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「もうちょっとアキトも急いでよ!」
武藤つかさは同級生である仙月アキトの背中を押しながら、校門をくぐった。もうすぐ朝のホームルームが始まろうかという時間だ。担任が教室へ来る前に着席していなければ遅刻になってしまう。
ところが、つかさが必死になって急かしているにもかかわらず、アキトはまったく意に介していないようだった。口には、ほぼ骨だけと化したアジの開きをしゃぶっている。今朝、つかさの食卓に出ていたおかずだ。それをアキトは勝手に家へ上がり込んだばかりか、つかさの祖母であるつばきの目をかすめて、丸々一尾、盗み食いしたのである。それを、まさに骨までしゃぶり尽くしながら、アキトは泰然自若としていた。
「まあ、待てよ、つかさ。どうせ遅刻するんなら、走って疲れるだけムダってモンだろ? のんびり行こうぜ、のんびりよぉ」
今や、後ろにいるつかさに全体重をかけるように、斜め四十五度の姿勢になりながら、アキトはいけしゃあしゃあと言った。アキトはつかさと違って、真面目に学校へ通う気などない。アキトが学校へ通うのは、つかさが行くからだった。
仙月アキトと武藤つかさ。この二人はひょんなことから出会った。以来、アキトは何かとつかさにつきまとうようになり、こうして四六時中、一緒にいることが多い。傍若無人な振る舞いが目に余るアキトに、つかさはほとほと困っているが、その一方で、唯一の友人とも言える存在を邪険にすることもできずにいる。つかさは、よく言えば優しい性格――悪く言えばお人好しなのだ。
懸命にアキトを急がせようとしていたつかさだったが、いい加減に押すのもバテた。元々、小柄なせいで、体力がないつかさは、アキトの背中を押すのを中断し、ふーっ、と一息つき、額の汗を拭った。
その途端、ふんぞり返っていたアキトは、不意に背中の支えを失って、ばったーん、と倒れた。顔をしかめて、うめき声を上げる。
「てーっ!」
「あっ、大丈夫?」
とは、つかさ。アキトが倒れたことに本気でビックリした様子だ。
アキトは倒れながら、つかさに怒鳴った。
「『大丈夫?』じゃねえ! いきなり手をどけるな!」
「ごめん」
つかさは素直に謝った。別に、倒れたのはアキトの自業自得と言われても仕方ないのに。そこがつかさの美徳というか、呆れ返るほどのバカ正直さというか。
「とにかく、急ごうよ!」
「お、おい!」
つかさはとうとう我慢できず、先に駈け出した。校門までアキトを押してきたのだ。もう、これ以上は面倒見切れない。ここまで見捨てなかっただけでも感謝してもらいたいくらいだ。
アキトは尻の埃をはたきながら、渋々、つかさの後を追った。
校舎の二階へ上がると、ホームルームが始まろうかというのに、どういうわけか廊下は生徒たちでごったがえしていた。正確には、女子生徒たちによって。何事かと、アキトとつかさは顔を見合わせる。
おもむろに、キャーッという黄色い歓声が上がった。誰か芸能人でも来たのか。教師の「教室へ戻りなさい!」という注意の声が聞こえたが、女子生徒たちはそれに従おうとしなかった。
廊下の騒ぎを聞きつけて、一年A組の教室からも首を出している生徒たちがいた。その中には、二人のクラスメイトである忍足薫<おしたり・かおる>もいる。つかさはその薫に尋ねてみた。
「何なの、この騒ぎ?」
「さあ? 私にも分からない。B組やC組の生徒が騒いでいるみたいだけど」
薫もどうしてこんな騒ぎになったのかまでは知らないようだった。
騒ぎはまったく収拾がつかないかに思われた。が、どうやら注目の人物は女子生徒たちに囲まれながらも、少しずつ移動しているようだった。ほとんどもみくちゃの状況ながら、台風の目がB組の教室入口に辿り着く。
そのとき、アキトたちにも渦中の人物が見えた。一人の少年の姿が。
その少年は爽やかな印象を抱かせる微笑みをたたえていた。身長はそんなに高くないが、人気男性アイドル並の甘いルックスは、女子生徒に嬌声をあげさせるには充分であったろう。口許からこぼれる白い歯がキラリと光ったような気がした。
「転校生、かな?」
「そうみたいね」
つかさと薫は小声でささやきあった。
その一方で、アキト一人がムッとした表情を見せる。どうやら、女子生徒たちにチヤホヤされているのが面白くないらしい。そのくせ、本人は全校女子から、ドスケベ、変態、変質者、と嫌われているという意識が皆無なのだから、おめでたいヤツだ。
そのアキトと転校生の視線が、一瞬だけ、チラッと重なった。しかし、ただそれだけのことで、転校生はB組の担任教師に促されて教室へ入っていく。
転校生がいなくなったことで、廊下に出ていた他のクラスの生徒も、次第に自分の教室へ戻って行った。事態の収拾に手こずっていた各担任教師は、これでようやく朝のホームルームが始められると、安堵した顔つきをする。それにまぎれて、つかさたちもA組の教室に入った。
「ラッキーだったね。転校生のおかげで、遅刻しないで済んだ」
つかさは単純に、騒ぎの恩恵に感謝した。アキトは渋い顔だ。まだ、新しい転校生の人気ぶりに合点がいかないらしい。
「今度の転校生はまともそうね。安心したわ」
薫もこの一件に感想をつける。アキトの目つきが剣呑になった。
「何だよ、そりゃ? どういう意味だ?」
