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吟遊詩人ウィル

禁忌の制約<ギアス>

−7−

 かくして戦鐘は打ち鳴らされた。
 ウィルの魔法の前には、弓矢による遠距離攻撃が通用しないと分かり、敵の一団はすぐさま接近戦に切り替えた。新月刀<シャムシール>を抜き放つや否や、片手で乗っているラクダを操り、一行を目掛け突進させる。地響きにも似た蹄音とともに、目を開けていられそうもない砂埃が立つ。
「ガッツァ!」
 それに対し、ウィルは吟遊詩人ではなく、まるで楽団の指揮者であるかのように左手を横へ振りながら、大地の精霊<ノーム>に命令を与えるべく呪文を唱えた。次の刹那、襲い来る者たちの行く手を遮るようにして、横一直線に深いクレバスが走る。多くの者たちは慌てて手綱を引いたものの、悲しいかな、ラクダを止めようにも間に合わない。
「うわぁぁぁぁぁっ!」
 ざっと三十名のうち、約半数以上の者たちが、砂漠に出来た亀裂へ為す術なく転落していった。それを辛うじて免れた中にも、ラクダの上から振り落とされたり、そのまま一緒に横倒しの状態になったりで、被害は甚大だ。
 しかし、その中にありながら、デルモザードの制御は見事だった。制止が困難だと判断するなり、むしろスピードをアップさせ、大地の精霊<ノーム>が作り出したクレバスを飛び越えさせたのである。ただ一人、ラクダに乗ったままの状態で、ウィルたちのいるところまで辿り着くことが出来た。
「小癪な真似を!」
 後続が誰一人としていないことを確認し、デルモザードは魔法を使った吟遊詩人に向かって忌々しく吠えた。大柄な体躯に似合わず、軽い身のこなしでラクダから降りると、自分の得物を振り上げる。それを見上げたナギは、これ以上ないくらい目を見開いた。
 デルモザードが手にした武器は、他の者たちが持っていたものと同じ湾曲した刃が特徴の新月刀<シャムシール>にあらず。それは相当な膂力がなければ振り回すことはおろか、持ち上げることすら難しいと思われる巨大な破壊槌<モール>であった。
 破壊槌<モール>とは、一般的に攻城戦などで使われるものだ。自軍を城内へ突入させるため、城門や城壁に向かって力任せに叩きつけ、それらを破壊する。その威力は折り紙つきだが、一方、対人戦には向かない。最初の一撃を躱さてしまうと、大振りしたところを相手に衝かれる隙を生むからだ。つまり、このデカブツは武器ではなく、あくまでも攻城戦で役立つ道具に過ぎない。どうしても武器としての利用を考えるのであれば、ある程度の反撃をものともしない――たとえば、強靭な肉体と驚異的な生命力を持つ亜人種<デミ・ヒューマノイド>のトロールやオーガーが持つなら、ふさわしいかもしれないが。
 そんな破壊兵器を、このデルモザードという男は敢えて携えていた。単に頭が悪いのか、それとも十二分に使いこなすだけの自信があるのか。デルモザードの破壊槌<モール>は、長い柄の先に人間の頭の倍はある、大きな鉄球が付いたものだ。しかも殺傷能力を高めるため、鉄球からは同じく鉄製の棘<スパイク>が放射状に伸びているので、危険極まりない。こんなもので殴られたら、甲冑<フル・アーマー>で身を固めていても即死するだろう。盾だって、アダマンタイト製でもなければ役には立つまい。
「潰れてしまえぇぇぇっ!」
 美しき吟遊詩人の頭上へ凶悪な破壊槌<モール>が振り下ろされた。さすがはデルモザード自身が武器として選んでいるだけあり、超重量級の得物に振り回されているということはない。日頃から相当な鍛錬を積んでいるのだろう。
 だが、どのような凶器であろうと、躱してしまえばいいだけの話だ。事実、破壊に特化した攻撃をウィルは見切っていた。
 これまで魔法使い、或いは吟遊詩人としての実力を示してきた黒衣の異邦人は、歴戦の勇者も瞠目するであろう身のこなしを見せた。この上、有能な戦士の技量すらも会得しているというのか。
 黒い影は化鳥のように飛び立つと、破壊槌<モール>が直撃する前に、やや後方へと音もなく着地した。猛烈な風圧と叩きつけられた砂粒だけがウィルの長い黒髪をなびかせる。
