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吟遊詩人ウィル

聖拳の継承者

2.ノボス山

 東西に長く伸びる煉獄山脈は、ネフロン大陸最長の山脈だ。五大王国のエスクード王国、ルッツ王国を初めとして、ガイアス公国、ダクダバッド共和国、ラント連邦、シャムール王国、マレノフ王国、ロハン共和国と幅広くまたいでいる。その偉容は、まさに天界と冥界を隔てる巨大な壁のようだった。
 その煉獄山脈に名を連ねているノボス山は、東の大国ロハン共和国の北方に位置する岩山である。標高は周囲の山脈の中では図抜けて高い。岩肌は赤茶け、空気は薄く、人里からも遠く離れているが、こんなところにも村を作って暮らしている人々がいた。
 それがカダック村だ。
 かつては寺院の修行僧<モンク>たちが、このノボス山に登り、過酷な精神修行を積んだと言われている。それを知った人々が、その霊験にあずかろうと思ったのか、自然に寄り集まってきたのが、この村の発祥であるらしい。
 ただし、近年はそのような修行も寺院の独居房にこもってすることが多くなり、ノボス山を訪れる修行僧<モンク>は少なくなっている。それでも昔からの名残か、ロハン共和国の人々にはノボス山は霊山であると、広く知れ渡っていた。
 そんな村へ、旅人の──それも身震いするほどの美貌を持った吟遊詩人の訪問は、とても珍しいことと言えた。もし、このウィルと名乗る男が偶然にやって来なければ、村はハーピィどもに荒らされ、もっと深刻な被害を受けていたことだろう。
「ありがとうございました。あなた様のお陰で助かりました。村の者を代表して感謝致します。──私はこのカダック村の村長、バージルです。何もない村ですが、どうぞゆっくりして行ってください」
 やっと、吟遊詩人の妖しい美しさがもたらす呪縛を解いた村長のバージルが、ウィルに歓迎の意を表した。
 ウィルはそれに答えず、やや右へ視線を傾けた。そこには見るも無惨な姿になった友人ヘンリーの亡骸を抱きかかえて泣くルジェーロが。そして次に、とても近くにまで迫った雲が覆い隠す山の頂上を見やった。
「村長、ここへはよくハーピィが襲ってくるのか?」
 ウィルは不意に尋ねた。バージルは沈痛な面持ちでうなずく。
「ここよりもさらに上へ行ったところに、ハーピィたちの巣があるのです。昔から、村へやって来ては、農作物や家畜を狙っていきました。しかし、そのたびに我々の祖先たちは村を立て直し、ここでの生活を守ってきたのです。決して村を捨てようとはせずに」
 バージルは話しながら、家々が建ち並ぶ村を眺めた。家の扉からは、怖々と外を覗いている母親と子供の顔が見える。村長であるバージルには、みんなを守る義務があった。そして、改めてウィルへと向き直る。
「ところがこの一ヶ月ばかり、ハーピィの飛来がとても多くなっているのです。原因は分かりません。しかし、二日と置かずにやって来ては、村人を襲い、畑を荒らしていきます。さすがにこう頻繁では、私たちの生活も脅かされてきました。一週間前、このことを領主に訴えて、ハーピィを撃退する兵を送ってもらおうと遣いを出したのですが、順調にいっても、戻ってくるのは、さらに一週間くらいかかるでしょう。私たちも自衛しようと、こうして農作業用具を武器にして戦ってはいるのですが……」
 そう言ってバージルは、ルジェーロが抱えるヘンリーの遺体を見た。このひと月で、すでに七人目の犠牲者だ。いつまでこんなことが続くのか。バージルの顔には疲労の色が濃かった。
「お父さん!」
 そこへ、遠くから呼ぶ若い女の声がした。見れば、こちらへ走ってくる、まだ二十歳にも満たぬ少女だ。その後ろからも、同じ年頃くらいに見える十六、七の少年が駆けてきた。
「エルザ!」
 バージルは娘の名を呼ぶと、両腕を広げた。そこへ娘のエルザが飛び込む。
「無事だったのね? 良かった!」
 エルザは明るい茶髪を三つ編みにしているが、幼さよりも美しさが際立った少女だった。吸い込まれそうなエメラルド・グリーンの瞳をしている。手には籐製のバスケットを下げていた。
「エルザ、お前こそ! どこへ行ったのかと心配したよ」
 溺愛ぶりが窺えるほど、バージルはエルザの頭を撫でた。今までの悲痛な表情も、やっとなごんだものになる。
 エルザは父に抱きついたまま、後ろを振り返った。
「ヨハンにお弁当を届けていたの。そうしたら、ハーピィが村へ降りてくるのが見えて! 怖かったわ!」
 エルザはそう言うと、もう一度、父にしがみついた。
 そのエルザの後ろにいた少年が、色がぼけたようなグリーンのチューリップ帽を取りながら、バージルに会釈した。体つきが華奢で、ひ弱そうに見える少年だ。
「村長、ご無事で何よりでした」
「ああ、ヨハン。キミも無事で良かった」
 バージルもうなずいて言う。
 だが、そのやりとりに我慢できない者がいた。
