RED文庫]  [「吟遊詩人ウィル」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→



吟遊詩人ウィル

叛乱の挽歌

1.占領街

「おい」
 突然、横にいた相棒が男を肘でつついた。歩きながらぼんやりしていた男は、うろんげに隣の相棒を見やる。相棒の顔はニヤついていた。
「見ろよ」
 男が相棒に促されて視線を向けると、奇妙な風体の人物を見ることが出来た。真っ昼間にも関わらず、ボロ布のようなフード付きのマントを頭からスッポリとかぶった怪しいヤツだ。こちらに背を向けているので表情までは分からないが、決して大きくない背格好から推察すると、少年か女性だろうと思われた。
「ちょっと顔を拝んでやろうぜ」
 相棒が下卑た笑みを漏らしながら言った。
 男たちは、ここ──ガリ公国の首都であるジノに駐留しているダクダバッド共和国の兵士だった。いや、ガリ公国の首都“だった”と言った方が正しいだろう。ネフロン大陸の西方、五大王国が幅を利かせる中で、小さいながらも百年以上の歴史を誇ってきたガリ公国は、半年ほど前に隣国ダクダバッド共和国によって滅ぼされたのだから。
 従って、現在のジノはダクダバッド軍の占領下にあった。かつて公国の首都として小さいながらも活気にあふれていたジノの街には、今や三千にも及ぶダクダバッドの兵士たちがのさばり、元々、暮らしていた住民たちは昼間から家の中に閉じこもるような生活を余儀なくされていた。しかし、それはガリの民衆たちが一方的にダクダバッドを恐れているだけで、占領軍は敗戦国の人々を隷属させるような非道は行わず──どうやら軍律によって厳しく戒められているらしい──、ただ刃向かうことのないよう、睨みを利かせているだけというのが実状である。だから街は、比較的、平和と言えた。
 しかし、いくら平穏そうに見えても、ジノの住民たちからすれば、ダクダバッドの兵士たちに大きな顔をされるのは面白くないことだ。露骨に嫌悪感を表す者も多い。だが、それも相手を怒らせない程度でのことだ。戦争に勝っても故郷へ帰れないダクダバットの兵士たちは鬱積したものを持っており、一応、御法度とされているものの、理不尽な暴行や略奪でそれを晴らそうとする輩は少なからずいる。そんなのに目をつけられたら身の破滅だ。
 男たち二人の兵士も退屈極まりない定期巡回に飽き飽きとしていたところだった。自分たちの仕事がまったく無益なものに思える。そこで見かけたフード付きマントの人物。どれ、退屈凌ぎに、ちょっとからかってやろうというわけだ。相手が若い女であれば、もっと楽しいことになりそうだった。
 そんな相棒の考えなど、男はお見通しだった。しかし、そのことに否はない。男にしても、巡回中にあちこちから注がれる冷たい視線にはうんざりしていたところなのだ。どちらが勝者で、どちらが敗者なのか。男はガリの連中に思い知らせてやりたかった。
 二人の兵士がフード付きマントの人物へ近づこうとした途端、相手はいきなり路地を曲がった。ひょっとすると兵士たちに気づいたのかもしれない。二人は逃がすまいと、慌てて追いかけた。
「そこの者、待て!」
 裏路地に入ったところで、男の相棒が大声を出した。背後からの声に、呼び止められた人物の肩が、ぴくりと震えたのが見える。その足も止まった。
 兵士たちはゆっくりと近づいた。しかし、フード付きマントの人物は背を向けたまま、振り返ろうとしない。その様子を怯えと取ったらしい相棒は、好色そうな笑みを隠しもせず、フードをつかんだ。
「怪しいヤツめ。こちらに顔を見せてもらおうか」
 相棒は手荒にフードを脱がせた。中から明るいブラウンの髪が現れる。一瞬、女かと思った。しかし、すぐに幼さを面影に残した少年だと分かる。残念ながら思惑が外れた。
