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WILD BLOOD

第16話 アンタッチャブルは突然に

−1−

「うぅ〜ん……」
 武藤つかさはベッドの中で寝返りを打とうとした。
 琳昭館高校で行われた文化祭『金輪祭』の翌日、ちょうど十一月三日の文化の日で、学校に行かなくてもいいこともあり、目覚まし時計にわずらわされることもなく、つかさはたっぷりと朝寝を満喫するつもりだった。このところ、ずっと文化祭の出し物『美少女天使ブルセラムーン』の準備に追われ、忙しかったせいもある。季節柄、秋も深まってきたので、布団の中でぬくぬくと過ごすことは、平日では味わえない心地よさだった。
 ところが、寝返りを打とうとしたつかさは自分の身体が動かないことに気がついた。何となく身体が重い。上から誰かに乗っかられているようだった。
(まさか……!)
 つかさは以前にもこういうことがあったことを思い出した。不届きにも寝ている自分にのしかかってくる人物なんて、知り合いの中では一人しか思い浮かばない。
 つかさは上に乗っている人物を懲らしめるべく、思い切り跳ね除けてやろうと、バッと起きあがった。ところが――
 のしかかっていたはずの人物は、つかさの動きを察知したみたいに、それよりも早くベッドの上から飛び退いていた。布団だけが天井高く舞い上がる。つかさは相手の俊敏さに驚いた。
 これでもつかさは天智無元流と呼ばれる古武道を身につけており、その気になれば普通の人間よりも素早く動くことができる。それこそ、いつも女の子と間違われる可愛い顔立ちからは想像も出来ないくらいに。
 今だって、決して手心を加えたわけではない。相手は、つかさとしては唯一とも言える、手加減無用の存在だからだ。だが、少し懲らしめてやるつもりが、今回はその抵抗を見透かされていた。こんなことは初めてだ。
 しかし、つかさはひとつ勘違いをしていた。それは自分の上に乗っかっていた人物のこと。てっきり、クラスメイトの仙月アキトの仕業に違いないと思っていたのだが、実際には別人であることに気がついた。
「もう、もっとゆっくりと寝ていればよかったのに」
 吹っ飛ばされそうになったことなどおくびにも出さず、欠伸を噛み殺しながら伸びをし、枕元に立っている人物は、つかさの驚いたような顔を見るや、艶然と微笑んだ。つかさはベッドの上で正座したまま、目を丸くし、口をパクパクさせることしかできない。
「ど、ど、ど、どうして……?」
 つかさが寝ているところへ忍び込んだのは、アキトではなく、世の中いる男たちの大半を秒殺するであろう、とびきりキュートな笑顔の美少女だった。白黒のボーダーのシャツに、デニムのホットパンツ、上着にはカーキ色をしたやや大きめのミリタリーコートを羽織り、スラリとした脚には白いラインが一本入った黒のニーソックスという出で立ちだ。その美少女は身を屈めると、つかさの顔を両手で挟むようにして、自らの顔を近づけた。
「会いたかったわ。マイ・スィート・ダーリン♪」
 まるでキスでも迫るようにしてきたので、つかさは思い切り狼狽した。
「わっ、わわわわわわっ!」
 身をよじって逃げようとしたら、そのままつかさはベッドに倒れ込んでしまった。その上に美少女が覆いかぶさる。まるで押し倒されたような格好だ。
 実際、美少女はつかさの上に馬乗りになると、いたいけな少年の手首をつかみ、その抵抗力をあっさりと奪ってしまった。
「久しぶりね、つかさ」
 顔と顔とがくっつきそうだった。熱を帯びたような吐息が感じられる。つかさは驚きと緊張から、なかなか言葉を発することができなかった。
「あ、杏姉ちゃん!? どうしてここへ!?」
 それはつかさの従姉、琴姫杏<ことひめ・あん>だった。
「そんなの決まっているじゃない」
 つかさよりも二つ上の杏は、十八歳とは思えない大人の女の魅力を発散しながら、誘惑するように微笑んだ。思わず、つかさの喉仏が大きく動く。
「私との約束、憶えているわよね?」
「や、約束……?」
 つかさは反射的に問い返した。すると途端に、杏の表情が曇る。そして、大事な約束を忘れてしまったつかさをなじるように、
「ひど〜い。つかさったら、忘れちゃったの!? 三年前、将来、結婚しようって言ったじゃないの」
「け、結婚!?」
 大胆過激な登場にも面喰ったが、“結婚”という言葉に、さらに動転してしまうつかさであった。純情な性格も相まって、顔が赤くなる。そんなウブな反応を見て、杏は小悪魔的にニンマリとした。
「そうよ! 私たちは将来を約束した仲じゃないの!」
