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吟遊詩人ウィル

禁忌の制約<ギアス>

−6−

「行くぞ」
 ウィルの声に全員が目を覚ました。
 どれくらいの間、眠りについていただろう。多分、そんなに長くはなかったと思われるが、短時間の睡眠を取ったおかげで頭はスッキリと冴えている。休養した甲斐があったというものだ。
「さあ、行くか」
 一番にシェルターから外へ出たのはジェリコだ。ところが、途端に猛烈な日差しを浴び、一瞬、立ち眩みを起こしかける。見上げれば、太陽はまだ高い位置にとどまったまま。さっきまでの砂嵐が嘘のように、空はカラッと晴れ渡っていた。
「やれやれ。これからまた何もない砂漠をひたすら西へ行くのか」
 再出発の前だと言うのに、早速、ジェリコのぼやきが漏れた。
 そこへ――
 ヒュン、という風を切る音が聞こえた。
「頭上に気をつけろ!」
 ウィルからの鋭い警告に、ジェリコは眩しい太陽を見上げた。すると、その強烈な光の中から何かが飛来する。
 ギョッとする間もなく、ジェリコの足下に突き刺さるものがあった。矢だ。そのことに気づいてから、遅れてたたらを踏む。
「な、何だ!?」
「どうやら砂嵐で足止めされている間に、追いつかれてしまったようだな」
 美しき吟遊詩人は東の方角に現れた一団を認めていた。
 その数、およそ三十。各々、ラクダに跨った白い民族衣装の男たちが整列するように並んでいた。
「久しぶりだな、マンティコア」
 中でも一番大柄な男が前に進み出る。長く放射状に伸びた灰色の髭が特徴的だった。その反面、頭の毛はきれいに剃り上げられている。年齢不詳の容貌だが、鍛え上げられた肉体を維持しているところを見ると壮年くらいか。ギロリと見開かれた目は、まるで光を放っているかのように力強い。この男が一団を指揮しているらしいことは一目瞭然だった。
「デルモザード、貴様か」
 マンティコアは変身を解き、芦毛の馬から本来の姿に戻った。この数からは逃げられない、と悟ったのだろう。あまりよくは見えない白濁した眼で《奇蹟の町》からの追手を睨む。おそらくは足取りを追うため、各地に分散させていた連中を集結させたに違いない。やはり追手は、昨日、遭遇した奴らだけではなかったのだ。
「マンティコア、オレたちを見捨てて、どこへ逃げるつもりだった?」
 《奇蹟の町》を牛耳る首魁――デルモザードは、その強面の顔に不敵な笑みを浮かべながら喋った。誰もがこの男を前にすれば震え上がるだろう。血と暴力にまみれた人間だと、その風貌だけで伝わってくるような雰囲気を持つ。
 しかし、それはあくまでも人間同士での話。魔獣が人間の悪党などに臆するわけがない。
「余がどこへ行こうと、お主には関係ない。去れ。今なら見逃してやろう」
 死期を悟ったことなど感じさせないくらい、マンティコアは威風堂々としたものだった。
 だが、デルモザードも恐ろしい魔獣を前にして負けていない。
「去れ、だと? この老いぼれめ。如何にして、かけられた《制約<ギアス>》の呪いを破ったのかは知らないが、お前こそ大人しく《奇蹟の町》へ戻った方がいいぞ。魔獣であるお前を殺すのは骨が折れるだろうが、その子供一人を殺すくらい、訳はないのだからな」
 そう告げたデルモザードの目が同行者の少女を鋭く射抜いた。その凄まじい眼光にナギは声もなく身をすくませる。
 すると、マンティコアが吠えた。
「黙れ! 余の命がある限り、ナギに手出しはさせん!」
「フッ、どこまで強がっていられるかな? ――おい」
 対峙するデルモザードはナギではなく、そのそばに立っていた、もう一人の人物に声をかけた。ジェリコは身を強張らせる。