 ところがフードを暴いた勢いで、偶然、マントの合わせ目もはだけた。そこにしっかりと抱かれた剣を見つける。相棒の目がギョッと見開かれた。
「お、お前──!?」
 次の刹那、少年は迅速に剣を抜き、無防備な兵士の腹部を切り裂いた。バケツの水がこぼれたかのような出血から致命傷だと分かる。それを見た、もう一人のダクダバッド兵は自分も剣を抜こうとした。
「き、貴様、我々に刃向かうつもりか!?」
 兵士は口から唾が飛ぶのも構わず、恫喝を加えた。しかし、少年はそれに答えず、素早く行動する。まだ剣を抜いていない二人目の兵士に向かって斬りかかった。
「うわああああああっ!」
 兵士は悲鳴を上げた。口は動いても肝心の身体が動かない。そうこうしているうちに剣の柄をつかんでいた右腕を斬られる。しかも避けようとした拍子に、腰が抜けたように後ろへ倒れ込んでしまった。
 少年と兵士の目が合った。少年は荒い呼吸を繰り返し、落ち着きのない目は盛んに吠え立てる犬のそれを連想させる。ひょっとすると人を斬るのは初めてだったのかもしれない。無駄のない動きに見えたが、単に無我夢中であったのだろう。
「だ、誰かー! 誰か来てくれー!」
 右腕を斬られたダクダバッド兵は恥も外聞もなく大声で叫んだ。死への恐怖から涙も浮かんでいる。尻餅の格好から、少しでも少年から逃げようと無様に後退した。
 少年は兵士にトドメを刺そうとして躊躇した。表情に苦悶が浮かぶ。一拍置いたことによって、迷いが生じたに違いない。しばらく逡巡したあと、思い切って剣を振り上げた。
「ひぃぃぃぃぃぃっ!」
 情けなくも兵士は頭を抱えた。そこへ慌ただしい軍靴の音が届く。
「おい、どこだ!?」
 悲鳴を聞きつけて、同じように巡回中だった仲間の兵士が駆けつけたようだ。足音の感じからして、一人や二人ではあるまい。五、六人か。
「こ、こっちだ!」
 声が裏返るのも構わず、負傷した兵士は懸命に助けを求めた。少年は表情を強張らせる。次には、くるりと踵を返し、逃走に移った。
「いたぞ! ──おい、大丈夫か!?」
 駆けつけたのは近くを警らしていた六名のダクダバッド兵だった。一人が負傷兵を診ようと駆け寄り、他の五人は裏路地を走り去ろうとするマントの後ろ姿を追う。
「待て、待たんか!」
 ダクダバッドの兵士たちは、銘々、怒声を上げた。手にはすでに剣を抜いている。追いついたら、仲間の仕返しのためにも、まず問答無用で斬るつもりだ。すぐには殺さない程度に。
 しかし、鎖帷子<チェイン・メイル>を着た兵士たちに比べ、少年は軽装である。その距離は確実に広がりつつあった。兵士たちは焦り始める。
 ところが、逃げる少年には土地勘も幸運もなかったらしい。狭い裏路地を走り回った挙げ句、あろうことか袋小路へと追いつめられた。裏口らしい扉がひとつあったが、中からしっかりとカギがかけられている。少年は扉に体当たりしたが、思ったよりも頑丈で、すぐにあきらめた。扉を背にし、剣を構える。
「何だ、まだガキじゃないか」
 道幅一杯に広がって、逃げられないようにしながら、ダクダバッドの兵士たちは襲撃者である少年を値踏みした。まだ、十五、六といったところだろう。身だしなみを整えれば、そこそこの容姿になるだろうと思われた。手に持った剣は、明らかに少年が扱うものとしては大きく、不釣り合いに見える。しかし、名のある剣なのか、その意匠はなかなか凝ったものだった。
 少年は剣を向けた。その姿勢は堂に入っている。所持している剣は身の丈に合っていないが、どうやら剣術の心得はあるらしい。
「ほう、オレたちとやろうってのか?」
