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WILD BLOOD

第16話 アンタッチャブルは突然に

−2−

 朝ご飯を食べ終えたつかさは、杏に捕まらないうちに出かけようと思った。本当は、今日一日、家でゆっくりしている予定だったのだが、杏が上京してきたのならば、そうもいかない。ところが、こっそりと玄関から出て行こうとすると、そこにはしっかりと先回りした杏が待ちかまえていた。
「それじゃあ、道案内よろしくね、つかさ」
「えっ?」
 事前に何の話もなく、よろしく、とだけ言われ、つかさは困惑した。
「大学の学園祭よ。つかさも一緒に来てくれるんでしょ?」
 当然のことのように杏に決めつけられ、つかさは顔を引きつらせた。
「な、何で、ボクが……?」
「だって、私は東京に不案内だし」
 自分の受験する大学くらい、ちゃんと所在地を調べておくべきだろう、とつかさは思ったが、口には出さずにおいた。もっとも、東京の交通機関は接続が複雑で、地方から出てきた人間には分かりづらいのかもしれないが。
「まさか、右も左も分からない女の子を一人で行かせたりしないわよね?」
 つかさから快い返事がないことを訝った杏は、疑わしい目つきをした。杏を怒らせたら怖いことは、過去の経験から、充分に知っているつかさである。さて、相手の怒りを買うことなく、どうやって断るべきか。
 と、そこへ祖母のつばきがやってきた。
「つかさ、一緒に行っておあげ」
「えーっ!?」
 思わず、不満が露骨に口をついてしまい、つかさは慌ててつぐんだ。杏を振り返らなくても、痛いほど視線が突き刺さっているのを感じる。つかさは冷や汗が出た。
「はるばる名古屋から来たんだ。どうせ休みなんだし、付き合ってやったらどうだい」
「さすが、お婆さま!」
 杏はつばきの援護射撃に感謝した。はるばる名古屋からったって、新幹線のぞみなら一時間半ほどしかかからない。だが、つばきにとって杏は孫娘。可愛いことには変わりないのだろう。
「……分かったよ」
 つかさは観念した。つばきにまで言われては仕方がない。
「やたっ! ありがとう、それでこそ私のつかさだわ!」
 杏はつかさに抱きつくことで感謝と愛情を表した。つかさは真っ赤になり、速攻で回された腕を振りほどこうとする。
「やめてよ、杏姉ちゃん! 特に外へ出てからは、そういうことしないでよね!」
「もお、照れちゃって、可愛いんだからぁ。こぉの、こぉの」
 杏はまったくつかさの言うことなど聞いていなかった。今日はえらい一日になりそうだと、つかさは今からげんなりする。
「それじゃあ、お婆さま。行って参ります!」
「行ってきます……」
 くっつくな、というつかさの意思を早くも無視し、杏は腕を組むようにして引っ張りながら玄関を出た。
 一般高校生の平均身長よりも低めのつかさに比べ、一七〇センチある杏の方が背は高かった。だから、腕を組んで歩く二人の姿は男女逆転してしまっており、杏がつかさをリードする格好になっている。もっとも、つかさのことを女の子と見間違える者は多いため、むしろ仲のいい姉妹が連れ添って歩いていると見られているかもしれないが。
 二人で出掛けられた杏はご機嫌の様子だった。つかさとこうして並んで歩くことを、ずっと待ち望んでいたのだろう。歩く足はスキップでも踏みそうだった。
 片や、こんなところを誰かに見られやしないかと、つかさはおどおどしていた。しかも脚の長い杏のストライドに、歩幅が合わなくて歩きづらい。しかし、つかさの左腕はガッチリと絡め取られており、半ば引っ張られるようにして歩かなければならなかった。
「今日は初デートを楽しみましょ」
「……で、杏姉ちゃんが受験する大学って、どこ?」
 すっかりデート気分の杏を黙殺し、つかさは肝心なことを尋ねた。まだ、どこの大学を受験するのか聞いていない。それが分からなければ、どこへ向かえばいいのかも分からないわけで。
「神鳳女子短期大学」
「神鳳女子短期ぃ?」
 つかさは意外な大学名に驚いた。
 神鳳女子短期大学は決して一流でもなく、それほど有名でもない大学だった。杏の学力がどれほどかは知らないが、神鳳女子レベルの大学なら地元の名古屋近辺にもあるはずである。それをわざわざ東京に出て来てまで受験しようとは、普通の人間なら理解できない話であった。
 とはいえ、杏が神鳳女子短期大学を選んだ理由について、つかさにはすぐに見当がついた。まったく、どうかしているとしか思えないが、他に考えられない。それは――
「そ。あそこって、つかさの高校の近くなんでしょ?」
