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「待て!」
突然、目の前に怪しい人物が立ちはだかった。
その男は旅人が通りかかるのを待ち構えていたらしく、道の片側にある斜面から滑るように降りて来て、その行く手に立ちはだかった。
それは一目で常人とは思えない風貌の持ち主であった。髪はろくな手入れもされずに伸び放題に乱れ、口の周りもまるでドワーフのように髭を生やし、見るからに汚らしい革鎧と何の動物のものとも知れぬ毛皮とをごっちゃに身につけ、手には刃こぼれのひどい短剣<ショート・ソード>を握っている。血走った眼が飢えた獣を連想させた。
「有り金全部、こっちにもらおうか」
男はどうやら旅人を狙う山賊らしかった。これ見よがしに短剣<ショート・ソード>をちらつかせて言う。大きなドラ声をがならせ、脅しぶりは堂に入っていた。
運悪く獲物にされた旅人は、まるで現実から目を背けるように自分が今来た道を振り返った。するとそこへ、もう一人の山賊が同じようにして現れる。それは絶妙のタイミングだったと言えよう。
「おっと、逃げられると思うなよ! 大人しく従った方が身のためだぜ!」
旅人の退路を断ったもう一人の山賊は、スキンヘッドで顔に入れ墨を入れた男だった。以前、何者かに切り落とされたのか、右の耳がない。こちらの得物はやや大振りの短刀<ダガー>で、刀身を舌で舐めるという、少しイカレたジェスチャーで自分を誇示していた。
前後を山賊たちに挟まれ、旅人は進退窮まった。この道は険しい崖の中間点を沿うようにして延びたもので、片側は山賊たちが降りてきた斜面、その反対は落ちれば無事ではいられない断崖となっている。どこにも逃げ道はなかった。
旅人は二人の山賊に恐れをなしたか、無言でその場に立ち続けた。山賊たちはそれをいいことに旅人へと近づく。
「こんなところをたった一人で旅するたあ、命知らずもいいところだな!」
口髭の山賊が唾を飛ばしながら旅人を卑下した。そして、帽子の鍔に隠れた、その顔を覗き込む。
次の刹那、山賊の目が驚きに見開かれた。
「お、お前、女か!?」
山賊がそう驚いたのも無理はなかろう。黒一色の旅装束は、いかにも男のものといった出で立ちであったが、顔は好色な山賊でなくとも震いつきたくなるような美女そのものであったのだ。
今度は別の意味で喜色満面となった口髭の山賊が、旅人の顔をもっとよく見ようと手を伸ばしかけた。すると旅人はその手を嫌うように顔を背け、山賊を一瞥する。その目に怯えはなかった。
「オレは男だ」
やや中性的ではあったが、確かに旅人の声は男のものだった。しかし、だからといって、その美しさが何ら損なわれるわけではない。むしろ男でありながら、傾国の美女をも凌駕する、この魔性のごとき美貌に、わななかない者などいはしないだろう。
山賊たちは金目の物よりも、もっと価値のある獲物に出喰わしたものだと、舌舐めずりせずにはいられなかった。
「こ、こいつはたまげたぜ」
自然と山賊たちの声は上擦っていた。絶対に逃すまいと、美しき犠牲者に詰め寄る。
「男色家の金持ちにでも売ったら、さぞかしいい金になりそうだぜ」
「リルムンド王国の盗賊ギルドなんてどうだ? あそこのギルドマスターはそっちの趣味だって聞いたことがあるぜ」
「ああ。だが、その前にオレたちで楽しむのも悪くはねえな」
「違いねえ。これだけのべっぴんだものな」
二人の山賊は妄想を膨らませた。
にもかかわらず、これからどんな運命が待ち受けるのか分からない旅人の方は、山賊たちの企みに恐れるわけでも、憤るわけでもなかった。まったく無表情に事の成り行きを見守っている。まるで一切の感情が欠落しているかのようだった。
「おい。あまりのショックに声も出ねえのか?」
スキンヘッドの方が旅人の反応の鈍さを訝った。ひょっとすると痴呆かもしれないと疑う。
すると、ようやく旅人の怜悧な目が動いた。
「お前たち、たった二人だけか?」
山賊も大きいものになると百人近くにも上る集団で動く。そういう山賊団は大人数の隊商などを狙い、その稼ぎっぷりも派手だ。それに比べれば、二人組の山賊など追い剥ぎに毛が生えたようなものである。旅人の言葉に、自尊心だけは高そうな山賊たちは馬鹿にされたと思い込んだ。
「な、なめるなよ、オレ様たちを! これでもこの辺りじゃ、ちっとは名の知られた山賊キールとドグラ様だぞ!」
口髭が虚勢を張った。旅人は目をすがめる。
「知らんな」
「ぐぬっ……!」
山賊は言葉に詰まった。所詮は田舎の小悪党。旅人に名が知られるほど広まっているわけがない。
恥辱はすぐに怒りへと転化された。衝動的に短剣<ショート・ソード>を振り上げる。
「貴様ぁ、言わせておけば! このドグラ様を怒らせたな! そのきれいな顔のおかげで助かるだろうと思ったら大間違いだぞ!」
怒り狂った口髭の山賊ドグラは旅人を殺すつもりだった。振り下ろされる短剣<ショート・ソード>。が、しかし、その斬撃は空振りに終わった。
「――っ!?」
旅人は何事もなかったかのように立っていた。山賊の一刀を躱した素振りさえない。なのに、どういうわけか、手にした得物は空を切っていた。
