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吟遊詩人ウィル

聖拳の継承者

9.カーンの秘密

 ヨハンは骨折の痛みも忘れ、茫然と目の前のカーンと名乗る男の映像を見つめた。
「あなたが……カーン様……?」
 ヨハンにとっては、歴史上、もっとも憧れている人物だ。その姿を間近で見られるとは、身体が震えるような感動を覚えた。
 カーンはさらに語りかける。
「ここを訪れし者よ。そなたは私を追ってここまで来たのだろうか。ならば話さねばなるまい。私が三十年近く抱えてきた秘密を」
 ヨハンがここへ入り込んだのは単なる偶然であったが、カーンに惹かれる気持ちに偽りはない。ウィルとも、カーンが亡くなった場所を探そうと約束していたくらいだ。
 どうやら、この目の前のミイラがカーンの亡骸らしい。カーンはここで亡くなったのだ。そして、カーンの映像を映し出している、この光の球にメッセージを入れ、ここへやって来た者に何かを伝えたかったのだろう。
 カーンが何を話すのか興味を駆り立てられながら、ヨハンは聞き入った。
「私は貧しい農村の生まれだった。村は幾たびも飢饉に見舞われ、日々、生きるのがやっとという悲惨さだった。その上、世は戦乱に明け暮れ、やっと収穫した農作物も国に取り上げられる始末。私はそれを何とかしたかった。一刻も早く国に平穏をもたらし、普通に生きていける生活を取り戻したかったのだ」
 カーンの出自については、これまで不明とされてきた。伝承の中には、ある国の王子でありながら世界を救いたいと願って出家した、という説も残されている。しかし、実際は今のヨハンとそう変わらない農村の生まれであると知り、これまで以上に親近感を覚えることが出来た。
「そのためには強くなる必要があった。暴虐を尽くす者に、決して屈することのない力を身につけなければならなかった。そこで私は村から旅立ち、リシュウ国の山寺へ入門した。そこにはマスターモンクのゲンリュウ様がおり、各地からその教えを乞う者たちが集っていたのだ」
 マスターモンク・ゲンリュウの話は初耳だった。ロハン共和国で最も有名なマスターモンクはカーンである。その師について書かれた文献は残っていない。むしろ、カーンは自ら最強の武術を編み出したと言われていて、師は存在しないものとされてきた。
「マスター・ゲンリュウは、とても人間とは思えぬほどの強さを持った方だった。その右腕は山をも砕き、その左腕は千本の矢をものともしなかったほどだ。さらに聖魔術<ホーリー・マジック>にも優れ、徳の高さも持ち合わせていた。私はもちろん、誰もが師とあがめた」
 カーンが語るゲンリュウという師は、ヨハンが知っているカーンそのものだった。しかし、それならばなおさら、今までその名を聞いたことがないというのはおかしい気がする。それほどの偉人であれば、カーンのように、後世に名を残していてもいいはずだ。
「私はゲンリュウ様のようになりたいと望んだ。マスターの下、厳しくつらい修行に明け暮れ、己の肉体と精神を鍛え上げた。一年が経ち、二年が経ち、そして三年が経った。だが、あるとき私は悟った。いや、悟ってしまった。どんなに修行をしようとも、私は断じてゲンリュウ様のようになれないのだと」
 カーンの告白は、ヨハンに少なからず動揺を与えた。ヨハンの中の英雄カーンは、決して弱音など吐かぬ強い男だ。だが、今、目の前にいるカーンは自分の弱さをさらけ出している。
 そうして見ると、映像に映し出されているカーンが、どこにでもいそうな当たり前の人間に見えた。肉体こそ鍛え上げられたものだが、すでに五十歳近くに達し、いくつもの皺が刻まれた顔は、これまでの人生に疲れ切った老人のそれだ。ヨハンを見つめる目にも精悍さがない。
「ゲンリュウ様は特別だったのだ。いや、ゲンリュウ様の両腕は、と言った方がいいだろう。ゲンリュウ様の《聖拳》と呼ばれる両腕は、実はご自分の腕ではなかった。これはあるとき、ゲンリュウ様が私だけに明かされたことだった」
 そのとき、ヨハンは光の球を捧げ持つミイラの両腕を見つめた。ゲンリュウの《聖拳》。もしかして、これが──
「《聖拳》は、古代魔法王国時代に作られた魔法の義手だったのだ。義手にしては、とてつもない力を秘めているが、誰にでも聖魔術<ホーリー・マジック>が使えるようにと考案されたものかも知れない。とにかく、生まれつき両腕が不自由だったゲンリュウ様は、運良く《聖拳》を手に入れられ、以来、その力を人々のために使われてきたとのことだった」
 映像のカーンはそう言うと、両袖をまくり、ヨハンに向かって腕を見せた。そして、自分でも眺める。
「そのとき、私はいけないと思いながらも、その力を欲した! ゲンリュウ様の《聖拳》があれば、自分にも同じ力が与えられるのだと知ってしまったからだ! そこで私は、とんでもない行動に出てしまった。ある夜、ゲンリュウ様の食事に眠り薬を混ぜ、門下たちが寝静まったのを見計らって、《聖拳》を我がものとしたのだ!」
 カーンから語られた真実。それはヨハンを愕然とさせた。