「何という名前だったかな? まあ、いい。とりあえず、ここまでの手引き、ご苦労だった。そいつを連れて、こっちへ来い」
 どういうことか、とマンティコアが訝しげに振り返った瞬間だった。ジェリコは短剣<ショート・ソード>を抜き、その刃をナギの首元へと近づける。逃げられないよう、さらに肩をガッチリつかんだ。
 突然の出来事に、ナギは怯えるよりも当惑した表情を浮かべる。
「お、お兄さん……?」
「すまないな、ナギ。頼むから抵抗しないでくれ」
「えっ……?」
「きっ、貴様ぁ!」
 思いもよらなかった裏切りに、マンティコアは激高した。魔獣の咆吼がジェリコの身体を震わせる。
 だが、それでもジェリコは短剣<ショート・ソード>を引こうとはしなかった。
「やはり、そうだったか」
 黒衣の吟遊詩人は、ただジェリコを見つめていた。この状況に驚きもせず、ナギを助けようとする素振りもない。
 ウィルとマンティコアの動きに注意を払いながら、ジェリコはおっかなびっくり後退りする形で、ナギをデルモザードのところまで連れて行こうとする。
「やっぱり、アンタは気づいていたんだな」
 ジェリコは怯えた目で、ここまで共に旅をして来た命の恩人を警戒した。いつ、どんな魔法が飛んで来るか気が気ではない。
 裏切った相手の疑念に対し、ウィルはうなずいた。
「ああ、確証はなかったが」
「ど、どういうことだ?」
 堪らず、マンティコアが口を挟む。ウィルの冷徹な目はジェリコから動かない。
「連中に雇われたのだろう。この男は“探索者<シーカー>”だ」
「“探索者<シーカー>”?」
「追跡などを得意とする専門家のことだ」
「な、何だと……!?」
 正体を言い当てられ、ジェリコは力なく笑うしかなかった。
「昨夜、その単語が出てきたときは、心臓が飛び出しちまいやしないかとヒヤヒヤしたぜ。もっとも、オレが自称しているのは“探索者<シーカー>”ではなく、もうひとつの呼び名――“猟犬<ハウンド>”だけどな。アンタの言う通り、オレは奴らに雇われた」
 ウィルたちから距離を取ろうとするジェリコに余裕はなかった。たとえ、ナギを人質に取っていても、敵に回した相手の恐ろしさは誰よりも知っているつもりだ。
「随分と芝居の利いた接触だったな」
「芝居? ああ、死にかけていたところをアンタに拾われ、ナギたちと合流したことか。そいつは買い被りってもんだ。そんな計算されたもんじゃねえよ。あれは、ただの偶然さ」
「偶然?」
「ああ。最初、この仕事をまともに受けるつもりなんてなかったのさ。前金だけ貰ったら、あとは『追跡する、連絡はあとで』と言ってとんずらする手筈だった。どうせ、《奇蹟の町》なんていう胡散臭い連中からの依頼だ。悪党から金を巻き上げて何が悪い」
 その言葉は仕事を依頼した《奇蹟の町》の連中も初めて聞いたのだろう。ほとんど詐欺師のようなジェリコに矢を射ることはなかったが、憤りを表情に出す者も散見された。
「だが、連中もバカじゃなかった。流れ者のオレを信用しなかったんだろう。こっそり見張りをつけていやがった。まったく、笑える話だと思わないか? 追跡の専門家である“猟犬<ハウンド>”のオレが、後をつけられたんだから」
「それで裏切りが露見し、制裁を受けたわけだな」
「そういうこと。致命傷を負ったオレは、あのまま死ぬはずだった。ところが、お節介な吟遊詩人に助けられ、おまけに運命を司る神の気紛れによるものか、追っかけるはずだった魔獣とまで出会い、まさか、この命を救われることになろうとは」
「なぜ、再び奴らに付こうなどと思った? お前が先に騙そうとしたのが原因とはいえ、殺されかけたのだろう?」
 ナギが人質にさえなっていなければ、マンティコアはとっくに飛びかかり、ジェリコの喉笛を噛みちぎっていたことだろう。先程ほどから低い唸り声がずっと漏れている。