アキトの追及に、薫はさらりと答える。
「いえいえ、別に。ただ、このクラスに来た転校生は、いろいろな意味において規格外だった、ていうだけの話よ」
「何だとォ!?」
薫の言葉にカチンときて、アキトは拳を振り上げかけた。
「おーい、ホームルーム始めっぞ!」
担任の一声が二人のやり取りを打ち切った。
アキトは面白くなさそうに、ドカッと自分の席に座ると、まだ口にしていたアジの開きの骨をばりぼりと噛み砕いた。
昼休みの話題は、大方の予想通り、一年B組にやって来た転校生で持ちきりになった。何しろ、女子からすればアイドル顔負けの美少年である。黙っていられるわけがない。あちこちで寄り集まっては、噂話に花が咲いた。
「やっぱり、みんな、気になるんだね、転校生って」
祖母が作ってくれたお弁当を広げながら、つかさはざわつく教室を見回した。
「そんなの最初のうちだけよ」
つかさの前で先に食べ始めていた薫が、横合いからミートボールにそっと手を伸ばすアキトをぴしゃりと叩きながら、あまり関心なげに言う。薫にとっては、イケメン転校生も関係ないらしい。
「まあ、どこかの誰かさんみたいに、あまりにも人間離れしていれば、年がら年中、素敵な話題を提供できるでしょうけど」
防衛に成功したミートボールを口の中に放り込みながら、薫は一言付け加えた。
アキトはジト目で薫を睨んだ。
「あのなぁ、ひとを怪物みたいに言うなよ」
さも心外そうに反論したアキトであったが、似たようなものじゃん、とつかさは二人のやり取りを見ながら思った。もちろん口に出すようなことはしない。代わりにひじきを箸でつまんだ。
実は、仙月アキトは人間ではない。東洋系の風貌を持つ吸血鬼<ヴァンパイア>だ。このことを知っているのは、つかさと、狼男<ワーウルフ>である一年B組の大神憲<おおがみ・けん>くらいか。学校の者は、ほとんどアキトの正体を知らない。なにしろ、アキトは吸血鬼<ヴァンパイア>にも関わらず、昼日中、普通に歩き回っているし、容姿もちょっとワイルドな高校生といった感じだ。人間の中で生活していても、まったく違和感がない。
そんな風に三人でお弁当を囲んでいると、そこへ、ひょっこりと顔を出した他所の女子生徒がいた。
「転校生のこと、知りたいんやろ?」
いきなり現われたのは寧音だ。わざわざクラスの違うアキトたちのところへやって来たのである。そして、一枚の写真をお弁当が広げられた机の上に置き、唐突な登場に言葉もない三人にお構いなく、手帳をペラペラとめくり始めた。
「彼の名前は嵯峨サトル<さが・さとる>。××年八月十六日生まれ、獅子座の十六歳。血液型はA型。家族構成は両親の他は兄弟なしで、現在は〇〇町で一人暮らし。この学校へ来る前は千葉県の私立R高校に通っていた。得意科目は英語と数学。趣味は音楽鑑賞に読書、特技は円周率を一万ケタまで言えること。成績優秀で眉目秀麗、性格も申し分なし、といったところやな。――いやぁ、カッコええ男ちゅうのは、何やっても様になるっちゅうこっちゃなあ。ホンマ、同じ転校生でも、えらいちゃうもんや」
「ほっとけ!」
薫と同じように、またしても比べるような寧音の余計なひと言に、アキトは不機嫌さを隠さなかった。
しかし、つかさと薫は寧音の調査内容に感心した様子を見せた。
「徳田さん、よく、この半日で調べ上げたねえ」
「任せとき! こおゆうんはウチの専売特許や!」
寧音は得意げに、どーんと胸を叩いた。そういえばサトルが写っている写真は、どうも盗撮っぽい感じがする。クラスが違うはずなのに、いつの間に……。恐るべし、徳田寧音!
「顔もハンサムだけど、中身も優秀なのね」
寧音からの報告に、薫は本当にそんな人間がいるんだなと驚いた。もちろん、寧音の調査内容が正しければだが、今までにそんな聖人君子にお目にかかったことがない。
「顔だけなら、オレも負けてねえぜ」
横からアキトが、まるでキスでもねだるような顔で、薫に近づいた。薫はそのむさくるしいひょっとこ顔を、無言の怒りを持ってぐいっと押しやる。顔云々はともかく、確かに中身はえらい違いのようだ。
「まあ、女子が騒ぐのも無理ないかな」
つかさはアキトと薫の夫婦漫才をクスッと笑って眺めながら言った。寧音がうなずく。
「せやな。ウチもあないな彼氏を持ちたいもんや。――おっと、こないなところで油売ってる場合やなかった! 噂の転校生、嵯峨サトルの秘密に迫る密着取材をせんと! 下着はズバリ、ブリーフ派か、トランクス派か! せな、またな!」
呼んでもいないのに現われておいて、寧音は勝手に廊下へ飛び出していった。まさに一陣の風。寧音なら取り巻きの女子生徒を突破して単独インタビューをもぎ取るだろう。
すると、いきなりアキトも立ち上がった。
「どうしたの?」
「ちょっとな」
つかさに言葉を濁し、アキトはふらりと教室を出て行った。机の上には、購買部で買ってきた食べかけのバームクーヘンが残されたまま。アキトがお昼も食べずにどこかへ行くなんて初めてだ。つかさと薫は互いの顔を見やった。
「どうしたんだろ?」
「もしかしたら、転校生に因縁をつけにでも行ったのかしら?」
「まさか」
さすがにそれはないだろうと、つかさは否定したが、なんとなく胸騒ぎのようなものを覚えた。
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