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そうこうしているうちに、馬車はドールの町へと差し掛かった。
男が話していたような町の異常さは何も感じられなかった。市場にはそれなりの活気があるし、人々の表情は、比較的、明るい。道端の者も何人か馬車の方に微笑みかける。それはどこにでもある町の光景だった。
「アンタ、オレが言ったこと、ウソだと思い始めているんだろ?」
男は隣の吟遊詩人に憮然とした表情で言った。
吟遊詩人は黙ったままだ。
「最初は誰でもそうさ。特に変わったようには見えない。だがな、何日かするうちに分かってくる。あそこで果実を売ってるオヤジは、明日もこの時間、この場所で、今のように眠りコケているだろうし、そこで荷物を担いでいるオバさんは、明日も同じ量の荷物を担いで、その角で子供にぶつかる!」
男がそう言った矢先、角から子供が飛び出してきて、大きな荷物を担いだオバさんにぶつかった。荷物からジャガイモがこぼれて、「このガキ!」と怒鳴る声が周囲に響くが、子供は振り返りもせずに逃げていってしまう。
「なぜ分かった?」
吟遊詩人が訊いた。この言葉が、さっき道で拾ってから──歌は除いて──初めての言葉だと気づき、男は驚き、そして少し呆れた。
「見たのさ。もう何度も、な」
一笑に付されても仕方がないと男は思っていた。が、吟遊詩人は無表情のままだ。どっちに取ったかは分からない。
やがて、市場を通り抜けた馬車は、一軒の宿屋の前で止まった。《黄色い鶏》亭とある。小さな町の宿屋にしては、比較的、大きな建物だ。積雪の多いこの町で、足止めを食うことは多い。そのため、多くの旅の者たちを受け入れられるよう、施設は充分に整えられていた。
「オレぁ、いつもここに泊まるんだ。アンタもここにするかい?」
音もなく馬車から降り立った吟遊詩人は首を横に振った。
「そりゃあ残念だな。まあ、また会おうや」
吟遊詩人は、旅の商人に一礼した。謝礼に銀貨を握らせようとしたが、男はそれを受け取らなかった。先程、聴かせてもらった詩<うた>で充分だと言う。
商人は宿屋の裏手にある納屋に行きかけたが、ふと思い出して止まった。
「そう言や、名前、聞いてなかったな。オレぁ、ロムだ」
ロムはそう名乗ってハッとした。吟遊詩人がこちらを振り向いたのだ。初めて真正面から吟遊詩人の美貌を眺めると、まるで魂を抜かれたような衝撃が走る。それは改めて魔性のような美しさを感じさせられた。
だが、男の様子などお構いなく、吟遊詩人は静かに名乗った。
「オレはウィル。吟遊詩人のウィルだ」
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