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伊達修造は教室の自分の席に座りながら違和感を覚えていた。
いつもなら昼休みになると、彼のグルーピーである女子生徒たちが「修造さま―!」とさえずりながら取り巻くはずなのに、今日は誰一人としてやって来なかった。こんなことは伊達が入学して以来、初めてのことだ。同級生の男子も、一人ぽつんと残されている伊達の様子にとっくに気づいており、なるべく見ていない風を装いながら、内心は戸惑っている色男に苦笑するに違いない。こんな光景を拝むことができるとは、彼らも思っていなかったはずだ。
どうして愛しの女の子たちは来ないのか。伊達には、とんと身に覚えがなかった。
伊達は琳昭館高校の生徒会長であり、美男子を絵に描いたような風貌に、明晰な頭脳、爽やかなスポーツマン・タイプを兼ね備え、しかもフェミニストという、この学園のアイドル的存在だ。通りかかるだけで女性たちは伊達を放ってはおかない。伊達も、そのことをしっかりと認識し、裏では女の子をとっかえひっかえの毎日だ。
それがなぜ、今日に限って誰も現れないのか。伊達は毎日、グルーピーの女の子たちが作ってくれるお弁当を食べているので、昼食は用意してきていない。待てど暮らせど、一人も子羊ちゃんは現れず、伊達は空腹に耐えかねた。
仕方なく、伊達は席から立ち上がった。背に腹は代えられない。それに、これ以上、男子生徒たちの好奇の目にさらされるのはたくさんだ。もうロクなものが残っていないとは思うが、購買部で何か買うことにした。まさか、伊達修造ともあろうものが学校で買い食いするはめになろうとは。
意気消沈してトボトボと購買部へ向かうと、その途中、伊達は何気なく廊下から窓の外を見やり、そこに群れをなした彼のグルーピーたちを発見した。しかも、いつもなら伊達に向かって発せられる黄色い歓声が、そこから聞こえてくる。伊達はがばっと窓に張りついた。女子生徒たちの中心に一人の男子生徒がいるのが見える。
「何事だ、一体!?」
昨日まで自分を取り囲んでいたはずの女子生徒たちにちやほやされている男子生徒を見ているうちに、伊達はふつふつと怒りが込み上げてきた。誰だ、断りもなく、自分のグルーピーたちをたぶらかした輩は。
伊達は極度のナルシストだ。自分に振り向かない女はいないと信じている。だからこそ、その自尊心を傷つけた、外にいる男子生徒を妬んだ。
奪われたものは取り返す。伊達は大股で颯爽と歩きながら校舎の外へ出た。
見慣れぬ男子生徒に群がる一団は、伊達によって行く手を阻まれた。その姿に女子生徒たちは一様に凍りつく。
「修造さまよ……」
「どうしよう……?」
新しい男子生徒に乗り換えた女子生徒たちは、少しは伊達を裏切ったことに罪悪感を覚えているようだった。なるべく伊達と視線を合わせないようにする。
しかし、伊達の怒りは自分を裏切った女子生徒に向けられることはなかった。彼は決して女性を傷つけるようなことはしない。彼は――いい意味でも、悪い意味でも――すべての女性を平等に愛することができた。それが伊達のポリシーだ。
「やあ、キミは見かけない生徒だね?」
伊達は平静を装って、輪の中心にいる男子生徒へにこやかに声をかけた。嫉妬心を燃え上がらせた感情などおくびにも出さない。女子生徒たちは左右にさっとどき、両者は真っ向から対面する格好になる。男子生徒は伊達に対し、訝るような素振りも見せず、屈託のない笑顔を絶やさなかった。
「初めまして。失礼ですが、あなたは?」
名を尋ねるなら、まずは自分から名乗れということか、と勝手に受け取った伊達は、自分もポーカーフェイスを崩さず、柔らかな物腰を保ち続けた。
「ボクは伊達修造という。この学校の生徒会長さ」
「嵯峨サトルです。今日、この学校に転校してきました」
「転校生か。学年は?」
「一年です。一年B組」
「ふーん、なるほど。だから、本校の優しい女の子たちが親切にもキミを案内していたわけだ」
伊達からサトルへあっさりと乗り換えた女子生徒たちは表を上げられなかった。
そんな気まずい雰囲気を知ってか知らずか、サトルは白い歯を見せた。キラリと光ったような気がする。
「ええ。皆さん、親切な方ばかりです。この学校に転校してきて本当によかった」