「昨日、戦いのどさくさではぐれたとき、オレとやり合っていた奴に持ち掛けられたのさ。もう一度、協力しろってな。そうすれば命を助けてやるって」
「なっ……何だと!? 貴様、そんなに自分の身が可愛いか!?」
 マンティコアが牙を剥き出しにした。するとジェリコの目つきが即座に変わる。
「オレのためなんかじゃねえ! ナギのためだ!」
「えっ!?」
 自分の名前が出て、人質にされているナギは敵に寝返ったジェリコの顔を見上げた。
「オレを含め、お前たちがどうなろうと知ったこっちゃねえ! けど、ナギだけは救ってやりたい! この娘には、まだ将来がある! 不遇の生活から抜け出し、幸せになる権利がある! 残念ながら、オレの妹たちは幸せをつかむことなく死んじまった。反吐が出そうなくらい、この世の不平等にはうんざりするぜ! 汚れちまったオレのことなんか、どうだっていい! ただナギには、そのチャンスを与えてやりてえんだ!」
「お主……」
 熱く吐露したジェリコの想いに、マンティコアは言葉を失ってしまう。
 しかし、吟遊詩人ウィルは違った。決して感情が動かされることはない。
「勝手な言い分だな」
「何だと!?」
「それが本当に彼女の望むことなのか? お前は間違っている」
「うるせえ! アンタこそ、他人のことなんて何ひとつ――」
「……お兄さん」
「ナギ?」
 ジェリコの腕の中にいるナギは震えていた。
「……あたし、バカだけど……ここで爺様と離れるのはイヤッ!」
「何を言うんだ、ナギ! お前は自分自身のために生きるべきだ! そうするべきなんだ! あんな魔獣といたって――」
「あたしは爺様と一緒にいる! あたしがそれを決めたの!」
「――っ!? ぎゃあっ!」
 いきなり指に噛みつかれ、ジェリコは悲鳴を上げた。思わぬ抵抗に遭い、拘束がゆるむ。その隙にナギはマンティコアの方へと走った。ごめんなさい、と一言の詫びを残して。
「ええい、役立たずめ! もういい! 皆殺しにしろ!」
 謀<はかりごと>がうまくいかず、デルモザードは業を煮やした。全員が矢をつがえる。
「ま、待ってくれ! もう一度、オレに――」
 ナギに逃げられてしまったジェリコは慌てた。このままではナギも一斉射の巻き添えになってしまう。攻撃の中断をデルモザードに嘆願しようとした。
 だが、手遅れだ。
「やれ」
 デルモザードから合図で、何十本もの矢が放たれた。魔獣であるマンティコアを仕留めるには貧弱な武器だ。しかし、人間にならば充分な殺傷能力を持つ。
 ジェリコは、こちらへ背中を向けたナギの身体にいくつもの矢が刺さる瞬間を想像し、自分の行動が裏目に出てしまったことへの後悔から、涙であふれそうになる目をつむった。
 その刹那――
「ヴァイツァー!」
 つい先刻、砂嵐は去ったはずなのに、また強い風が砂漠に吹き込んだ。そのおかげで、放物線を描くように飛来した矢は猛烈な横風の影響を受けることになり、すべてが無力化されてしまう。威力を失い、無人の砂地に虚しく突き刺さる矢の数々を目の当たりにし、射手たちは驚愕と困惑の表情を浮かべた。
「魔法か」
 あらかじめ、デルモザードは報告を受けていた。マンティコア以外に、魔法を扱うことの出来る人間が同行していることを。
 黒いマントと同じ色の旅装束。鍔広の旅帽子<トラベラーズ・ハット>の下に隠された表情は、三十人もの敵を前にして少しも動じていない。
 一人で立ちはだかる得体の知れぬ相手に、デルモザードの眼光がさらなる鋭さを増す。
「貴様、何者だ?」
「オレの名はウィル。ただの吟遊詩人だ」


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