「ヨハン!」
 ヘンリーの亡骸を抱えていたルジェーロだ。遺体をそっと地面に横たえると、ヨハンに向かって足早に歩み寄る。その顔は怒りに満ち、握りしめた拳が何を言わんとしているのか示していた。
 近づくルジェーロに、ヨハンは少し後ずさった。だが、ルジェーロの脚は駆け足になり、そのままヨハンへと殴りかかる。
「この野郎!」
 ルジェーロは右拳でヨハンの左頬を殴った。容赦のない一撃。ヨハンは手にしていたチューリップ帽を投げ出し、そのまま地面に倒れ込んだ。
 そのヨハンを前にして、ルジェーロは仁王立ちになる。
「お前、見張りだったろ!? どうして、合図の太鼓を叩かなかった!?」
「ご、ごめん……」
 ヨハンは弱々しく謝った。だが、ルジェーロは許さない。むしろ、怒りはさらに込み上げた。
「ごめん、だと!? ごめんで済むか! ヘンリーが死んじまったんだぞ!」
「へ、ヘンリーが!?」
 その事実にヨハンは愕然となった。小さな村である以上、ヨハンも知らない間柄ではない。
「お前がちゃんと合図を送っていれば、ヘンリーは死なずに済んだかもしんねえんだ!」
「ルジェーロ……」
 バージル村長は言葉を詰まらせながら、ルジェーロを見た。集まっている他の村人も同じだ。ルジェーロのように、ヨハンに憎しみの目を向けている者もいる。
 ヨハンはベソをかきそうだった。そんなヨハンを見て、余計にルジェーロは激昂する。
「立て! さあ、立ちやがれ!」
 ルジェーロはヨハンの胸ぐらをつかんで、強引に立たせようとした。その両者の間に、自らの身を割り込ませるようにした人物がいた。
「やめて、ルジェーロ!」
「エルザ!?」
 それはエルザだった。可憐な少女に拳を振り上げかけて、ルジェーロは引っ込める。その隙にエルザはヨハンの胸ぐらをつかむ手も引き剥がした。そして、地面に座り込んでいるヨハンを守るように立ちふさがる。
「殴るなら私を殴って! 私が悪いの! ヨハンにお弁当を作って行って、一緒に食べようと言ったから! あの狭い見張り台じゃ、二人一緒で食べられないし、私が強引にヨハンを下に降ろしたのよ。そうしたら、運悪くハーピィが……。それでもヨハンは村に知らせようとして、急いで見張り台に登ったわ! ヨハンは何も悪くない! 悪いのは私よ!」
「くっ……」
 エルザの弁明に、ルジェーロは唇を噛んだ。怒りのやり場を失い、必死に感情を鎮めようとする。それは非常に忍耐を要した。
 しかし、さらにエルザはルジェーロに食ってかかった。
「だけど、ルジェーロ! 前から言おうと思っていたんだけど、どうしてヨハンにばかり見張りをさせるの!?」
 この追求に、ルジェーロは鼻白んだ。懸命に弁明する。
「そ、そんなことはない! みんなで順番に立っているさ!」
 しかし、即座に、
「ウソよ! ヨハンが見張りに立つ回数は、他の人たちよりも圧倒的に多いわ! 不公平よ! ルジェーロ、あなたが村の青年たちを束ねているんでしょ!? それなのに、これはどういうこと!?」
 エルザは可愛い見かけと裏腹に、鋭くルジェーロに切り込んだ。さすがのルジェーロもエルザ相手となると分が悪い。思わず、しどろもどになる。
「よ、ヨハンは畑仕事よりも、こういう仕事の方が向いてると思ったし……他の連中だって、いろいろと忙しいんだ。仕方ないだろ」
 この回答に、益々、エルザは納得しない。
「忙しいのはみんな一緒でしょ!? ヨハンだって仕事があるのよ! ──ルジェーロは、ただヨハンが気に食わないだけなんだわ! ヨハンに何でもかんでも押しつけて、それで平気なんでしょ!?」
 ヨハンが気に食わないというエルザの指摘は確かである。ルジェーロは、昔からヨハンが好きではなかった。小さい頃から外で遊ぶよりも本を読む方が好きという変わり者だったし、何より、そんなヨハンにエルザが好意を寄せるのが不可解で仕方がない。男の価値は、どれだけ仕事をして、家族を養っていけるかだと思っている。その点でルジェーロがヨハンに劣っているとは、とても思えなかった。
 だから、ついヨハンにつらくあたってしまうルジェーロであった。しかし、エルザはちゃんとその辺も見抜いている。
 追い打ちをかけようとするエルザのスカートを、ヨハンがつかんで引っ張った。
「もういいよ、エルザ。悪いのはボクなんだ。持ち場を離れた責任はボクにある……ごめん、ルジェーロ……ごめん、ヘンリー……ボクがちゃんと見張りをしていれば、こんなことには……」
 ヨハンはそう言うと、そのまま泣き崩れた。唇を切った血と涙と泥で、顔がベトベトになっていく。
 そんなヨハンの腕を取り、エルザは立たせた。ヨハンのチューリップ帽も拾って、埃をはたく。
「行きましょう、ヨハン」
 他の村人たちが見守る中、ヨハンとエルザは家屋の方へと立ち去っていった。


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