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WILD BLOOD

第13話 学園の支配者

−4−

「おい、大丈夫か?」
 始業のチャイムとともに、男の声が頭上から降りかかった。しかし、それを耳にした伊達は答える気にもなれない。埃まみれの薄汚い姿でテニスコートに突っ伏したまま、しばらく動きたくもなかった。
「無様だな」
 浴びせられる言葉は辛辣だった。にもかかわらず、少し憐れむような口調が含まれている。そのせいで伊達は余計に泣きたくなった。
 転校生・嵯峨サトルとの対決は伊達の完敗で終わった。サトルのサーブで始まった三本目、今度は伊達の目にも足にも異常は起きず、長い長いラリーが続いたのである。だが、それは一方的なラリーだったといってもいいだろう。伊達がコートの端から端まで走らされる一方で、サトルは一歩もコートの中央から動くことなく、無慈悲に、淡々と打ち返していただけなのだから。
 どういうわけか、いくら伊達がコースを狙おうとしても、ボールはサトルが立つところへ吸い寄せられるように返っていった。それに対し、サトルのボールは前後左右に打ち分けられ、伊達は翻弄されたのである。壮絶なラリーが果てしなく続き、伊達はボロボロになった。何度倒れ込み、何度起き上がったことか。伊達は心臓が破けそうになるまで、ボールを追って走り回った。別に自尊心のためでも、意地のためでもない。途中からは、こんなに苦しい思いをするくらいなら負けを認めてもいいとさえ思った。それなのに伊達の手足は、まるで別の意思に操られたかのごとく、走るのをやめようとも、打ち返すのをやめようともしなかったのである。かなりの時間、駆けずり回った伊達は、とうとうプレーの途中で意識を失ってしまったのであった。
 琳昭館高校男子テニス部の元エース・伊達修造ともあろうものが、転校生の、テニス経験もあまりないという年下に完膚なきまで叩き潰されたのだ。それも彼が愛すべき女子生徒たちの目の前で。この敗北は伊達のプライドをずたずたに切り裂いた。
「よう、立てるかよ?」
 すでにサトルも、伊達から新しいアイドルに乗り換えた女子生徒たちも、午後の授業が始まった校舎に引き上げてしまったテニスコートで、声の主は伊達に手を差しのべた。しかし、伊達はかたくなに拒絶する。
「誰が男の手など借りるか」
「フン。同じことをつかさにも言えるのかよ?」
 敗北者たる伊達に、意外にも優しい声をかけているのはアキトだった。昼休みに教室を抜け出した後、伊達がサトルとテニス対決をすると知って、少し離れたところから見物していたのである。だが、その結果はアキトも予想しないものだった。
「どうしたってんだよ、おめえらしくもねえ」
 すでに一度、伊達とテニス勝負をしたことのあるアキトには、伊達の敗戦が信じられなかった。試合を見ていたが、伊達が太刀打ちできないような相手には思えない。
 伊達はごろりと仰向けになった。左腕で目を覆い、表情を見られまいとする。いつものアキトなら、ここで「てめえ、泣いてんのか?」とからかっただろうが、どういうわけか自分でも分からないが、そこは黙って何も言わないでおく。伊達はため息のように、ふーっと息をひとつ吐き出した。
「それはこっちが教えてほしいくらいだ。一本目のサーブは、急にボールを見失った。まるでボールが消えてしまったかのように。だからといって、そんなに速いサーブじゃない。キミの弾丸スマッシュに比べれば、な」
「あれは“スーパー・ウルトラ・ハイテンション・つかさLOVEスマッシュ”だ。憶えとけ」
 アキトは即興でつけたはずの長々とした必殺技の名前をすらりと言いのけた(おめぇ、憶えてんのかよ? まったく、非常識な! どうぞ、読者の皆様は「WILD BLOOD」第3話を参照なさってください)。伊達はほんのわずか苦笑する。
