RED文庫]  [「WILD BLOOD」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→

 


WILD BLOOD

第17話 拳も恋も一日にしてならず

−1−

「はぁ〜あ」
 月曜日の朝だというのに、武藤つかさはまるで家族サービスをし過ぎたお父さんのように、すっかりと疲れ切っていた。栄養ドリンクのひとつも欲しいところだ。学校へ向かう足取りがなんとも重い。
 それというのも、つかさの従姉、琴姫杏<ことひめ・あん>がいきなり上京してきたせいだ。来春、東京の短大を受験するため、その学園祭を覗いてみようと思いたったらしいが、それは単なるこじつけ。本当はつかさに会いに来たのだというから、ビックリ仰天だ。どうして、ここ何年も顔を合わせていない従姉に惚れられるようなことになったのか、つかさにはさっぱりと分からないまま、一日中、振り回されたという次第である。詳細は前回の第十六話を参照されたし。
 ちなみに杏は、昨日のうちに新幹線で名古屋に帰った。もしも、そのままつかさの家に泊まっていたら、おちおち寝てもいられなかっただろう。ただし、来年の春には、その懸念が現実のものとなるかもしれないが。
 というようなわけで、せっかくの休日が骨休めにならず、むしろ休み前よりも疲労が蓄積した状態で、つかさは登校を余儀なくされた。これがちょっと不真面目な学生なら、ズル休みという手もあるのだろうが、つかさはそういうことができるタイプではない。病気でもない以上、学校は行くものだと当然のことのように思っている。
 信号待ちをしていると、あとからやってきたセーラー服に気がついた。同じクラスの忍足薫<おしたり・かおる>だ。まさに昨日と同じ信号での鉢合わせにつかさは、これは夢で、まだ自分は起きていないのではないか、と疑った。
「お、おはよう」
 少し気まずそうな雰囲気で、薫は挨拶してきた。無理もないだろう。昨日はここで杏に手合わせを強引に申し込まれ、しかも圧倒的な強さの前に敗北させられたのだから。それも竹刀を持っている薫に対して、杏は素手のままだったというのに。
「おはよう」
 つかさは、なるべく普通を装った。薫が受けたショックは、まだ癒えていないだろう。大事な大会前に異次元の強さを見せつけられ、これまでの自分の剣道は何だったのかと、懊悩に沈んでいても不思議はないからである。
 信号が青に変わるまで、何となく二人は黙っていた。
「琴姫さんは……?」
 横断歩道の半ばで、やっとという感じで薫が切り出した。
「帰ったよ。昨日の新幹線で」
「ふーん。たったの一日だったってわけだ」
「うん」
「久しぶりだったけど、相変わらずだったわね」
「そうだね」
「奔放な性格もそうだけど、ムチャクチャな強さもあのときのまんま……」
「薫……」
 つかさはチラッと横顔を盗み見たが、薫は前を向いて、どこか遠い目をしていた。あの頃を思い出しているのかもしれない。つかさたちがまだ幼かった頃を。
「知ってた? 私ねえ、ずっと前からあの人に憧れていたの」
 薫のカミングアウト。でも、つかさはそれを分かっていた。
「うん……何となく……」
「強くて、美しくて、しかも誰にも縛られない自由を持った人! 私も琴姫さんみたいになりたいと思って、これまで努力してきたたつもりだったのに。でも、遠いなあって、昨日、つくづく思い知らされちゃった。少しは距離を縮められた自信があったのになぁ」
 何気ない風に喋ってはいるが、内心はかなり傷ついたのだろう。挫折。劣等感。普段の薫からは縁遠い言葉だ。
 薫とて、剣道では全国クラスの腕前だし、ルックスだって琳昭館高校の一年生の中では一、二を争う存在である(しかも本作のヒロイン!)。それが琴姫杏の前では、まったく意味を為さなくなってしまう。
「薫は薫、杏姉ちゃんは杏姉ちゃん、でしょ?」
 つかさは慰めるつもりで言った。琴姫杏は、あらゆる規格に該当しない人間なのだ。
 薫はそんなつかさの顔を眺めると、小さくため息をついた。
「まったく、簡単に言ってくれるわよね」
「えっ?」
「つかさはさあ、凄い人を間近にして、自分の至らなさに凹むとか、そういうことないわけ?」
 薫に突っ込みを入れられ、つかさは目をパチクリした。
「別に……ないけど……」
 素直なつかさの答えに、薫は脱力した。
「ああ、そう。それは幸せなことですねえ」
 薫の嫌味にも、つかさはピンと来ない様子だった。これには呆れるしかない。
「いいこと、つかさ。普通の人は他人が自分にないものを持っていると、それを羨んだり、妬ましく思ったりするものなの。だから人は、『お金持ちになりたい』とか、『きれいになりたい』とか願望を持つのよ」