そう言ってサトルは、周囲の女子生徒たちに微笑みかけた。そうすると、伊達の元グルーピーたちは、頬をピンク色に染め、まるで発情したかのように身悶え始める。それを見た伊達は、誰にも知られないようにぎりりと奥歯を噛んだ。
伊達はこの転校生のサトルにはっきりと敵意を抱いた。潰す。この生意気な一年坊主に夢中な女子生徒の前で恥をかかせてやる。そして、これまでの輝かしい栄光を力づくで取り戻すのだ。
伊達は素早く策略を巡らせた。
「ところで嵯峨くん、だったかな? 転校してきたのなら、ウチのテニス部へ入らないか? ボクはテニス部の元キャプテンでもあってね、ぜひとも全国大会へ行けるような選手をと、常々、思っていたんだよ。どうだろう? キミはテニスとかスポーツの方は?」
伊達は、邪な企みを隠しながら、サトルを勧誘した。自分と転校生を比べた場合、容姿は百歩譲って五分五分としても、学力は学年が違うので伊達が勝つのは当たり前。では、何で勝負をつけるかといったら、やっぱり得意のテニスしかないだろうという結論に至った。何しろ、伊達は全国ベスト8の実力の持ち主。サトルが少しばかりテニスをやったことがあったとしても、負けるわけがない。
その言葉をサトルはどのように受け取ったものか。まるで深くも考えずに、転校生はうなずいていた。
「テニスは遊び程度でしかやったことがありませんが、他ならぬ生徒会長から誘っていたのですし、ちょっと体験入部でもしてみましょうか」
かかった。しめしめ。まんまと誘いに乗って来たサトルに、伊達は相好を崩した。
「それは嬉しいな。じゃあ、早速だが、今からコートに行こうか。キミがどのくらいのレベルにあるのか、紹介するボクから現キャプテンにも伝えたいし」
もっともらしい理屈をつけながら、伊達は女子生徒たちが見ている前でサトルに恥をかかせるつもりだった。
一行はテニスコートに移動した。
伊達は上着を脱ぎ、テニスラケットを握った。軽く素振りをする。すでに部は引退しているので、こうしてラケットを握るのも久しぶりだ。あの仙月アキトと勝負して以来になる。ふと伊達の脳裏に嫌な記憶がよみがえった。
アキトとテニスで勝負したのは、ほぼ一か月前。そのときの試合に勝ったのはもちろん伊達だが、アキトの人間離れした――実は吸血鬼<ヴァンパイア>なのだから当然だが――超ド級の豪速スマッシュに度肝を抜かれ、なおかつ女の子だと信じていたつかさが男だったと判明し、立て続けのショックから愛しの女子生徒の前で失神してしまった醜態をさらしている。できることなら伊達のみならず、観戦していた女子生徒たちの頭の中から消してしまいたい過去だ(「WILD BLOOD」第3話を参照のこと)。
今回は、その汚名を返上するためにも、元エースの実力をとくと見せつけてやる必要があった。
「さて、のんびりしていたら昼休みも終わってしまう。早速やろうか」
伊達は素振りをしているサトルを促した。サトルは朗らかにうなずく。
「はい、そうですね」
「じゃあ、まずはキミのサーブから始めてくれないか」
「分かりました。よろしくお願いします」
試合の前に、サトルはネット越しに握手を求めてきた。スポーツマンシップを心得ているようだ。伊達は少し見直しながら、サトルの右手を握る。すると意外にしっかりとした力が返ってきた。伊達は思わず、サトルを見返す。
そのとき、サトルの目が光ったような気がした。
「先輩、どうぞ、手加減なんてせずに、ボクの力を量ってください」
サトルはそう言うと、ベースラインまで下がり、左手でテニスボールを繰り返し弾ませた。その姿はなかなかに様になっている。コートの外から二人の対決を見守る女子生徒たちからは黄色い歓声が湧き起こった。
「手加減だと?」
伊達はサービスラインへ引き返しながら、誰にも聞こえぬよう口の中で吐き捨てるように呟いた。まるで自信がありそうなサトルの態度。伊達は胸がむかついた。
「さあ、いつでもいいぞ」
伊達は腰をわずかに落として構えながら、サトルに声をかけた。顔は女子生徒たちの手前、さわやかさの仮面を張りつかせているが、目だけは笑っていない。伊達は徹底的にサトルに思い知らせてやると心に決めていた。
「それでは――」
サトルは頭上にボールをトスした。そして大きく振りかぶる。どうやらテニスの経験があるのは間違いなさそうだ。
しかしながら、相手は全国ベスト8である伊達修造である。その実力差は天と地ほどの開きが――
ぱこーん!