「そんなに大したことのないサーブだった証拠に、二本目は易々と打ち返せた。だが……次の球が来たとき、どういうわけか足が動かなくなってしまった。いや、あれは金縛りと言ってもいい。足どころか全身が固まってしまったみたいだった。もっとも、ボクにはこれまで金縛りの経験などないが」
「金縛り?」
 アキトは訝しげな表情になった。ボールを見失ったくらいなら、例えば太陽光とかが目に入ったからと説明できる。しかし、金縛りとは。
「三本目はもっと奇妙だった。どうせ見ていたんだろ? ボクとヤツのゲームを」
「ああ。すげぇ、ガッツだったな、おめぇ。あんなに球を拾いまくってよ。でも、いくらでも決められるチャンスがあったんじゃねえか?」
 テニスをよく知らないアキトでも、それくらいのことは分かった。転校生のサトルは、まずまずの動きをしていたが、アキトが知っている伊達のプレーには及ばない。なのに伊達はわざわざ打ち返しやすいところに打っているようにしか見えなかった。
「あれは二本目の逆だ。勝手にボクの身体が動いたんだ。もう左右に走らされて倒れそうだというのに、身体は独りでにボールを追いかけた。まったく、あのまま続けていたら死んでしまうかと思ったよ。幸いにも、その前に気を失ってしまったがね」
「身体が勝手にだと?」
 それこそ不可解な出来事だった。だが、伊達の言う通りのことが起きていたと考えなければ、この惨敗は説明がつかない。
 アキトは校舎を振り返った。あの嵯峨サトルという転校生、一体、何者なのか。
「なんにせよ、ボクはもうおしまいだ。女の子たちの前で無様な姿をさらしてしまったのだから。まったく、彼女たちを失望させてしまったのが何よりも悔やまれる。そうだろう? ――おい?」
 伊達が左腕をどけると、いつの間にかアキトの姿は消えていた。誰もいないテニスコートに伊達ひとりだけが取り残されている。
 伊達はようやく立ち上がった。疲労から足元がふらつく。そのとき、まだ昼食を取っていなかったことに伊達は気がついた。



 結局、午後の授業をサボったアキトは、正門の前で下校する生徒たちを見送りながら、目当ての人物が現れるのを待っていた。それはつかさや薫たちではない。やがて、分かりやすいくらいに目立つ集団として、その人物とその他大勢がやってきた。
「よお、今、お帰りか? 転校早々から周りに女どもをはべらせて、いい御身分だな」
 アキトは女子生徒たちに囲まれて現われた転校生の嵯峨サトルに声をかけた。敵意むき出しなのは言うまでもない。サトルは、おやっという顔をした。
「ボクのことを知っているようだけど、キミは?」
 一見、ガラの悪いチンピラに因縁をつけられているような場面にも関わらず、サトルは臆する様子もなく、友好的な態度で尋ねた。その優等生ぶりがアキトの鼻につく。
「オレは仙月アキト。お隣の一年A組の生徒だ」
「ふーん、仙月くんか」
 アキトの悪名は校内に轟いている。サトルにべったりの女子生徒たちは露骨な嫌悪と怯えを示した。それでもサトルを守ろうというのか、彼のそばから離れようとはしないのはさすがというべきか。アキトは自分に向けられる多くの視線に対し、ただ首筋をぽりぽりと掻いた。これくらいのことは馴れっこだ。
「それでボクに何か用?」
「転校生には避けて通れぬ恒例行事ってヤツがあるだろ? ちょっとツラ貸せや」
 まるで昔の学園マンガのように、アキトはすっかり悪役になりきっていた。ところがサトルは鼻で笑う。
「悪いけど、ボクは忙しいんだ。どうしてもって言うんなら、また明日にしてくれるかな」
 そう言ってサトルは、正門から外へ出て帰ろうとした。女子生徒たちもそれに合わせて移動する。
「お、おい!」
 サトルにあっさりと拒否され、アキトは拍子抜けした。一発ぶん殴ってやろうにも、サトルを囲んでいる女子生徒たちが壁になっていて届かない。なんとか防御陣をかき分けて、サトルをふんづかまえようとした。
