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吟遊詩人ウィル

聖拳の継承者

1.襲われた村

 翼の羽ばたきが聞こえた刹那、一瞬だけ太陽の光を遮る影があった。
 何事かと空を仰ぎ見る人々。
 それと時を同じくして、思わず耳を塞ぎたくなるような甲高い啼き声が周囲に響き渡った。
 村人たちの表情が途端に強張る。その正体を見るまでもない。それは、この村──カダックに幾度となく災厄をもたらしたもの。その姿も奇怪で、醜悪な女の顔と胸も露わな上半身を持ち、残りの腕や脚に当たる部分は尾白鷲のそれだ。半人半鳥のモンスター。すなわち──
「ハーピィだあああああっ!」
 のんびりと畑仕事をしていた年輩の男が、泡を食ったような慌てぶりで叫んだ。その声を聞きつけ、近くにいた村人たちは、すぐさま行動を起こす。女たちは外で遊んでいた子供の手を取り、あるいは抱きかかえ、近くの家へ避難しようとした。そして、男たちは畑仕事の道具を武器として握りしめる。女子供が逃げるまで戦って、少しでも時間を稼ぐつもりだ。
 ハーピィの襲来は、たちまち村をパニックに陥らせた。あちこちから湧き上がる悲鳴、泣き声、怒号。収穫が近づいた畑も踏み荒らし、頭を抱えるようにして逃げまどった。
「ハーピィだと!?」
 家屋のある方向から、年輩の男性が手に武器代わりのシャベルを持ちながら駆け寄ってきた。その場にいた若者の一人が空を指さす。
「村長! あれです!」
 若者に示され、年輩の男性──村長はその方角を見上げた。それを見て、苦々しげに歯ぎしりする。
「ぬうっ、また来たのか!? どうしてこうも毎日のように……。三匹だけか!?」
「おそらくは。──ちいっ、見張りのヤツは何をやってやがったんだ!?」
 若者が舌打ちし、悪態をついた。このところ、ハーピィの襲来が頻繁なので、山の麓に交代で見張りを立てていたのだ。ハーピィが村へ来るようなら、太鼓を叩いて知らせるのが手はずである。ところが警告の太鼓は鳴らなかった。それなのに、この襲撃である。
 憤る若者を見て、村長が言う。
「ルジェーロ、今はそんなことを詮索している暇はない! とにかくハーピィを追い払うのが先決だ!」
「分かりました!」
 ルジェーロと呼ばれた若者は、大きな声とジェスチャーで他の男たちに合図した。彼は村の若者たちの間ではリーダー的な存在だ。いち早く、村長の元へ皆を集合させようとする。
 一方、地上の人間たちに対し、ハーピィは悠然と上空を旋回していた。まるでじっくりと獲物の品定めをしているかのようだ。
「チクショウ! オレが仕留めてやるぜ!」
 血気盛んな若者の一人が、あらかじめ準備していた弓矢をハーピィに向け、発射した。しかし、普段から畑仕事しかしていない者に、弓矢の扱いは難しい。矢はハーピィに当たるどころか、届きもしないような有様だった。
「キシャアアアアアアアッ!」
 それがハーピィの攻撃性に火をつけたのか、いきなり急降下して、村の男たちを襲い始めた。足についた鋭い鉤爪で逃げようとする無防備な背中をえぐる。
「うわあああああっ!」
 悲鳴を上げて倒れ伏す村人。武器代わりの鍬や鎌を振るう暇もない。ましてや、ハーピィには翼があるのだ。自在に方向を変えながら襲ってくる。
「みんな、一カ所に固まるんだ! バラバラだと危険だぞ!」
 村長が叫ぶ。だが、この恐慌の中、どこまでこの指示が伝わるか。
 そうこうしているうちに、一人の村人がハーピィに捕まった。両肩を鷲掴みにされ、アッという間に上空へ持ち上げられる。
「た、た、助けてくれーっ!」
「ヘンリー!」
 それはルジェーロの友人であるヘンリーだった。ハーピィに捕らえられたヘンリーは、泣きながら降ろしてくれと懇願する。両足もバタバタさせていた。
 するとハーピィは、その願いを聞き入れたのか、おもむろにヘンリーを解放した。ただし、とんでもない高さから。
「わああああああああっ!」
 グシャッ!
 鈍い激突音とともに、ヘンリーの四肢が地面に投げ出された。頭蓋は割れ、首はあらぬ方向に折れている。おそらく、即死だろう。多くの村人たちは目を背けた。
 墜落死したヘンリーの死体に、三匹のハーピィが一斉に群がった。そして、屍肉をむさぼり喰らい始める。顔が人間の女性に酷似しているだけに、おぞましき光景。村人の中には胃の中の物を戻す者もいた。
「やめろおおおおおおっ!」
 友の死に怒ったルジェーロが、鍬を振りかざしながらハーピィたちに向かっていった。それを村長たちが止めようとする。
「ルジェーロ! 一人じゃ無理だ! 戻ってこい!」