 呆気なく空を切り、振り下ろされた破壊槌<モール>は、砂漠の上に大きなクレーターを作り出していた。足下が普通の地面であれば、四方八方に亀裂が走っていたに違いない。
 忌々しき魔法の使い手に攻撃を躱され、さぞやデルモザードはほぞを噛んだであろうと思われた。ところが、予想に反して、その顔には愉悦にも似た笑みが不気味に浮かんでいる。髭だらけの口許からは白い歯が覗いていた。
「何が可笑しい?」
「一撃で潰れてもらっちゃ、つまらないと思ってな。貴様はオレを楽しませてくれそうだ」
「どうかな」
「頼むから、こいつを思う存分、振るわせてくれ! こんな機会は滅多にないからな!」
 そう言うとデルモザードは、砂の中に半分ほど埋まった破壊槌<モール>を少しの力も入れずに持ち上げた。そのとき、カチッという微かな音が。それはウィルの常人ならざる聴覚がなければ聞き逃したことだろう。
 正面のウィルへ向かって、突然、破壊槌<モール>の先端である鉄球が眼前まで迫った。デルモザードは、ただ持ち上げただけのはずなのに。
「――っ!?」
 あわや、と思われたが、辛うじてウィルの反射神経が勝った。鉄球に激突しかけたところを紙一重で回避する。ただし、先程の余裕があった動きとはまったく異なっていた。
「あ、あれは……」
 両者の戦いを傍観していたジェリコは、デルモザードの持つ破壊槌<モール>を見て驚いた。単なる無骨な攻城兵器かと思いきや、或る仕掛けが施されていたからである。
 棘<スパイク>付きの巨大な鉄球は、何と長い柄の先から、いつの間にか延びた鎖によって繋がれていた。これでは破壊槌<モール>ではなく、見たこともない特大サイズの鉄鎖球<モーニング・スター>だ。破壊槌<モール>の間合いでの対応に慣れていたら、突然、鎖の分だけ攻撃距離が延長された鉄球の直撃を喰らうだろう。
 おそらく、ほとんどの者がこの仕掛けに騙され、その餌食にされたはずである。ウィルであればこそ仕込まれたからくりに気づき、死なずに済んだのだ。
「ほう、よくぞ躱した」
 悔しがるわけでもなく、デルモザードは心底から感心したようだった。これが並の相手であれば、今の一撃で終わっていたはずだと。
 ウィルは自分を襲った、一風変わった武器について興味を示した。
「それは?」
「面白いだろう? 以前、からくり好きなドワーフが町を訪ねて来てな。“奇蹟”を授ける代わりとして特注で作らせた」
 デルモザードは自慢げに言うと、鎖を引き戻し、元の破壊槌<モール>の状態にして肩に担いだ。多分、握っている部分にでも、鎖を延ばしたり戻したりが自在に出来るスイッチがあるのだろう。魔法の武器ではなく、からくり仕掛けが施されたオーダーメイドだ。
「きっと腕のいい職人だったのだろう。見事な代物だ」
「だろう?」
「ただ、奥の手を出すには早過ぎたのではないか?」
「そう思うのは勝手だが、仕掛けがバレたところで関係はないさ。むしろ、こいつの恐ろしさが骨身に沁みただろう。さあ、どれくらい粘れるかな?」
 獲物を追い詰める楽しみを見つけたらしく、デルモザードは笑みをこぼした。再び特注品の破壊槌<モール>を振るう。
 呪文を唱える暇も与えられず、ウィルはひたすら回避に専念させられた。大振りかと思えば、おもむろに鎖が延び、一瞬にして間合いが変化する。変幻自在の連続攻撃に、少しでも集中力を切らせば一巻の終わりだ。
「いいぞ、いいぞ! 逃げ回れ!」
 今度は鉄鎖球<モーニング・スター>として、デルモザードの頭上で振り回された。動きを見定めると、身を捻るようにして、ウィルへ投じた鉄球を当てようとする。
 凄まじい圧力を肌で感じ取りながらも、ウィルは鉄鎖球<モーニング・スター>を躱した。が、それが相手の狙いであろうとは。
 鉄球が黒いマントの横を掠めた瞬間、デルモザードは柄のスイッチを操作した。途端に延びた鎖が急速に巻き戻される。躱したと思われた鉄球が、間髪を入れずにウィルの背後を襲う。
「危ねえ!」
 裏切ったはずなのに、ジェリコはつい声に出していた。
