RED文庫]  [「吟遊詩人ウィル」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→



吟遊詩人ウィル

狼の祭壇

−1−

 狩りは始まった。
 狩人は五匹のゴブリン。森に棲む邪悪な亜人種<デミ・ヒューマノイド>だ。
 獲物はか弱き人間の少女リィーナ。
 森をジグザグに走り回り、懸命に逃げていた。
 リィーナは決して足を踏み入れてはならない場所に入ってしまったのだった。ゴブリンはその追手である。彼等の縄張り意識は強い。
 リィーナはひたすら走った。後ろを見る余裕もない。振り返れば追いつかれる、そんな恐怖感に駆られていた。
「助けてーっ!」
 そろそろ村に近づいた頃だと知り、リィーナはあらん限りの声を振り絞って助けを求めた。誰か村の男数人が来てくれれば、ゴブリン相手、なんとかなる。ゴブリンは集団で襲って来られると脅威だが、その個々の力は人間よりも脆弱なのだ。リィーナは、二度、三度と叫んだ。
「あっ!」
 いつもは目をつむっていたって歩き回れるくらい慣れているはずの森なのに、こんなときに限ってリィーナは木の根っ子に足を取られた。勢いがついていたために、頭から見事一回転して倒れる。頭を上げたときには、ゴブリンに追いつかれていた。
「イヤッ! こっち来ないで!」
 人間を捕まえたゴブリンがやることは分かっている。リィーナを殺し、そのはらわたを喰らうのだ。
 リィーナは這いつくばって逃げようとした。もう腰が抜けて立てない。
 だが、ゴブリンたちはリィーナを取り囲んだ。
「もう、来ないでったらぁ!」
 リィーナはヒステリックに叫んだ。
 ──と、不意に目の前が翳ったのは次の刹那である。
 いつの間にゴブリンたちの輪の中に入り込み、いつの間に自分の前に立ったのか。リィーナは自分をかばうようにして立つ黒い影に気がついて慄然とした。
 黒い影の正体は黒いマントだった。頼もしく見える背中を向けてリィーナを守ってくれている。
 ゴブリンたちはパッと身構えた。彼等も今の今まで黒マントの存在に気がつかなかったのだろう。気圧されたのか、包囲が少し広がった。
 黒いマントの男は動かなかった。リィーナの位置からは男の顔を見ることは出来なかったが、背中までかかる黒い長髪で人間だと分かった。ゴブリンに襲われた自分をたった一人で助けに現れた男。だが、戦士といった感じはしなかった。異邦の旅人といった出で立ちで、身体の線も女性みたいに細く見える。果たして、いかなる人物か。
 五対一。
 数の上ではゴブリンたちが有利だった。
「ゲェヴゥゥゥ!」
 五匹は一斉に襲いかかった。粗末な棍棒を男に向って振り上げる。
「ディノン!」
 男の動きは素早かった。マントをひらめかせ、失われし太古の呪文を唱える。五つの方向に五つの光跡が走った。マジック・ミサイルだ。
 勝負は一瞬で決まった。男の放ったマジック・ミサイルの迎撃によって。
 腹部を貫かれたゴブリンたちは絶命した。男はそれらに目も向けようともしない。それよりもリィーナを気にかけた。
「ケガはないか?」
 興奮冷めやらぬリィーナに男が尋ねた。そこで初めて、リィーナは男の顔を見ることになる。
「――っ!」
 リィーナは用意していたお礼の言葉を呑み込んでしまった。
 その男の顔――
 神はこの世に最高の芸術を創ったのではあるまいか。絶世の美男子――いや、たとえどんな美女でも、彼の前では色褪せただろう。白い美貌の神々しさには、どんな芸術家も自分の腕のなさに失望するに違いない。美しさは魔性の妖しさもたたえ、見る者を惹きつけてやまなかった。
 だから、リィーナの心も、一瞬にして男に奪われたのは、致し方ないだろう。
 男は少女と同じ反応にもう慣れているのか、無事であることを確認すると、それきり何も言わずリィーナの元から去ろうとした。
 リィーナがハッと我に返る。
「あ、あの、ありがとうございました!」
 男はすでに少女から関心がなくなってしまったかのように振り向かない。黙然と歩み去る。リィーナは慌てて後を追った。
「わ、私、リィーナって言います! この先の村の人間で……あ、あの、せ、せめてお名前をお聞かせください!」
 少女の必死な物言いに、男はようやく立ち止まり、振り返った。リィーナが正視していられなくなって、ポッとうつむく。
 男は名乗った。
「オレはウィル。吟遊詩人のウィルだ」


<次頁へ>


RED文庫]  [「吟遊詩人ウィル」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→