「もちろん、ゲンシュウ様から《聖拳》を盗めば、真っ先に秘密を知っている私が疑われる。そして、処罰されるだろう。そこで私は、あろうことか眠っているゲンリュウ様を亡き者にし、人知れず遺体を山中に埋めた。そして、他の門下たちにはゲンリュウ様はさらなる修行のため、一人で旅立たれ、私に後を託されたとウソをついたのだ」
 人々から敬われているマスターモンク・カーンが、自らの師匠を手にかけた! ヨハンは今まで信じていたものがすべて崩れ去ってしまった絶望感と虚無感を味わった。
「私が後継者だと言っても、すぐには他の者たちも信用しなかった。ゲンリュウ様を追いかけると言って、寺院から出て行った者たちも多い。だが、私が得た《聖拳》の力を目の当たりにすると、皆、ゲンリュウ様の後継者だと認めるようになった。こうして私はゲンリュウ様に成り代わって、リシュウ国最強の僧兵団を組織し、各地の戦乱を鎮めていったのだ」
 あれだけ崇拝していたカーンが盗人であり、人殺しだったとは。ヨハンは耳を塞いで、もう何も聞きたくなかった。だが、カーンの告白はまだ続く。
「師を殺した罪は、死んでも償いきれぬだろう。だが、これだけは言っておく。《聖拳》を手にした後、私は決して私利私欲で力を使うことはなかった。あるときは仲間を守るため、あるときは弱き者を助けるためにのみ、《聖拳》を振るい、癒しを施してきた。それで私を許してくれとは言わない。しかし、力は正しく使ってこその力だ。だが、いかな力を持とうとも人間には寿命というものがある。私も年老いてしまった。もう、そんなに長くはないだろう。この《聖拳》を門弟の誰かに譲ろうかとも思ったが、生憎、この強大な力に溺れることのない者を選ぶことは出来なかった。ひょっとすると、この《聖拳》の秘密を教えることによって、昔の罪が明らかになるのを私自身が恐れていたからかも知れない。しかし、この《聖拳》をこのまま朽ちさせてしまうのはもったいない話だ。まだまだ、戦乱の世は続くに違いない。罪もない弱い者たちが虐げられ続けるだろう。ここを訪れし者よ。願わくば私の意志を継いで欲しい。どうか、この《聖拳》で正しき行いをしてくれ。今の自分の両腕を捨て、《聖拳》を自らの新しい手とするのだ。この私の切なる願いを聞き入れて欲しい」
 カーンはそう言って頭を下げると、そこで映像は消えた。横穴に闇が戻る。
 しばらくの間、ヨハンはその場から動けないでいたが、やがて明かりが消えかかった光の球と、カーンのミイラから二つの《聖拳》を外して、表へと出た。
 外は次第に靄<もや>が晴れつつあった。太陽が昇り、やっと周囲が確認できる。
 だが、最悪なことに、ヨハンがいる岩棚は断崖絶壁にあり、上へ登ることも、下へ降りることもままならなかった。結局、ふりだしだ。ヨハンは地面に腰を下ろすと、ジッと《聖拳》を見つめながら、気持ちの整理をした。
「この《聖拳》を使えば、ボクもカーン様のように……」
 これまでのマスターモンク・カーンのイメージは完全に崩れ去ってしまっていたが、この《聖拳》の存在が、数々の武勇伝を作り上げてきたのだと分かり、ヨハンの心を大きく揺り動かした。
 今、村は無数のハーピィたちの襲撃を受けている。あのウィルという吟遊詩人がハーピィ退治の依頼を引き受けていたが、多少の魔法を扱えるとはいえ、たった一人でどこまで戦えるだろう。エルザや村長は大丈夫なのか。
 それにこのままここでこうしていても、飢え死にするのが関の山だろう。人知れず、あのカーンのミイラのようになるのか。
 ヨハンは目をつむって考えた。《聖拳》の力を得た自分を想像する。《聖拳》の力さえあれば、ここから脱出することも、何千匹のハーピィを相手に戦うことも容易いに違いない。そうすればヨハンは村の英雄だ。今までヨハンを見下してきたルジェーロたちを見返せる。いや、それどころか、こんな山を下りて、ロハン共和国のために働くことだって可能だ。
 ヨハンは目を開けた。そして、持ってきた手斧を手に取る。
「腕を付け替えるんだ……腕を付け替える……きっと一瞬さ……すぐに痛みは消えるはず……そうさ……だって、《聖拳》を持てば、聖魔術<ホーリー・マジック>を使えるようになるんだから……そうだよ……大丈夫だ……大丈夫……」
 ヨハンはそう唱えながら、左腕の袖をめくった。そして、手斧で狙いを定めようとする。
 必死に暗示をかけようと思っても、なかなか恐怖心を拭い去ることは出来なかった。これから腕を切断して、《聖拳》に付け替えようというのだ。無理もない。手が震えた。
「何をしているんだ……ヨハン! やれ! やるんだ! 《聖拳》でみんなを救うんだ! エルザを助けるんだ!」
 ヨハンは大声を出して、自分を鼓舞した。呼吸が速くなる。汗もにじんだ。心臓は今にも張り裂けそうだ。
 大きく息を吸った。そして、止める。そのまま時も止まったような気がした。
 ───
 目をつむり、歯を食いしばるヨハン。
 手斧をつかんだ右手は無意識に動いた。
 ガッ!
 重たい一撃が左腕を切断した。
「ギャアアアアアアアアアッ!」
 ヨハンの絶叫は、ノボス山の絶壁に長くこだました……。


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