 まさか、それが届いたわけでもないだろうが、自らの身体を回転させるようにして、ウィルは戻って来る鉄球をも回避して見せた。あたかも、そのトリッキーな攻撃を予測していたかのように。その華麗な動きは、戦いという殺伐としたものよりも、上流階級の社交界で舞い踊るかのような優雅ささえ感じられる。戦っている者たち以外は、それが命のやり取りであることを危うく忘れそうだった。
「ぬうっ……!」
 この一撃には自信があったのか、さすがのデルモザードからも余裕の笑みが消えた。引きつったように右の眉が跳ね上がる。
「バカな、これも躱すか……ええい、ただの吟遊詩人とは到底思えん」
「お前がどう思おうと構わない。だが、オレは紛れもなく、ただの吟遊詩人だ。それ以外の何者でもない」
「ほざけっ!」
 もうデルモザードに容赦はなかった。いや、もちろん、これまでだって本気を出していなかったわけではないのだが、目の前の美しき異邦人と対しているうちに、何とも言えない畏怖が身体にまとわりつくような感覚に陥ってくる。そのことを振り払うべく、より攻撃的に出た。破壊槌<モール>を前面に押し出しつつ、黒衣の吟遊詩人を追い詰めようと。
 ところが、ウィルの美影身は捉えどころがないみたいに、広大な砂漠の上で軽やかなステップを踏みながら遠ざかろうとする。それこそ、影か幻でも追いかけているかのように。このまま距離を取られては魔法を使われてしまう。デルモザードに焦りの色が滲み始めた。
「逃がすか!」
 スイッチを操作し、再度、鉄鎖球<モーニング・スター>が振るわれた。後ろへ後ろへと下がり続ける黒いマントへ、鋭い棘<スパイク>付きの鉄球が真正面から延びる。
 その瞬間をウィルは待っていた。
「マドア!」
 どこまでも追いかけて来るデルモザードを引き離すため、ずっと後方への回避を行って来たウィルが、ようやく呪文を詠唱するチャンスを得た。眼前まで迫る鉄鎖球<モーニング・スター>との間に黒い穴のようなものが忽然と現れる。そこへ鉄の凶器が音もなく吸い込まれると、その向こうにいる美しき吟遊詩人まで突き抜けて届くことはなかった。
「何ィ……!?」
 デルモザードは我が目を疑った。空間に出来た黒い穴の中に、投じたはずの鉄鎖球<モーニング・スター>が消えてしまっている。一方で延びた鎖はピンと張られたままだ。
「これは……!?」
「黒魔術<ダーク・ロアー>じゃな」
 疑念を抱くデルモザードに答えたのは、魔法を発動させたウィルではなく、年老いたマンティコアであった。魔獣は黒魔術<ダーク・ロアー>に長けている。
「それは異空間への入口だ。あの鉄の塊は今、こことは違う次元に存在している」
「違う次元……だと? 何を言っている……?」
 魔法について、あまり知識はないのか、デルモザードにはマンティコアの言っている意味が理解できていないようだった。ただ、困惑の表情を浮かべている。
「つまり、ここにはもう存在しないということだ」
 説明は充分だとばかりに、不意に空間に生じていた黒い穴が消失した。穴の中へ真っ直ぐ延びていたはずの鎖は呆気なく断ち切られ、デルモザードの手元から力なく垂れ下がる。最大の武器であった鉄鎖球<モーニング・スター>を奪われ、怪力自慢のペテン師は茫然と立ち尽くした。
「自慢の得物はもうないぞ。敗北を認め、この場から去ってはどうだ?」
 勝ち誇るでもなく、あくまでも淡々と美貌の吟遊詩人は降参を促した。
 ところが、何のつもりか、デルモザードは一転して笑い出す。大声を上げて。
「ハッハッハッハッハッ! 敗北を認めろ、だと!? 笑わせるな! 降伏するのは貴様たちの方だ!」
 両雄が死闘を繰り広げている間に、どうにかクレバスから這い出したデルモザードの配下たちが、ようやく今になってウィルたちを取り囲む。これで再び形勢逆転だ。手にした新月刀<シャムシール>が痛い目に遭わされた黒衣の魔法使いだけでなく、マンティコアやナギ、そしてジェリコにも向けられている。
「さあ、返答を聞かせてもらおうか」
 デルモザードは悪党らしく、一行に向けて凄みを利かせた。


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