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今日も一日、徒労に終わった。
ハーヴェイはまだ二十二歳と若いにも関わらず、日が暮れた途端、どっと疲れが出たような気がして、足取りが重くなった。
ネフロン大陸の東方、ロハン共和国の治安を守る役人として働くハーヴェイは、この一週間あまりの間、チャベスという男を捜していた。チャベスは、ここロハン共和国の首都ウォンロンでも広く知られる西の僧院の長にして、僧正でもあるマトス師の一人息子だ。息子といっても、すでに二十九歳で、父親の跡を継いで僧正になれるくらいの力量を持ち合わせていたが、そのチャベスが一週間前から行方不明になっていた。
行方不明になる二週間前から、チャベスの様子はおかしかったという。何かに怯え、自分の部屋へ閉じこもるようになり、ろくに食事も摂らなかったそうだ。父親であるマトス師は、息子の様子に注意していたが、ちょっと目を離した隙にいなくなってしまったらしい。室内には特に争ったような痕跡は認められなかったが、それまでのチャベスの様子から誰かに連れ去られた可能性も捨てきれず、こうしてハーヴェイが捜索に駆り出されたのである。
しかし、手がかりらしいものは何も得られなかった。ましてや、首都ウォンロンは広い。一週間をかけても、そのすべてを回ることは難しかった。
それに消えたチャベスが首都ウォンロンのどこかにいるという確証もなかった。すでにウォンロンの外へ出てしまった可能性も考えられる。いや、それどころか、一週間もあればロハン共和国を出て、隣のマレノフ王国へ行くことだってできるのだ。チャベスを見つけるのは、とても困難に思えた。
それでも何とか、チャベスが姿を消したのは自分の意志なのか、それとも誰かの企てによるものなのか、ハーヴェイはその辺を明らかにしたかった。方向性が分かれば、まだ捜しようがあるというものだ。ハーヴェイはチャベスのことを知っている者に片っ端から当たり、些細なことでも聞き漏らすまいとした。
こうして一週間が経過。残念ながらハーヴェイは芳しい成果を挙げられなかった。ちっとも進展しない捜索に、ハーヴェイ自身、ひどく落ち込む。それをなおさら消沈させるのは、毎日、日が暮れてからチャベスの父であるマトス師の元へ、捜査状況を報告しに行くときだ。なにしろ報告できる材料が何ひとつないのである。息子を心配するマトス師が、日に日に憔悴していくのを見るのは、自らも両親を亡くしているハーヴェイにとって、何よりもつらかった。
「まったく、ゼブダさんも調子がいいんだよなあ」
ハーヴェイはコンビを組んでいる先輩の名前を出してボヤいた。
ゼブダはハーヴェイよりも一回り年上の先輩だ。一年ほど前にやっと結婚し、最近、待望の女の子が産まれたばかりである。そのせいか、仕事が終わる定刻になるとすぐに家へ帰りたいようで、マトス師への報告もハーヴェイに任せきりという有様だった。いくら仕事の先輩とはいえ、こうも自分一人に押しつけられてはたまらない。今度、上司に訴えてやろうかと、ハーヴェイはそんなことを本気で考えていた。
そうこうしているうちに、ハーヴェイは西の僧院へと辿り着いた。
元々、信仰心の高いロハン共和国の首都ウォンロンには、東西南北に四つの大きな僧院が建てられている。これはまじないの一種で、災いから街を守るという意味合いが込められていた。
僧院には、僧正を長として、己の肉体と精神を鍛え上げる若い修行僧<モンク>たちがおり、日夜、厳しい修行に明け暮れていた。それは聖職者<クレリック>としての鍛錬と同時に、万が一の場合には、僧兵として、街の防衛を務めることにもなっているのだ。また、彼らは神の奇跡を行う聖魔術<ホーリー・マジック>の使い手でもあり、街の者たちの病気やケガを寄進に応じて治すという、診療所の役目も果たしている。僧院と修行僧<モンク>たちの存在は、ロハン共和国の者たちにとって、なくてはならないものだった。
すでに周囲は薄暗くなっており、西の僧院の窓からは明かりがこぼれていた。きっと中では、マトス師が今や遅しとハーヴェイの報告を待ち受けているに違いない。その姿を想像して、ハーヴェイは益々、深いため息を漏らすのだった。
「な、何者だ!?」
