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というわけで――
薫の懸命な抵抗はありつつも、舞台劇『美少女天使ブルセラムーン』のキャスト、スタッフは決定した。本番まで二週間を切っている厳しいスケジュールの中、演出家であり、脚本家でもある田隈痔郎からの指示の下、クラスメイト全員に様々な仕事が割り当てられ、一気に動き出す。とにかく切羽詰まった感があって、劇反対派だったはずの女子生徒までがテキパキと働いた。
いつもは教室の隅でウジウジしている痔郎であったが、さすがに自分の書いた作品が実現されるとあって、今までに見たことがないくらい生き生きとしていた。もちろん、根暗な性格が――おまけに気色悪い外見も――ガラッと改善されたりはしていないが、それでも多少の自信を持ってクラスメイトたちに的確な指示を与えている。無論、そのバックいるアキトの存在も、少なからず影響したであろうが。
「こいつから台本を読まされたとき、これはイケるって思ったんだよ!」
自らプロデューサー役を買って出たアキトは、痔郎の隣の机の上に座りながら力説した。話を聞いていたつかさなど、圧倒されそうなくらいだ。
「日本のサブカルチャーは世界的にも注目されているんだから、もっとそれで勝負していかないと! オタク文化万歳! ブルセラムーン最高! ――てなもんだ!」
つかさには、どうしてそこまでアキトが肩入れする気になったのか理解できなかった。健全を売り物にするタイプではないが、オタク肯定派とも思えない。アキトならば、もうひとつの候補だったメイドカフェを選びそうだったのに。何となく奥歯に物が挟まったような、その変心が気にかかった。
それでも、クラスでは浮いた存在だった痔郎が中心となって文化祭を乗り切ろうというのは好ましい傾向であった。つかさは、これで痔郎がクラスに打ち解けてくれたらいいな、と密かに願っている。そのためにも自分も積極的に参加し、文化祭を成功させようと思っていた。
「それにしてもあいつ、着替えにいつまでかかっているんだ?」
アキトは廊下の方へ視線を向けた。彼らが待っているのは女子更衣室へ行ったはずの薫である。かれこれ十五分は経過していた。とっくに戻って来てもいいはずだ。
「まったく、グズグズしやがって。どれ、ちょっくら覗いて来るか」
アキトが腰を上げたので、つかさはその腕をつかまえなくてはならなかった。
「ダメだよ! そんなことしたら、またハリセンでひっぱたかれるよ!」
ハリセンはともかく、普通、男子が女子更衣室を覗こうというのはご法度のはずである。しかし、アキトは頓着しなかった。
「構うか! ハリセンが怖くて、女の裸が覗けるかってんだ!」
やっぱり、薫を心配して様子を見に行くというより、裸を見ることが前提になっているようだ。つかさはなおさら阻止しなくてはならなくなった。
「だから、ダメだってば!」
「チェッ! 真面目なヤツは融通が効かなくて困るぜ。じゃあ、つかさ、お前が行くか? お前なら大丈夫だろ」
アキトは真顔で提案した。
「なんで、ボクなら大丈夫なの?」
「女子は女子同士で」
「ボクは男子です!」
つかさは可愛い顔をしながらも噛みつくように訴えた。
そこで、ふと廊下の外を何か黒いものがチラついたことにアキトが気づいた。どうやら誰かの頭らしい。それは開いた教室の入口手前で、入るのを躊躇しているような様子だった。
アキトはズカズカと遠慮なく歩いて行くと、グイッと手を伸ばして、廊下にいた人物を引っ張り込んだ。腕をつかまれたとき、その人物が「キャッ」と短い悲鳴をあげる。
「なにやってんだ、お前は?」
廊下にいたのは薫だった。しかもおかしなことに、首から下を黒いマントのようなものでスッポリと隠している。多分、視聴覚室などにある暗幕を拝借したものだろう。
「どうしたの、薫?」
つかさも不審な格好をしている薫を訝った。薫は教室の中を怯えたような目で見渡す。今、一年A組の教室はほとんどが文化祭準備のために出払っていて、残っているのはアキトとつかさ、それに痔郎の三人だけだった。
「何だ、その格好は? お前、ブルセラムーンの衣裳に着替えたんだろ?」
薫には衣裳合わせを頼んであった。痔郎が魂を込めて製作したブルセラムーンのコスチュームだ。原作のアニメ同様、忠実に再現して作られていた。
ところが薫は暗幕で身を包んだまま、恥ずかしそうにするばかりで、肝心のコスチュームを見せようとはしなかった。
「こんな恥ずかしいコスチュームを着なきゃダメなの?」
「当たり前だろ。お前がブルセラムーンに選ばれたんだから」
「にしても、これはちょっと……」
「だから、何がだ? そら、とっとと見せてみろよ!」
「ヤだ」