「てめえ、逃げるつもりか!」
「ちょっと触らないでよ、変態!」
「アンタなんか、あっちへ行って!」
「嵯峨くんは忙しいって言っているでしょ!」
「スケベ! どこ触ってんのよ!」
 女子生徒たちの堅いガードに阻まれて、アキトはサトルに近づけなかった。こうなったら本気を出そうかと考える。
 そのときだった。背後から猛スピードで近づいてくるダンプカーに気づいたのは。
 それほど道幅が広くもなく、ガードレールも設置されていない通学路で走るには、ダンプカーのスピードはあまりにも出すぎていた。六十キロくらいか。否、むしろスピードをさらに上げている。危険この上ない運転だ。
 吸血鬼<ヴァンパイア>の驚異的な超感覚と視力を持つアキトは、ダンプカーの運転手がハンドルを握ったまま眠っているのを目撃した。居眠り運転だ。
 ダンプカーはアキトたちの方へ衝突するよう、ゆるやかに方向をそれてきた。女子生徒たちもダンプカーに気がついて悲鳴をあげる。アキトは素早く後ろと前を振り返った。
 アキト一人が逃げるのは簡単だ。しかし、ダンプカーはそのまま転校生と女子生徒たちを押し潰すだろう。サトルがぺしゃんこになるのは一向に構わないが、女子生徒たちが巻き込まれたら寝覚めが悪い。いくらアキトを快く思っていない連中でも見殺しにはできなかった。
 アキトは一瞬で決断した。
「なるべく端に寄れ!」
 女子生徒たちへ怒鳴りつけるように指示しながら、アキトはダンプカーに立ち向かった。そして、ジャンプで助手席側のドアに飛びつく。
 実際には普段からセーブしている力をアキトは全開にした。衝撃でドアがへしゃげ、ダンプカーは運転席側に押される格好になる。わずかに片側のタイヤが浮かび上がった。
 アキトのタックルが功を奏し、ダンプカーは進路を逸らして、間一髪のところで女子生徒たちの横をかすめた。あとは彼女たちが今のシーンを克明に記憶していないことを祈るだけだ。まさか人間の力でダンプカーを押し返したなんて言われたら、アキトの正体がバレてしまう。ここはアキトが飛びついたのと同時に、運よく寸前でハンドルが切られたと思ってもらうのが一番だった。
 だが、ダンプカーはまだ止まったわけではなかった。そのまま通学路を暴走し続ける。ダンプカーの行く手には、他にも多くの下校途中の生徒たちがいた。
 夕暮れ前の通学路は、一瞬にして騒然となった。暴走するダンプカー。逃げ惑う生徒たち。スピードはなおも上がっていく。
「おい、オッサン! オッサン、寝てんじゃねえ! 目ぇ覚ませ!」
 アキトは助手席のドアにしがみつきながら怒鳴った。しかし、運転手はまったく目を覚ます気配がない。こうなったらアキトが乗り込んで止める他はなかった。
 アキトはドアを開けようとした。ところが体当たりをかましたせいでドアが変形してしまい、びくともしない。力いっぱい引っ張ったら、まるでコメディー映画のように取っ手だけがもげた。
「くそぉ!」
 半分は自分のせいだというのに悪態をつきながら、アキトは助手席側のドアをあきらめ、運転席側からトライすることにした。そのまま運転席の屋根によじ登り、反対側へ身体を移す。その間、誰も犠牲者が出ないでくれと祈った。
 アキトは屋根の上から身を乗り出し、上半身逆さの格好で運転席のドアを開けようとした。しかし、悪いことは重なるもので、今度は内側からロックされている。アキトは仕方なく、拳で窓ガラスを破り、ロックを外した。
「まったく、手をかけさせやがって!」
 ようやく運転席に入れる、と思った刹那だった。三十メートル先に赤信号が見えてくる。小さな交差点だ。何も知らない車が左右に横切っている。
「次から次へとよぉ!」
 愚痴でもこぼしていないとやっていられない気分だった。アキトはドアを開けると素早く身体の位置を変え、運転席の横につく。そして、半身でハンドルを握りながら、何度もクラクションを鳴らした。
 ブォォォォォォォォッ!
