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「それでは多数決を採ります」
クラス委員である忍足薫<おしたり・かおる>は、一年A組の生徒に向って言いながらも、あまり気が進まなかった。出来ることなら、この議題をなかったものにしてしまいたい。そんな衝動に駆られていた。
しかし、琳昭館高校における秋の最大行事、学園祭を二週間後に控え、クラスで何をやるか決めないわけにはいかなかった。本当ならば、とっくの昔に決めておかなければならないことであったのに、いざ、それを論じ始めると、議論百出、喧々囂々のやり取りが行われ、なかなかまとまらなかったのである。ようやく二つの候補にまで絞り込めたのは祝着であったが、今やほぼ男子VS女子という構図となり、過半数に優る男子側が勝つのは自明であった。
薫は覚悟を決めるかのように、すっと息を吸った。
「まず、メイド喫茶に賛成の人」
クラスの全女子が手を挙げた。元々、このメイド喫茶は一人の男子生徒が提案したもので、最初のうちは下衆だと反感を抱いていた女子生徒たちであったが、意外と可愛いメイド服を提示されると、コスプレ気分で着てみようかと、かなり乗り気になって来たのである。薫も、男子が推す、もう片方の出し物でなければ、こちらの方が遥かにマシだと思っていた。
無理矢理、薫から書記係を言い渡された武藤つかさが、黒板に女子の人数である「17」を書いた。薫は頭痛がしてくる。男子は全部で十八人。そいつらが全員で残る候補を推したら、そちらに決定することになってしまう。
誰か一人でも棄権してくれないかと祈りながら、薫は決を採った。
「では、舞台劇、び……美少女……」
言葉に詰まった。なぜ自分がこんな恥ずかしいタイトルを口にしなくてはいけないのか、薫は理不尽な怒りが湧いてくる。しかし、クラス委員である以上、進行させないわけにはいかず、大袈裟に咳払いして、言い直した。
「『美少女天使ブルセラムーン』に賛成の人……」
バッと男子生徒たちの手が挙がった。薫はこめかみをピクピクさせながら、賛成票を数えていく。一体、何が悲しくて、いい年をした高校生が、今、小さな女の子たちを中心に大人気のアニメ番組『美少女天使ブルセラムーン』を演劇仕立てにしてやらなければいけないのか。まったく、このクラスの男どもと来たら、どいつもこいつもバカなんだからぁ、と限りなくドス黒い毒をゴジラの放射能のように吐き出したいところを懸命にこらえつつ、薫は数え終わった。
(……十四、十五、十六……あれっ? 十七名?)
今日は欠席者がいないはずだが、と、もう一度、数え直しても手を挙げているのは間違いなく十七名だった。薫は心の中でグッと拳を握りしめ、「よっしゃあああああっ!」と力強くガッツポーズする。同数の場合はクラス委員の権限で、何と言われようともメイド喫茶に決めてしまうつもりだった。
「えー、『ブルセラムーン』は、じゅうな――」
なめい、と続けるつもりだった薫であったが、次の瞬間、睨まれただけで石にされてしまうという伝説の怪物メデューサに出くわしたかのように固まった。黒板を振り返ると、その脇で申し訳なさそうに手を挙げている若干一名が。忘れていた。つかさも一応(?)、男子の一員であることを。
「な、ななな……」
まるで針が飛んだレコードのように、薫は次の言葉が出なかった。代わりに、こういうときには呼びもしないのに必ずしゃしゃり出てくる一名の男子生徒――
「よぉーし、男子は全部で十八名! どうやら決まりのようだな!」
薫にトドメを刺すように、こんなときに限ってサボりもせずに参加していた仙月アキトが高らかに宣言した。薫は貧血を起こして卒倒しそうになる。あらかじめ予想されていたこととはいえ、一旦は同点決着かとヌカ喜びしただけにショックは大きい。
「というわけで、一年A組の出し物は『美少女天使ブルセラムーン』に決定っ!」
男子生徒たちは一斉に狂喜乱舞した。アキトの音頭で万歳三唱が始まる。それを横目に、反対していた女子生徒たちはガックリと肩を落としていた。勝者と敗者。特に薫などは、教卓に手を突き、身体を支えなければならなかった。
「大丈夫、薫?」
傍らのつかさが心配そうに言った。誰のせいじゃい、この裏切り者がぁ、と薫は首を絞めたくなる。
「そんなにイヤだった? 『ブルセラムーン』」
「あったり前でしょうが! つかさもつかさよ! どうして賛成なんか」
すると、つかさはおしっこを我慢するみたいに身体をモジモジさせた。
「だって、そうしないとアキトが、『お前にもメイド服を着てもらうぞ』って脅すものだから……」
一見、中学生くらいの女の子にしか見えないつかさには、さぞかしフリフリのメイド服が似合ったことであろう。アキトたちはしっかりと票固めをしていたというわけだ。こんなことなら、こちらも男子生徒の誰かをうまいエサで釣って、寝返らせておくんだったと悔やんだが、もう後の祭りである。
「よっしゃ! ならば、早速、キャストとスタッフを決めようぜ!」