 そう言うや否や、杏はつかさに覆いかぶさるようにしてきた。まるで愛犬を可愛がるように全身での愛情表現。つかさは必死になって、その束縛から逃れようとしたが、杏の長い手足によって完璧にロックされ、どんなに頑張っても抜け出せない。相手は女、自分は男であるにかかわらず、情けない話だ。ただただ、ベッドの上をのたうち回ることしかできなかった。
「もお、つかさったら、ウブなんだからぁ! お姉さんがいろいろと教えて、ア・ゲ・ル♪」
「や、やめてよ! お願いだから、放して!」
 こんな美少女の積極的なアプローチを断ろうだなんて、世の男性諸君から見れば言語道断の行為であったが、それでもつかさは抵抗を続けた。
 そんなドタバタした騒ぎを聞きつけたのだろう、部屋のドアがノックなしに開けられた。そこに立っていたのは、つかさの唯一の同居人、祖母のつばきだ。
「何を暴れているんだい、二人とも。プロレスごっこならここじゃなく、爺さんの道場でやっておくれ!」
 その一喝に、二人は動きを止めた。つばきは腰に手を当て、ベッドの上で淫靡にもつれあったままの二人を睨む。確かにその格好は、プロレスごっこに見えなくもない。
「ば、ばあちゃん……」
 杏はあっさりとつかさから放れると、今までのことなどなかったかのようにベッドの上に正座し、礼儀正しく頭を下げた。その豹変ぶりに、つかさは唖然とする。
「ご無沙汰しています、お婆さま」
「よく来たね、杏。とにかく下においで」
 それだけ言うと、つばきは一階へ降りて行った。姿が見えなくなった途端、杏はふーっと息を吐いて、肩の力を抜く。
「相変わらずねえ、お婆さまは。まあ、あのお爺さまと長年連れ添ったのだから当り前だけど」
 杏はベッドから降りると、仕方なさそうに部屋を出て行こうとする。さすがの杏も厳格な祖母のつばきには逆らえなかった。
「それじゃあ、つかさ。下で待っているから」
 まだ肩で息をしているつかさにチャーミングなウインクを投げかけると、杏はつばきの跡を追うようにいなくなった。一人残されたつかさは、まだ頭の中が混乱している。
「どうして、杏姉ちゃんが……? 結婚の約束って……どうして、ボクが……?」
 着替えをしてから一階に降り、洗面を済ませてから茶の間へ行くと、そこでは上着を脱いだ杏がつばきの用意した朝食を摂っていた。お先に〜、などと、澄まし顔で食している。つかさは向かい側に座ると、つばきがご飯をよそってきた。
「杏姉ちゃん、いつ名古屋から?」
 杏の実家は名古屋だ。こうして会うのは、つかさの両親が亡くなった三年前以来になる。
 杏は味噌汁に口をつけてから、玉子焼きに箸を伸ばした。
「今朝。一番の新幹線」
 玉子焼きを口の中に放り込むと、食欲旺盛にご飯をかきこむ。どうやら朝は食べて来なかったようだ。
「なんでいきなり?」
 つかさは箸をつけるどころではなかった。こんなに朝早くから、東京へやってきた理由が分からない。杏は結婚を口走っていたが、つかさはまだ十六。結婚など出来るわけがない。
 杏はすべてを平らげると、ごちそうさま、と合掌して、箸を置いた。普段はどうだか知らないが、祖母つばきの手前、行儀よくしているのだろう。そして、改めてつかさに向き直る。
「お婆さまには前から話してあったんだけど、私、こっちの大学を受験することにしたの」
「えっ?」
 現在、杏は高校三年生。あと少しで受験だ。
「今日はその志望校で学園祭があって、せっかくだから一回、観ておこうかと思って。でね、来年、その大学に受かったら、ここから通わせてもらうつもり」
「は?」
 一瞬、つかさは杏の言っている意味が分からなかった。数拍おいてから――
「えええぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
 つかさは飛び上がらんばかりに驚いた。そんな話、祖母のつばきからも聞いていない。青天の霹靂だった。
「ば、ばあちゃんは、それを許したの!?」
「ああ」
 つばきは言葉短く首肯した。つかさは狼狽する。
「なんで!?」
「なんでって、お前、孫娘の願いを無碍にもできないだろう? こっちの一人暮らしは何かと物入りになるし、杏の両親だって何かと心配だろうさ。その点、ウチに来れば、そんな心配はなくなるからね。それにウチは爺さんが死んで、私とつかさの二人じゃ広過ぎるくらいだろ。空いている部屋なんていくらでもあるよ」
「そんなぁ……」
 つかさは情けない声を出した。
「つかさも喜んでくれるでしょ? これで来年の春から一緒に暮らせるんだから」
 一方の杏は満面の笑みを浮かべていた。今から楽しみで仕方がないようだ。
 対するつかさは、もしもそんなことになったら、これから毎朝――いや、朝に限らず、杏に寝込みを襲われるのでは、と震えあがった。

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