「いいから、ほれ!」
段々、じれったくなってきたアキトは、マント代わりの暗幕をつかむと、それを引っ張って取り除こうとした。薫は抵抗する。意地でも見せないつもりだ。
「コラッ、ジタバタするな!」
「イヤよ、イヤッ! 絶対にイヤッ! こんな姿を人前でさらすくらいだったら舌噛んで死んだ方がマシよ!」
「バカ言え! 第一、ブルセラムーンのコスチュームはセーラー服が基になっているんだから、そんなに恥ずかしがる必要はねえだろ!」
琳昭館高校の女子生徒の制服はセーラー服だ。確かに、ブルセラムーンのコスチュームと大差はないような気もする。
「それでもイヤなのッ!」
暗幕を巡っての攻防はしばらく続いた。アキトは是が非でも剥ぎ取ろうとしているし、薫も断固、拒否する。それを見ていたつかさは肩をすくめるしかなかった。
かなり手を焼かされたアキトは、別の作戦に出た。いきなり、薫に抱きつこうとする。
「なっ、何するのよぉ!?」
「押してダメなら、引いてみなってことさ!」
アキトはウインクすると、ギュッと薫の身体を抱きしめようとした。もちろん、そんなことをされて薫が黙っているはずがない。
「このスケベッ! 離れなさいよ!」
薫は思い切りアキトを突き飛ばした。アキトは机にぶつかって、転倒しそうになる。だが、その拍子に薫もマント代わりの暗幕を跳ね除けていた。
「おおっ!」
一様に男たちが感嘆した。暗幕の下から現れたブルセラムーンのコスチューム。セーラー服を基本に、ゴールドのアクセサリーと胸元の大きなピンクのリボン、そして背中には天使を模した小さな羽がついている。短いスカートからはスラッとした美脚が伸びていた。あとは頭にティアラと七色のドロップを載せれば、ブルセラムーンそのものだ。
男三人にジロジロ眺められて、薫は羞恥に顔を赤くした。これが本番では何百人という観客の前に立たねばならないのかと思うと、それこそ心臓が爆発するのではなかろうか。
「ようやく見せる気になったか。名付けて『北風と太陽』作戦は成功したな」
アキトは独りごちた。少し手段が邪だった気もするが。
ともあれ、ブルセラムーンの実物に対して、誰よりも感動に打ち震えているのは痔郎だった。さすがに自分で指名しただけあって、理想像に近かったのだろう。痔郎は瞬きも忘れて、薫のブルセラムーンを凝視し続けた。
「いい……いいよ……忍足さん、最高だ……」
熱に浮かされたように、痔郎は小さな声で絶賛した。その異常なまでの視線に、薫は、益々、羞恥心を覚えてしまう。
「やっぱり、恥ずかしいわ、こんな格好……。それに何かこの衣裳、変な着心地がするのよね。ゴワゴワするっていうか」
そのとき、アキトと痔郎がこっそり顔を見合ったのをつかさは見逃さなかった。何となく意味深な気がして、つかさは怪しむ。何か企んでいなければいいのだが。
「まあ、何たって手作りだからな。多少の不都合は大目に見てくれよ」
痔郎の代わりに、アキトが弁明した。これでなおさら怪しさが倍増する。
「それは、まあ、分かるけど……それにしても、このスカート、裾が短すぎない?」
スカートの裾は、ほとんど股下に近いところまで切り詰められていた。原作のアニメもそんなものだが、そのコスプレとなると実用的でない気がする。
「これでクライマックスのアクションをするわけでしょ? スカートの下が見えちゃいそう」
「それがいいんじゃないか!」
アキトは力強く言った。ただし、鼻の下がかなり伸びているので説得力がない。
「戦闘シーンでパンチラをサービスすれば、男の観客は大喜びするぞ!」
「バカ言わないで! 何で私が大衆の面前で、そんなハレンチなマネをしなければいけないのよ!?」
「それが見せ場ってモンなんだよ! 別に減るモンじゃあるまいし、パンツくらい見せてやったっていいだろ! ――なあ、田隈?」
「う、うん……」
同意を求められた痔郎は、薫と視線を合わせないようにしながら、小さくうなずいた。コスチュームをデザインし、ヒロイン役を指名したのも痔郎だから、内心では念願が叶って大喜びしているのかもしれない。
つかさは、やっぱりか、と心の中で頭を抱えた。アキトが痔郎の『ブルセラムーン』を猛プッシュしたのは、そのような企みがあったからなのだ。だからメイドカフェから、こちらに乗り換えたのだろう。何らかの理由があるとは睨んでいたが、予想通り、くだらない目的だった。
当然、アキトの言葉に対して、薫の目は三角に吊りあがった。どこに隠し持っていたか、愛用のハリセンを抜き放つ。
「ふざけるなぁ!」
パシィィィィィィン!
かくして、衣裳合わせは順調に(?)終わったのであった。
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