席を立ったアキトは、勝手に教卓の所まで来ると、邪魔だとばかりに薫を押しやった。薫は伝家の宝刀たる“ハリセン”でひっぱたいてやろうかと気色ばむ。
「何するのよぉ!」
「こっからはオレに任せろ。どうも、お前の進行を見ているとまどろっこしい」
そりゃしょうがない。多数決で負けるのは目に見えていたのだから。
「だからって、どうしてアンタなんかに――」
「おーい、田隈! こっち来いよ!」
薫のことなど無視し、アキトは一人の男子生徒を呼んだ。田隈と呼ばれた生徒は、引きつったような笑みを顔に貼りつかせながら立ちあがる。ガリガリに痩せ細り、ギクシャクとした動きは滑稽にも見えたが、他の男子生徒から喝采を浴びながら、アキトの隣に並んだ。
賢明なる読者諸君の中には、田隈という姓で、「おやっ?」と思われた方もいるだろう。そう、彼こそ《悪魔大使》の名で世界征服の手始めに学園支配を企んでいる田隈太志の弟、田隈痔郎<たくま・じろう>であった。
秀才タイプの兄・太志と血が繋がっているとは思えないほど、弟の痔郎は似ても似つかなかった。いわゆるオタク系で、骸骨のような体型と卑屈な態度、それに顔の前を半分隠しているロン毛が気持ち悪がられ、クラスでは浮いた存在である。そんな彼に脚光を浴びる日が訪れようとは、誰が想像しただろうか。
痔郎の手には一冊の台本があった。『美少女天使ブルセラムーン』というタイトルが読める。その台本は痔郎が書いたものだった。
アキトが痔郎の肩を叩いてねぎらうと、男子生徒たちの歓声が大きくなった。半ば冷やかしに近い、と薫はこの騒々しさに嫌悪しながら見抜く。日頃から根暗キャラの痔郎は嫌われており、親しげに声をかける者がいないことは、同じクラスの薫にも分かっていた。
それでも今の彼はヒーローだった。
「さあ、改めて紹介しよう! 今回、我がクラスでやることとなった『美少女天使ブルセラムーン』の脚本担当、田隈痔郎くんだ! 拍手ッ!」
割れんばかりの拍手が巻き起こった。こういう場に慣れていない痔郎は、どんな顔をしたらいいのか分からないのだろう。一生懸命、笑顔を作ろうと努力しているようだったが、どうしても気色悪さが先に立った。
しかし、そんなことをアキトは気にしなかった。アキトだって、痔郎のことを好いているわけではないのだが、他のクラスメイトとは違い、陰でこそこそと悪口を言うようなことはしない。何でもストレートに表現するタイプなので、気持ち悪いと思えば平気でそう言い、こちらの態度を明らかにするのが常だ。そういう意味では陰湿さがないので、そのことについては薫も感心していた。
「まずは演出を取り仕切る監督から決めようと思うんだが、どうだろう? この作品をよく知っているのは書いた本人の田隈だ! だから、ここはそのまま田隈にやってもらったらいいんじゃないか?」
「異議なーし!」
アキトの提案は、ほとんどの者から賛同を得られた。多分、監督になったら色々とみんなに指示したり、舞台劇全体のことを考えたりしなくてはいけないので、そんな面倒臭いことは願い下げだと思った連中が多かったに違いない。それでも痔郎自身がやりたかったせいか、舞台監督を任せられ、本当に嬉しそうにしていた。
痔郎はペコペコと何度もお辞儀をして、感謝を表した。顔の前をのれんのように動くロン毛が少々うざい。アキトも本心から、よかったな、と痔郎の背中を叩いていた。
「それでは次だ! 一番大事なキャストを決めるぞ! まずはヒロインのブルセラムーン、神矢美月<かみや・みづき>役だ! まあ、これは自薦・他薦があろうかと思うが、オレは監督のイメージを尊重してみたいと思う。――なあ、田隈。お前がブルセラムーンを演じてもらいたいと思っているヤツって、このクラスにいるのか? もしいたら、名前を言ってみてくれ」
アキトから促されると、痔郎は何事かボソボソっと喋った。比較的、近くにいる薫も聞き取れない。アキトは耳を近づけた。
「えっ? 誰だって?」
「………」
またしても誰か分からなかった。しかし、今度こそアキトは聞けたのだろう。大きくうなずいた。
「なるほど」
ここでアキトは薫の顔を見て、ニヤッとした。薫は怖気立つ。イヤな予感がした。
アキトはひとつ間を取ってから公表した。
「田隈が指名したのは――忍足薫だぁ!」
おおおおおっ、と津波のようなどよめきが教室内で起こった。薫は顔面蒼白になる。イヤな予感は的中した。
「い、イヤよ、イヤッ! 絶対に、無理無理無理無理無理無理無理無理――!」
「それでは多数決を採ります」
本人の意思など一切無視し、アキトは決を採り始めた。
「ヒロイン役に忍足薫さんがいい人」
はーい、と満場一致。男子生徒はこれ以上の人選はないだろうと思ったし、女子生徒たちは自らの保身のため、憐れな仔羊を生け贄に奉げたのだ。薫は目の前が真っ暗になった。
「よって、ブルセラムーンは忍足薫さんにやってもらいます!」
アキトは心の底から意地悪く告げた。神も仏もないものか。
「ヤだああああああああああああああああっ!」
薫の悲鳴は誰にも聞き遂げられることはなかった。
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