そんな誰何の声を耳にしたのは、ハーヴェイが西の僧院の扉を叩く寸前だった。ハーヴェイの頭上──すなわち二階から聞こえたような気がする。切迫した声の様子にただならぬものを感じ、ハーヴェイは出迎えを待たずして、中へと飛び込んだ。
あの声はマトス師のものに違いなかった。一体、何があったのか。ハーヴェイは帯剣していた広刃の剣<ブロード・ソード>を抜き、マトス師の部屋を目指す。
突然、飛び込んできたハーヴェイの姿に、色めき立ったのはフロアにいた修行僧<モンク>たちだ。剣を抜き放っていたせいで、クセモノと見なしたらしく、数名がハーヴェイの行く手を遮ろうとする。皆、素手だが、彼らは驚異的な身体能力を生かした武術を体得しているのだ。
しかし、ハーヴェイはひるまなかった。
「どけ! オレは怪しい者じゃない! 官憲だ! この記章を見ろ! そんなことより、今のマトス師の声、聞かなかったのか!?」
ハーヴェイは修行僧<モンク>たちを一喝し、道を開けさせた。顔を見合わせるマトス師の弟子たち。ハーヴェイは苛立ちを隠せないまま、修行僧<モンク>たちを吹き飛ばすようにして、二階への階段を駆け上がった。
「ぐわあああああっ!」
断末魔の叫びが聞こえたのは、ハーヴェイが二階へ登り切ったときだった。遅かったか、と悔やみつつ、ハーヴェイはマトス師の部屋へと走る。修行僧<モンク>たちも今の断末魔を聞いて顔を青ざめさせ、ハーヴェイに続いた。
「マトス師!」
ハーヴェイはドアを蹴破った。そして、広刃の剣<ブロード・ソード>を構えながら、油断なく室内を見回す。
ロウソク一本に照らされた薄暗い室内には誰もいなかった。いや、吹きだまりのように闇の濃い床の上に誰かが倒れている。
ハーヴェイは卓上のロウソクを手に取った。そして、床の上にうつぶせになって倒れている人物に近づき、その背を揺さぶる。
「マトス師! マトス師!」
倒れているのは、ハーヴェイが会いに来たマトス師その人だった。だが、床にはおびただしい血だまりが出来ている。
「僧正様!」
遅れて駆けつけた弟子の修行僧<モンク>たちが、マトス師の異変に驚きの声を上げ、近づこうとした。
それを見咎めたハーヴェイは、彼らを制す。
「入るな! 調べが済むまで、誰も入っちゃいけない!」
「で、でも……」
マトス師が負傷しているのは明らかだった。ならば、一刻も早く聖魔術<ホーリー・マジック>の治癒魔法をかけるべきだと、言いたかったに違いない。
しかし、ハーヴェイは残念そうに首を横に振った。マトス師はすでに事切れている。聖魔術<ホーリー・マジック>には、蘇生の呪文もあるが、それは最上位の魔法であり、扱える者はごくわずかしかいない。例え、この場にマトス師と同等の僧正がいてもムダであっただろう。
修行僧<モンク>たちから悲痛なうめきが漏れた。中には悔し涙をこぼす者もいる。
ハーヴェイは一人でマトス師の遺体を調べた。致命傷は首を掻き切られたことによるものだろう。鮮やかな傷口は、鋭利な刃物の仕業だ。どうやら、この部屋に賊が忍び込み、マトス師の命を奪っていったらしい。
ハーヴェイはマトス師の遺体を静かに横たえると、立ち上がって、室内に異常がないか調べた。
ところが室内に何者かが侵入した形跡はなかった。外からも見えた窓はハメ殺しになっていて開閉できず、出入りはハーヴェイが蹴破ったドアひとつだけ。鍵はかけられていなかったが、下に大勢の修行僧<モンク>たちがいる中、誰にも気づかれずにここまで侵入することは難しいと思われる。
そして、老いたとは言え、マトス師は一騎当千の武術と高位の聖魔術<ホーリー・マジック>を会得したロハン共和国・西の僧院の僧正だ。その命を易々と奪ったとなると、かなりの手練れであることが考えられた。
いずれにせよ、行方不明になった息子のチャベスに続いて、マトス師にまで危害が及んだ。そこには何者かの意図が窺える。ひょっとすると、この二つの事件には何らかのつながりがあるのではあるまいか。
ハーヴェイは事件がより深刻なものとなったことで、犯人への怒りをたぎらせ、必ず自分の力で解決させるとマトス師の遺体に誓った。
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