 だが、ルジェーロは忠告を無視した。ハーピィを血祭りに上げる。友の仇だ。もう、それしか頭にない。
 ルジェーロが近くまで来ると、ハーピィたちは一度舞い上がった。ルジェーロの鍬も届かない。それでもルジェーロは跳び上がって、ハーピィたちを牽制した。
「この野郎、降りて来い! さもなくば、とっとと山へ帰りやがれ!」
 怒声を浴びせるルジェーロに対し、ハーピィたちは嘲笑うかのように啼き声を発した。しかもルジェーロを見下ろす顔は、口許が死体の血で真っ赤になっており、まるで凄惨な笑みを見せているかのようだ。ルジェーロは反吐が出そうなくらいムカムカした。
 ふと地面に目をやると、無惨に死屍をさらしているヘンリーの姿があった。先程まで冗談を言い合いながら一緒に畑仕事をしていた友。ルジェーロは心が空虚になるような喪失感を味わった。
「危ない、ルジェーロ!」
 警告の声が鋭く発せられたのは、そのときだ。茫然としているルジェーロに、ハーピィが猛然と襲いかかった。
 虚を突かれた感じのルジェーロは反応が遅れた。ヘンリーの二の舞。村人の誰もがそう思った瞬間だった。
「──!」
 突然、ルジェーロへ襲いかかるハーピィに向かって、別の方角から矢のような光弾が飛んできた。それはハーピィの羽根をかすめ、上空からの攻撃を滞らせる。その隙に、ルジェーロは転がるようにして、ヘンリーの死体から離れた。
 村人たちは、逃げてきたルジェーロを抱きかかえるようにしながら、光の弾丸が飛んできた方向を見た。同じく、上空のハーピィたちもそちらを注視する。その瞬間、時間の流れが緩やかになったような気がした。
 村の入口の方から歩いてくる一人の旅人。目深にかぶった旅帽子<トラベラーズ・ハット>も、優雅に羽織ったマントも、全身が黒ずくめという出で立ちだ。男なのか、女なのか。全身の線は細く、華奢だ。黒い髪も長く伸ばしている。
 その伏せがちな顔がこちらに向けられると、期せずして村人たちから息を詰めるような呼気が漏れた。
 昼間なのに、煌々とした月の光を思い起こさせる、そんな美しさ。白き相貌がそれを輝かせているかのようだ。
 いかなる美男も、いかなる美女も、この者の前では色褪せてしまうだろう。それほどの美形。──いや、そんな言葉すら無粋かも知れない。
 美しき黒衣の旅人は、気がつくと、村人たちのすぐ近くまで来ていた。それまで、あまりの美しさに心を奪われていたせいで、いつの間に目の前へやって来たのか分からない。その姿が決して幻ではなく、実像だと理解して、ようやく時の流れが元に戻る。旅人は人を惑わせる魔性を漂わせていた。
 だが、それは人間ばかりか、ハーピィにすら影響を与えていたようだ。捕食を邪魔されたハーピィたちにとって、突如として現れた旅人は敵のはず。だが、先程と同じところで滞空しながら、まったく微動だにしていなかった。
 それは旅人の美しさに見取れたがためか。それとも、常人には分からぬ鬼気を旅人がまとっていたがゆえか。
 黒マントの旅人は、頭上のハーピィたちを見上げた。美しさの中にも凄みをたたえた眼。それに一瞥されたとき、ハーピィたちの羽毛は総毛立ったことだろう。
「キシャアアアアアアアアッ!」
 鋭い啼き声を上げ、三匹のハーピィたちは急降下してきた。殺される前に殺せ。そんな本能が働いたのか。一斉に鉤爪を突き立てようとする。
 そのとき、旅人が取った行動は──
 バッ!
 勢いよくマントをはねのけるや否や、襲い来る半人半鳥の化け物に向かって、両腕を突き出した。そして、可憐な唇がひとつの呪音を紡ぎ出す。それは──魔法の呪文。
「ディノン!」
 手の平から眩い光が発せられた。それは三条の光線となり、正確無比に、三方から襲いかかろうとしていたハーピィたちの急所を貫く。白魔術<サモン・エレメンタル>によるマジック・ミサイル。
「ギエエエエエエエッ!」
 ハーピィは悲鳴のような啼き声を発し、それぞれ地面へと墜落した。それは村人たちの脅威が、一瞬にして去った瞬間。目撃した村人たちは歓喜するよりも、茫然と旅人を見やった。
 やがて山の麓から太鼓の音が聞こえてきた。ハーピィ襲来を知らせる警告だ。もっとも、すでに犠牲者を出しており、手遅れとも言えたが。
「アンタ……魔法使いか?」
 ようやく村長が旅人の方へ歩み出て尋ねた。ここで生まれ育った村の誰もが魔法など見るのは初めてだ。
 すると美しい旅人は、何の感情も持っていないかのような無表情な顔で、軽く否定した。その相貌にふさわしい、耳障りのいい美声で。
「オレの名はウィル。ただの吟遊詩人だ」


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