 重低音の汽笛のようなクラクションが閑静な町並みに轟いた。これで交差点に進入してくる車が気づいてくれればいいのだが。しかし、神様は――あるいは作者かもしんない――アキトのことをとことん嫌っているようだった。
 左からまるでオモチャのような軽乗用車が走ってきた。信号無視で突っ込んできたダンプカーにギョッとする運転手の顔が鮮明に見える。ブレーキを踏んだようだが間に合わない。
 アキトは右にハンドルを切った。少しでも衝突を免れようとする。軽自動車の運転手もハンドルを切っていた。軽自動車はコマのようにスピンする。
 双方の回避のおかげで、激突にまでは至らなかった。軽自動車はダンプカーの後部へわずかに接触しただけで大破を逃れる。後続車に突っ込まれることもなかった。
 車の運転経験がないアキトは――とりあえず高校生ということなので――、ハンドル操作に四苦八苦した。ゲームセンターにあるレーシングゲームのようにはいかない。ハンドルを右に切ったせいで、そのまま反対車線へ入り込もうとする。信号待ちをしていた宅急便のトラック運転手が泡を食った。
「南無三!」
 アキトは目一杯、ハンドルを左に切り、すぐさま右へ戻す。激しい荷重移動にダンプカーは左右に大きく蛇行した。そのせいでコントロールが利かなくなり、ダンプカーは横転しそうになる。しかし、アキトは必死にハンドルを操り、どうにか激突は免れた。
 このような状況になってもダンプカーの運転手は気がつく様子を見せなかった。一瞬、アキトは死んでいるのかと疑う。だが、胸は規則正しく上下し、呼吸は正常だ。酒気はおびておらず、ナルコレプシーとかいう急に眠ってしまう病気なのかもしれないとか考える。
 とはいえ、今はそんなことを詮索している場合ではなかった。とにかく車を止めるしかない。アキトは運転手をどかそうとした。ところが、運転手はしっかりとシートベルトをしているのでアクション映画のようには簡単にはいかない。ああいうシーンはウソだな、と思う。シートベルトを外すのも面倒なので、仕方なく運転手を乗り越え、助手席に座った。
 一難去りて、また一難。眼前には次の信号ポイントが迫っていた。今度はT字路。曲がりきれなければガソリンスタンドに激突だ。
 アキトはブレーキを踏もうとした。が、生憎と運転の知識がない。どのペダルがブレーキなのか分からなかった。
「ここで間違ってアクセルを踏んだらギャグだな」
 アキトは自嘲した。
 しかし、ちょっと考えれば答えは明白。運転手が踏んだままにしているのがアクセルペダルである。アキトは運転手の足をブレーキペダルへよっこらせと動かしてから、その上から思い切り踏み込んだ。
 目の前では猛烈なスピードで突っ込んできた大型車にガソリンスタンドの店員が慌てふためいていた。急制動がかかり、ダンプカーはタイヤからきな臭い白煙を上げながら減速する。そのとき、アキトの身体がふわりと浮いた。
「――っ!?」
 アキトの身体はシートベルトをしていなかったためにフロントガラスへ投げ出された。頭からガラスを突き破り、外へ放り出される。それでも、とっさに受け身を取ったのはさすがだった。
 だが、ブレーキを踏みこむ力がそがれたため、ダンプカーの減速は充分ではなかった。このままだと間違いなくガソリンスタンドに激突する。
 そのとき、アキトは素早く周囲を見回した。誰もが逃げるのに夢中で、こちらに注意を向けていない。しめた、とばかりに、アキトはダンプカーのバンパーを押し返した。
「くぉんのぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 アキトは四肢を踏ん張らせた。いくら吸血鬼<ヴァンパイア>のパワーといえど、ダンプカーを押し戻すのはつらい。何メートルも押された。ガソリンスタンドまで、あと数メートル。アキトは最後の力を振り絞った。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 アキトの足がしっかりと路面にブレーキをかけるや、巨大なダンプカーの車体が悲鳴のような軋みをあげ、ようやくその暴走をやめた。バンパーとスタンドとの距離は、わずか数十センチ。その間にアキトはいた。
「ふーっ、と、止まった……」
 さすがのアキトも汗だくだった。暴走を止められて、やっと息をつく。どうやら誰も大ケガをせずにすんだようである。心配で駆け寄ってきたガソリンスタンドの店員の声も耳に入らず、アキトはへなへなと、その場に倒れ込んだ。

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