 ダクダバッド兵たちはせせら笑った。少年の腕前のほどは分からないが、五人の実戦経験者を相手にして太刀打ちできるわけがない。少年は、精一杯、敵を睨んだ。
「ここはお前たちがいるところじゃない! とっととダクダバッドへ帰れ!」
 少年は大の大人であるダクダバッドの兵士たちを威嚇した。彼らは一瞬、面食らった様子を見せたが、すぐに吹き出した。
「ダクダバッドへ帰れだと!?」
「ガキが一丁前の口を利くじゃねえか!」
「一人で反乱軍気取りか? 健気だな!」
 ダクダバッド兵たちの嘲笑に、少年は悔しそうな表情をした。しかし、頭に血を昇らせて、自分から斬りかかるようなことはしない。五人に囲まれでもしたら、それこそ一巻の終わりだ。ここは袋小路を背にして、なるべく戦う相手を少なくした方が得策である。
 だが、五人の兵士たちは、そんな少年の思惑を見透かしたかのように、ジリジリと半円形の包囲網を狭めていった。確実に少年を追いつめ、一気に仕留めるつもりだ。少年は万事休すかとあきらめかけた。
 ──と、そのとき、袋小路の反対側から新たな複数の足音が聞こえてきた。今度は軍靴のものではない。少年の表情が驚きに変わる。不審に思ったダクダバッド兵が背後を振り返った。
「な、何だ、お前たちは!?」
 やって来たのは剣を手にした、十名ほどの男たちだった。着ているものは皮鎧<レザー・アーマー>などの軽装だ。皆、精悍な顔立ちをしており、ダクダバッドの兵士たちに不敵な笑みを向ける。五人はたじろぎつつも、少年から男たちへ体の向きを変えた。
 すると皮鎧<レザー・アーマー>の武装集団から一人の男が進み出た。歳は二十代半ばと言ったところか。決して大柄ではないが、鍛え抜かれた肉体をしており、左の耳の上から頬にかけて走った刀傷と猛禽類を思わせる鋭い眼光が印象的だった。
「この街で、お前たちダクダバッドの野郎どもにケンカを売る者といったら、決まっているだろうが!」
 刀傷の男は挑戦的な態度で喋った。すると、その後ろにいる男たちも、ずいっと一歩前に出る。どれも強面の男たちばかりだ。
 十人と五人。数の上ではダクダバッド側が不利だった。しかし、虚勢は張り続ける。
「ど、どうやら、お前たちが最近、チョロチョロと動きを見せている反乱軍のようだな? フン、その辺のゴロツキと変わらんではないか!」
 ゴロツキと呼ばれ、刀傷の男は怒るよりも薄く笑った。
「ゴロツキ、結構。そんなオレたちに、お前たちは斬り殺されることになるんだ。この街へ土足で上がり込んだことをあの世で後悔させてやるぜ!」
 剣を向けられ、ダクダバッド兵はいきり立った。
「ほざけ、負け犬の反乱軍めが!」
 ダクダバッド兵は腹をくくった。数的には二倍の敵だが、一人でも多く道連れにし、この場を切り抜けようと。
 すると刀傷の男の眼光が、ひときわ鋭さを増した。
「反乱軍じゃねえ! いいか! オレたちはダクダバッドの支配から民衆を救う解放軍だ!」
 その言葉が合図だったかのように、袋小路に唯一あった裏口の扉が開いた。先程、少年が逃げ込もうとして、開かなかったヤツだ。そこからさらに十名ほどの反乱軍──否、解放軍の戦士が現れた。
 これでおよそ二十対五。完全にダクダバッド側の勝ち目はなくなった。
「やあああああああああっ!」
 刀傷の男が斬りかかると、解放軍は一斉に襲いかかった。怒声と悲鳴、そして剣戟の響きが入り交じる。それを目の当たりにした少年は、ただただ成り行きを茫然と見守るしかなかった。
 一方的な戦いは五合も斬り結ばないうちに終結した。


<次頁へ>


RED文庫]  [「吟遊詩人ウィル」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→