ドグラは毒気を抜かれたように、まじまじと旅人を見つめた。対する旅人に表情の変化はない。ただ、凍てつくような視線をドグラに向けているだけであった。
「お、おい! どうしたんだよ?」
スキンヘッドの山賊キールが様子のおかしい相棒に声をかけた。彼にもドグラがわざと空振りしていながら、そのくせ戸惑っているようにしか見えなかったからである。と同時に、今日の標的にしたこの旅人が、その凄まじき美貌の他に、どこか得体の知れぬものを秘めていることを、薄々、感じ取りながら、胃に鉛を呑み込んだような心持ちに陥っていた。
旅人が一歩、前に進み出た。それに気圧されるようにして、ドグラが一歩、後ずさる。いつの間にか両者の関係は逆転していたようだった。
「ならば、こちらも名乗ろう。オレの名はウィル。通りすがりの吟遊詩人だ」
黒衣の旅人は、その身に鬼気というオーラをまとった。これまで人を殺めたことすらあるドグラとキールが怖気立つ。吟遊詩人のウィル。彼らはとんでもない相手を襲ってしまったのだ。
殺られる――と山賊たちが覚悟した刹那、ふとウィルの注意は他に向けられた。その表情はこれまでになく硬い。それはドグラのさらに後ろ、ウィルが向かおうとしていた先にいた。
そんな美麗の吟遊詩人につられて、山賊たちもそちらを確かめた。そこにいたのは一人の少女と一匹の犬。
いつの間にやって来たのか。少女の方は十五、六といった年頃であった。黒髪をおさげにし、平凡な麻のワンピースを着た、利発そうな娘である。肌が透き通るように白い。じっと山賊たちを見つめていた。
一方、犬はとても変わっていた。少女とさほど変わらぬ大きさの黒い犬。だが、恐ろしいことに、その頭は三つもある。牙を剥き出しにし、その狂暴性を露わにしていた。
忽然と現れた一人と一匹に、山賊たちは気味悪さを覚えた。ここは人里からかなり離れた、旅人くらいしか通らぬ寂しい道である。荷物ひとつ持っていない少女が散歩のついでにやって来るようなところではない。ましてや、面妖な犬を連れて。
最早、山賊たちはウィルよりも、その少女と犬しか見ていなかった。武器を持つ手が自然と震えてくる。舌が口の中でもつれた。
「な、ななな、何だ、てめえは!?」
少女は少し顎を引いた格好で二人の山賊を睨んでいた。そして、静かに右手を挙げ、彼らを指差す。不思議なことに、少女もまた、ウィルなど眼中にないようだった。
次の刹那、少女の傍らにいた三つ首の犬が、弾けるように駆け出した。ガルルッ、と唸り声をあげながら、驚愕に目を見開く山賊へと襲いかかる。
「あひーっ!」
ドグラの横を素通りし、まず飛びかかったのはスキンヘッドの山賊キールにだった。三つの頭のうち、両端がキールの左右の肩を、そして真ん中が喉笛に食らいつく。一瞬の出来事に、手にした短刀<ダガー>を振るう間もない。キールはそのまま背中から倒れ込み、出血多量によるショックで呆気なく即死した。
「ひぃぃぃぃぃっ!」
相棒の死を目撃したドグラは悲鳴をあげた。泣き叫ぶようにしながら、短剣<ショート・ソード>をムチャクチャに振り回して逃げる。そっちには少女が立っていた。
すると山賊は少女の顔を見て、まるで何かを思い出したかのようにハッとした。
「お、お前はまさか、あのときの夫婦の――!?」
少女が再び山賊を指差した。それは死刑宣告。ドグラの顔が恐怖に歪んだ。
「寄るな、寄るな、寄るなぁぁぁぁぁっ!」
ドグラが突進してきても、少女は避けようともしなかった。眼前に迫る山賊。そこへ背後から、すでに一人を屠った三つ首犬が覆いかぶさる。
「うわああああああっ! や、やめろぉぉぉぉぉぉっ!」
押し潰されるようにして倒れたドグラは手足をばたつかせたが、この魔犬は情け容赦なかった。まず右腕を付け根から食いちぎる。次には反対の腕。そして脚へ。剣よりも鋭く尖った牙が食い込むたびに、ドグラは涙をこぼして哀願した。
「た、助けて! 助けてくれぇぇぇっ! ぎゃあああああああああっ!」
だが、誰も止める者はいなかった。少女も、吟遊詩人のウィルさえも。
最後は腹を食い破られ、臓物を引きずり出された。あまりにも凄惨な光景にも関わらず、少女はまったく表情を変えない。それが当然の報いだとでも言うように。
三つ首の黒い犬は、ようやく残酷な嗜虐に満足したのか、虫の息になったドグラから体をどけた。そして、すべてを見守っていた少女のそばへと帰っていく。一人と一匹は何事もなかったかのように背を向けて歩き出した。
「待て」
去りゆく少女をウィルは呼び止めようとした。だが、その言葉は聞こえなかったのか、それとも関心がないのか、少女たちはそのまま行ってしまう。ウィルもそれ以上、引き留めようとはしなかった。
代わりにウィルは、四肢をもがれたドグラのそばにひざまずいた。今際の際の山賊は何かを言い残そうとしているのか、口を弱々しく動かしている。ウィルは耳を近づけた。
「あ……あ、いつ……は……ウルの村の……」
それきりドグラは事切れた。ウィルは死者への祈りを捧げもせずに立ち上がり、少女と三つ首の犬が去った方角を見やる。
「ウルの村か」
吟遊詩人ウィルの冷たい双眸は、何かを思案しているようだった。
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