 やっぱりそうか。とどのつまり、杏はつかさの近くにいられるという理由で、琳昭館高校の近くにある神鳳女子短期大学を選んだのだ。
 そのようなわけで、つかさは神鳳女子短期大学まで杏を案内することになった。それは普段の通学路を歩くことにもつながり、つかさは益々、誰か知り合いに出くわさないかとハラハラし始める。その危険性は一歩ごとに高まった。
「つかさ?」
 信号待ちをしているとき、その恐れていた瞬間が訪れた。つかさは錆びたロボットみたいに首を巡らせる。そこにいたのはクラスメイトの忍足薫だった。
 薫は部活に行くつもりのようで、剣道の用具一式に制服姿だった。見慣れない相手と一緒にいるつかさを見て、怪訝そうな顔をする。ところが、
「おっ、薫じゃん」
 杏が薫の名を呼んだ途端、表情をなくした。まるで幽霊とでも出会ったみたいに。快活な薫にしては珍しい反応だと言えた。
「琴姫……杏……」
 薫は自分でも知らないうちに杏の名を呟いていた。一方、杏は懐かしそうな微笑みを浮かべる。しかし、つかさはそれがうわべだけのものだと見抜いていた。
 驚いた様子の薫に、杏は親しげに近づいた。
「久しぶりだねえ、薫。男の子みたいだったアンタが、すっかり女子高校生らしくなっているだなんて、あの頃じゃ、想像もつかなかったよ。そう言えば、つかさと同い年だったっけ。月日も経つものよね」
 杏は屈託なく笑い、薫のセーラー服姿を眺めた。相変わらず口許は微笑んだままだが、目は笑っていない。まるで何かを値踏みするような目つきだった。
「ふーん、つかさと同じ琳昭館高校か。二人とも相変わらず仲がいいみたいだね」
「あ、杏姉ちゃん、高校が一緒になったのはたまたまで……」
 さっきから黙ったままの薫に代わり、つかさは弁明したが、杏はそれを聞いてはいなかった。
「昔から、アンタたちは一緒だったものね。女の子みたいだったつかさと男勝りの薫。いいコンビだったわ」
「………」
「あのときは別に気にもしなかったけれど、今は違うから。そのことは憶えておいてもらいたいわ」
「何で、今頃……」
 杏の敵意剥き出しの目に対し、薫のそれは戸惑いでしかなかった。いきなりつかさと共に現れた杏に、何と言っていいのか分からない。
「私、こっちの大学を受験することにしたの。来年からはつかさの家から通うつもり。薫、もうアンタにはつかさを守ってもらわなくてもいいわ。これからは私がつかさの面倒を見るから」
 挑戦的な微笑みを向けながら、杏はまるで宣戦布告を言い渡すような態度だった。これにひるむ薫であったが、彼女も気が強い性格である。それを受け止めるだけの根性は見せた。
 女ふたりの火花散る静かな戦いに、つかさはオロオロするしかなかった。完璧に杏は薫に敵意を抱いている。一方的に敵と見なされた薫は、そうされる覚えのないまま、相手の威圧感に、懸命に呑まれまいとしていた。
「私とつかさは、別にそんな……」
「そう? そうならそれでいいんだけれど。――意外と女の子っぽく成長しているものだから、つい私も警戒心を抱いてしまったのかしら。アンタたちがさらに仲良くなったんじゃないかって」
「そんなこと……ありません」
「だったら安心だわ。もしも、つかさのファーストキスでも奪われていたらどうしようって思っていたんだけれど」
「杏姉ちゃん!」
 つかさは杏の勘繰りに腹を立てた。無関係な薫をいたぶるなんて、筋違いもいいところだ。第一、薫とそんな関係でないことは、つかさ自身が知っている。
 ところが杏は、そのときの薫の反応を見逃さなかった。ほんのわずか、耳たぶまで赤くなる瞬間を。
 杏は愕然とした。
「薫、アンタ、まさか――」
 信号が青になった。
「失礼します」
 薫は小さくお辞儀をして、立ち去ろうとした。だが、追いかけた杏が腕を伸ばし、薫を横断歩道の真ん中で引き留める。薫は腕を振り払おうとしたが、杏はそうさせなかった。
「まだ話終わってないんだけど?」
「………」
 薫は杏に顔を見られまいとうつむいた。
 青信号は点滅し、赤へ変わろうとした。
「何してんの、二人とも! 信号変わっちゃうよ!」
 つかさは二人を押し出すようにして、横断歩道を渡らせた。それでも杏は薫の腕を離さない。痣が残るくらい強く握っていた。
「私、稽古があるんで……」
 薫は明らかに逃げようとしていた。こんな薫は珍しい。つかさも不思議に思った。
 すると、杏は唐突に手を離した。解放するのかと思いきや、
「分かったわ。それじゃあ、久しぶりに私が相手をしてあげましょうか」
 さらりとした口調ではあったが、それを聞いたつかさと薫は戦慄を覚えた。

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