諸君! そして、恵まれぬ星の下に生まれた不幸を呪え、男子ども! 転校生は――男や!」
 その瞬間、女子からは黄色い歓声があがり、男子は手近にあった鞄や教科書、上履きといったものを悔し紛れに床へ叩きつけた。またしても可愛い転校生の彼女とのラブラブ学園生活(妄想)は夢と消えたのである。やれやれ。
 悲喜交々の教室内で、晶だけが冷めた顔つきで狂乱を眺めていた。転校生くらいでこんなに騒ぐとは。小学生か、アンタらは。
「で、何年何組に転入してくるわけ?」
 晶が素っ気ない口調で寧音に尋ねた。いくら転校生を歓迎しようと、他のクラスでは話にならない。
 そこで寧音はまた、ニヤニヤッと何やら企みを感じさせる笑みを浮かべた。
「学年は――ウチらと同じ一年や」
 再び、どよめきの第二波が、どっぱーん、と教室内をさらっていった。同じ学年ということで女子たちは期待に高まる。男子は、もう、どうでもいいぜ、といった感じだ。
「でもって、どこのクラスかと言うと――」
 寧音の小出し作戦は、まんまと功を奏した。注目を一身に浴びる。
 全ての視線が自分に集まったことを十二分に確認してから、寧音はお手上げのポーズを取り、口をへの字に曲げた。
「残念やけど、隣のB組やて」
 ああああっ、という落胆の声が深いため息に変わっていった。期待を持っていなかった晶は白けきっている。結局、隣のクラスに転校してくる男子をネタにして、寧音が大騒ぎをしたかっただけの話ではないか。
 だが、新しいクラスメイトを受け入れられなかった落胆はあっても、どんな転校生であるか、その興味は尽きないらしかった。クラスの女子たちは、各々、想像を働かせてペチャクチャとくっちゃべり始める。
「ねえねえ、あきらちゃん。どんな人だろうねぇ〜?」
「さあね」
 同じ女子でもさばさばした性格の晶は、ありすが話しかけてきても、まともに取り合わなかった。別に芸能人がやってくるわけでもないだろう。誰でも同じだ、と晶は思っていた。
「ありすねぇ、王子様みたいな人がいいなぁ〜」
「はぁ? 王子様ぁ?」
 ときどき、ありすが考えていることについていけなくなって、晶は呆れ果てる。入学してから半年の付き合いだが、未だにありすの思考回路が分からない。にもかかわらず、ありすの方は何かと晶を慕ってくるのだった。多分、姉のように思っているのだろう。――いや、ひょっとすると姉ではなく、兄のようにかもしれないが。
「ありすねぇ、結婚するなら王子様みたいな人がいいのぉ。白馬に乗った王子様ぁ」
 十六にもなって、メルヘンチックな世界を生きているありすに、晶はとことん疲れた。このクラスには、もうちょっとマシなヤツはいないのか。
「不吉だわ」
「うわぁぁぁぁぁっとととっ!」
 いきなり背後から陰々滅々とした声でささやかれ、晶は驚いて飛び上がりそうになった。
 晶の後ろの席にいるのは黒井ミサだ。さっきまでいなかったはずだが、いつの間に教室へ入って来たのか。第一、今の今まで気配すらなかったと晶は断言できる。それなのに、だ。本当に黒魔術を使えるのではないかと、晶は背筋に冷たいものを感じて震えそうになった。
「ちょっと、ミサ! いつもながら、その神出鬼没な登場の仕方はやめてよ!」
 最近、なんとなく自分の寿命が縮められているような気がして、晶は後ろのミサに抗議した。しかし、当人はまったく取り合わない。ミサは自分の周りに、彼女だけの世界を張り巡らせている。晶の言うことなど、ミサにとっては外界の出来事に過ぎないのだ。
「“悪魔”のカード……訪れる災厄……この学校は恐ろしい王のものになる……」
「なに? ミサ、なんのこと?」
 ぼそぼそと喋るミサの言葉を所々しか聞き取ることができず、晶は問い返した。もちろん、答えを得られるとは思っていないが。
 そのとき――
「来た!」
「彼じゃない?」
 隣のB組に来る転校生を一目見ようと、廊下の様子を窺っていた女子生徒がささやくように、それでいてみんなに聞こえるように知らせた。多くの女子生徒はもちろん、不貞腐れていた男子生徒たちまでが席を立ち、教室の出入口に押し寄せる。興味がなかった晶も、自分の席から動きはしなかったが、なんとなく釣られるように首を伸ばした。
 その日、琳昭館高校に、転校生という人の形をした災厄が訪れた。

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