サトルはきれいなフォームでジャンピングサーブを打った。球の速さも、コースの狙いもいい。だが、伊達にとっては難しい球ではない。伊達は余裕で打ち返すつもりだった。
ところが、あろうことか急に伊達の視界からボールが消えた。伊達は愕然とし、ダッシュしていた脚を緩める。一体、ボールはどこへ。伊達は目をしばたかせた。
次の瞬間、黄色いボールが急に現われたかのように、その足元で跳ねた。伊達は動けない。ボールはそのまま後方へ飛び去った。サービスエース。反対側のコートではサトルが控えめに喜びをを見せた。
女子生徒たちは歓声をあげた。いつもなら伊達に向ってかけられるはずの声援が、今は敵である嵯峨サトルへ向けられている。伊達は屈辱感を味わった。
「どうです、先輩? ボクの弾丸サーブは? あんまり速くて見えませんでしたか?」
サトルが屈託ない笑みを浮かべながら軽口を叩いた。冗談のつもりか。しかし、伊達にはその言葉の中に悪意が込められている気がした。
伊達は懸命にショックを押し隠した。
「い、いやぁ、なかなかいいサーブを打つじゃないか。本当にテニスは遊び程度だったのかい?」
今のはわざと見逃したのだというポーズを取りながら、伊達は虚勢を張った。ポイントを許したのはアクシデントみたいなものだ。ボールさえ見失わなければ簡単に打ち返せていたはず。
サトルはラケットの上でボールを弾ませながら笑顔を見せた。
「本当ですよ。先輩みたいな凄いプレーヤーとやるのは初めてです」
言ってくれるじゃないか。伊達は唇を歪めた。どれ、その全国区の実力を身にしみて教えてやる。
「よし、次だ!」
伊達は一度、目をこすってからサーブを促した。サトルはまたしてもジャンピングサーブを打つ。素人とは思えないくらい、いいサーブだ。しかし、全国大会で戦った伊達には、それほど大したボールではない。ちゃんと見えてさえいれば打ち返せるレベルだ。
今度はボールを見失うようなことはなかった。伊達は華麗ともいえるフォームでサトルのサーブを打ち返す。やはり、さっきのはたまたま、目がちょっとおかしかったのだ。ここから天才・伊達修造のプレーを嫌というほど見せつけてやる。
伊達のリターンに、サトルもまた素早く反応し、逆サイドに振った。なかなかやる。だが、そのコースに打ち返してくるくらい、伊達にとって予想の範疇だった。
伊達は走って楽に追いつけると判断した。同時に打ち返すポイントも見定める。サイドラインぎりぎりに返せば大丈夫だろう。サトルの動きからも、そっちは逆を突くことになる。
もらった、と伊達がほくそ笑んだ刹那、異変を感じた。足が動かない。まるで地面に根が生えてしまったかのようにびくともしなかった。
伊達は目線だけでボールを追った。ガラ空きのコートにサトルのボールが突き刺さる。フェンスまで到達し、転々と転がるボールを伊達は茫然と見つめた。
「あれ、先輩? 今の、そんなに厳しいコースでしたか?」
サトルが不思議そうに言った。態度には出さないが、まるで伊達を嘲笑するかのように。伊達は屈辱を味わい、カッと頭に血が昇った。
もうポイントを奪われたことに虚勢を張っている余裕はなくなった。観戦していた女子生徒たちすら、一方的にやられている伊達を見て、言葉を失っている。彼女たちもテニス対決なら伊達が勝つものと思っていただろう。それが意外な展開になり、どうしていいやら分からなくなっているようだった。
「あ、足が……」
その場から動けない伊達は声を振り絞った。するとサトルが怪訝な顔をする。
「足? 足でも攣ったんですか?」
すると今までまったく動かなかったはずの伊達の足が、唐突に動くようになった。伊達は大きく息を継ぐ。知らない間に全身から汗が噴き出していた。
「準備体操もしませんでしたからね。どうします? まだできそうですか?」
サトルがいささか興をそがれたように尋ねた。ここで終わっては伊達の男がすたる。もちろん、続行するつもりだった。
「大丈夫だ! 何の問題もない」
「そうですか。ならいいんですけど」
伊達は足首を回してみたり、アキレス腱を伸ばしてみたりした。特に異常はない。やれる。いや、やれるはずだ。
それにしても今日はどうしてしまったのか。いきなりボールが見えなくなったり、足が動かなくなったりして。目の方はともかく、足は明らかに攣ったわけではなかった。むしろ金縛りにかかったかのような。伊達は度重なる身体の異変に気味の悪いものを感じていた。
伊達はサトルを見つめた。サトルは先程とは雰囲気が変わっていて、挑戦的な視線を伊達に向けている。大言壮語を吐きながら、まったく相手にならない伊達に幻滅しているのか。――いや、そうではない、と伊達はぼんやりと思った。サトルはその美少年の仮面の下に隠していた本性を現そうとしているに違いない。
「先輩、行きますよ」
サトルは三球目のサーブを打つべく、ボールを高くトスし、振りかぶった。
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