「それは分かるよ。でも、自分とその人がまったく同じにはなれないわけで」
「そういうことじゃなくて、あなたには嫉妬心とかないわけ?」
「うーん、どうかなぁ」
 つかさが真面目腐って考え込んだものだから、薫は対アキト用のハリセンを取り出して、その頭をスパコォーンと叩きたくなった。
「まったく、こんなヤツに尋ねること自体がバカバカしいわ」
「何だよぉ、こっちは真面目に考えているのにぃ」
 薫に見限られたつかさは口を尖らせた。すると薫は人差し指でつかさの胸を突く。
「そもそも、アンタは琴姫さんに目の敵にされていたでしょ」
「えっ? そうなの?」
「そうなのって……まさか、そんなことも分からなかったわけ!?」
「いや、まあ、あの頃は確かに意地悪なこともされたけど……」
「その理由、知らないとか言わないでしょうね?」
「理由? えーと、そのぉ……」
 頭を掻く呑気なつかさに、薫は本格的に喝を入れたくなった。
「呆れた! そんな風だから、余計に琴姫さんはつかさを敵視したのよ!」
「ちょっと、薫! 出来ればボクにもちゃんと分かるように話してくれない?」
 つかさにはまったく、杏に恨まれるようなことは身に覚えがなかった。どちらかというと、いろいろとひどいことをされたのはこっちなのだが。
 薫は深呼吸をして、荒い鼻息を静め、この“わからんちん”に説明してやらねばならなかった。
「いいこと!? あなたはおじいさんから《天智無元流》を習っていたわよね?」
「うん。本当はあまりやりたくなかったけど」
「でもって、琴姫さんも同じように習い始めた」
「小さい頃の杏姉ちゃんは喘息のせいで、身体が弱かったんだ。それを強くしようってんで、ボクと一緒にやることになったんだよ」
「それで、どっちが強くなったんだっけ?」
「そりゃあ、もちろん杏姉ちゃんだよ。稽古も熱心にやっていたし」
「でも、《天智無元流》の継承者には、つかさが選ばれたんでしょ? というか、おじいさんは最初からつかさに決めていた」
「ああ。だけど、あれはボクが男だからっていう理由だけで、素質や腕前は杏姉ちゃんの方が断然――」
「それよ!」
 ビシッ、といきなり目の前に指を突きつけられ、つかさはその拍子に後ろにひっくり返りそうになった。
「な、何が?」
「琴姫さんがつかさを目の敵にする理由に決まっているじゃない。おじいさんの古武道を継ぐ気もなかったつかさが、男ということだけで後継に選ばれたことが、琴姫さんには納得がいかなかったのよ! 実力なら自分が上! そう思ったに違いないわ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 つかさは慌てた。そんなことで恨みを買っていただなんて。
「ボクは関係ないでしょ! 決めたのはおじいちゃんなんだから!」
「そうはいかないのよ! つかささえいなければ、琴姫さんが継げたかもしれないんだから! つまり、つかさは邪魔な存在でしかなかったってわけ」
「そ、そんなぁ……」
 つかさは半ベソのような顔になった。つかさとて好きで、祖父・源氏郎から古武道を教わっていたわけではない。むしろ、日々のつらい鍛錬や相手を殴ったり蹴ったりすることがイヤだった。それなのに、ただ《天智無元流》の名を背負わされたがために、杏からいわれのない敵愾心を燃やされようとは。
 そう言われてみれば、つかさには思い当たる節が多々あった。杏から殺気すら覚えたこともある。それはこういう理由からだったのか。
 そんなことにも気づかず、毎日を穏便に過ごすことだけを心掛けていた自分は……。つかさは無邪気過ぎた自分を恥じた。
「あの頃、琴姫さんがピリピリしていたのは、そういう理由があったからよ。でも……」
 ここで薫は腕組みした。浮かび上がるひとつの疑問。それは――
「その琴姫さんが、どうしてつかさにホの字になっちゃったわけ?」
 つかさは殺しても飽き足らない相手のはず。それが何故、つかさの恋人を自称するまでになったのか。
「まさか、『憎さあまって、可愛さ百倍』ってわけでもないだろうし……」
 それを言うなら、『可愛さあまって、憎さ百倍』だ。この手の平を返したような真逆の反応が薫には謎であった。
「ねえ、つかさ。何か心当たりはないの?」
「そんなことを言われても……」
 つかさは頭を悩ませながら、十年前のことを思い出していた。

<次頁へ>


RED文庫]  [「WILD BLOOD」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→