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「いやー、こんなべっぴんな吟遊詩人とご一緒できるなんて、こりゃあ、話のタネになる。しかも、これが男ときた。オレぁ、夢でも見ているようだぜ」
男は饒舌だった。旅の商人という気さくさと、先程、飲んだ安酒の酔いと、馬車に同乗する吟遊詩人の、この世のものとは思えない美貌による影響だ。
一頭立ての馬車は二人の男たちを乗せて、細い一本道を揺れていく。周囲は白銀の世界。一面の雪景色だ。寒風が痛みを伴って、頬に突き刺さってくる。
ネフロン大陸北方にある、ここガイアス公国は、一年の大半を雪に閉ざされた小国である。五大王国の一つ、竜騎士団で有名なルッツ王国の庇護を受けているが、厳しい環境のせいで農作物などの収穫は乏しく、特出した産業もないため、民衆の生活は総じて貧しく苦しい。
だが、そんなガイアス公国にも、もうすぐ春が訪れる。このときばかりは太陽の光を浴びる喜びに、人々は自分たちの過酷な境遇を忘れるのだ。
この馬車が向かっているガイアス公国最北の町“ドール”も、同じく春を迎えるはずだった。
旅の商人である男が行き先であるドールの町について喋り始める。
「ドールの町は初めてなんだろ? オレもこんな商売柄、いろんな町を回っているが、あんな変な町はねえぜ。別に見たところ、年中、雪に埋もれているってところを除けば、どこにでもある町なんだが、なんとなくけったいなのさ。人が動かねえと言うか、毎日、同じことを繰り返しているようでよぉ。町ってのは生き物だ。何かしら事件が持ち上がる。そういうもんだろ? だが、あの町にはそれがねえ。まったく、オレなんかには退屈な町だね。人はいても死んだような町さ」
カラになった酒瓶を振りながら、男は話を続けた。前方にドールの町が見えてくる。生活の煙がいくつも立ち昇っていた。
「こういう変な町には、住人もそれにふさわしいヤツが住んでいるもんよ。あの町にはグスカっていう大富豪がいるんだ。顔は見たことねえが、あの町じゃ相当な権力者らしい。町の連中からは、かなりの尊敬を集めているみてえだぜ。バカでっけえ“人形屋敷”って呼ばれている豪邸から一歩も外へ出たことがねえらしいけどよ。つくづく変わっているよな」
旅の商人は美しき吟遊詩人に同意を求めたが、冷徹な美貌は何も答えなかった。
最初、雪道を一人で歩いている吟遊詩人を見つけたとき、男は幻かと思った。この地方としては穏やかな天候だったとは言え、時折、雪混じりの寒風が吹きすさぶ中を、馬車のような乗り物なしで移動するというのは、常識では考えられない。しかも、吟遊詩人の服装は全身黒ずくめのマントに、同色の旅帽子<トラベラーズ・ハット>という軽装と言ってもいいいでたちで、普通の人間ならば百歩も進めずに凍えてしまいそうな格好だ。だが、男が声をかけて同乗を促したとき、吟遊詩人は青白い顔こそしていたものの、まったく平然としたものだった。しかも、男とも女とも判別できないくらいの美貌である。思わず、何かのまやかしではないかと疑ったくらいだ。
しかし、吟遊詩人は確かに男の隣にいた。その眼は、ジッと目的地であるドールの町を見据えている。
「なあ」
沈黙に耐えられなくなったか、男が口を開いた。酒臭い真っ白な息が漏れる。
「乗せてやったお礼というわけじゃねえが、アンタ、吟遊詩人だろ? 一曲、歌ってみちゃくれないか?」
男が軽い気持ちで頼み込むと、吟遊詩人はあっさりとうなずいた。
マントの下から竪琴が現れた。細やかな細工が施された銀製の竪琴だ。《銀の竪琴》。男はつい商売上のクセで、《銀の竪琴》の価値を見極めようとしたが、正直言って、値段のつけられる代物ではなかった。
その《銀の竪琴》に吟遊詩人の白く繊細な指が触れる。
竪琴が鳴いた。そして、詩<うた>が始まる。それは聴いたこともない美しい歌声だった。
ガイアスの詩<うた>。
かつて、隣国のスパルキアと長年に渡って戦い、北へと追いやられたガイアスの歴史。
そして、ガイアスの姫君と許嫁であった将軍との悲恋。
これまでも理不尽な侵攻を繰り返してきたスパルキア軍は、またもやガイアスの平和を脅かし始めた。それに対して、ガイアスの若き将軍は騎士団を率いて勇猛果敢に奮戦。だが、強力な敵軍の前に劣勢に立たされた。
初戦の敗戦は連敗を呼び、ガイアスの領土は見る間に失われていった。
スパルキアの猛攻の前に、建国以来、初めてとも言える窮地に陥ったガイアスは、大国ルッツに助力を要請。
だが、ルッツはスパルキアとも友好を結んでおり、簡単には承諾しなかったのである。
それを動かしたのが、ガイアスの姫君であった。
最前線で戦う将軍を助けるため、自らを政略結婚の道具にし、ルッツ王国の王太子へ嫁いで、同盟を結んだのだ。
ルッツ王国の竜騎士団は、即座にスパルキア軍を駆逐。
姫君の願い通り、将軍は生き延びることが出来た。そして、ガイアスの勝利。
だが、スパルキアから取り戻したガイアスの領土はルッツ王国が占有し、ガイアスは国力を大幅に低下させた。
さらに、愛し合っていたはずの姫君と将軍は、その仲を引き裂かれることになった。
姫君と将軍の失意の日々は一年以上も続いたという。
そんな中、姫君の心が自分にないと知ったルッツ王国の王太子は、再び勃発したスパルキアとの戦争に将軍を呼び寄せた。
同盟軍として戦った将軍は、激闘の末、討ち死に。噂では、ルッツ王国に謀られたのだという。
それを後に知った姫君も、将軍の後を追うようにして自害してしまうのだった……。
ガイアスで語り継がれる悲しいロマンス。ガイアスの者ならば、誰もが知っている昔話だが、ウィルが物悲しい曲に乗せて歌うと、新たな感動が旅の商人を推し包んだ。
やがて、《銀の竪琴》が鳴りやんだ。すると、その隣から鼻をすする音が聞こえてくる。
「……心に沁みるよなあ、グッとくるよ。良かったよぉ、アンタ、アンタ、本当に良かったよ。もう、オレぁ、死んでもかまわねえくらいだ」
旅の商人は泣きながら、吟遊詩人に感謝した。
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