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およそ三十名の男たちに包囲され、ジェリコを含めた三人と一頭は窮地に立たされた。広大な砂漠に逃げ場はない。戦う術を持たぬナギは庇護者たるマンティコアにすがりつくようにしている。
「心配はいらぬ」
彼女から「爺様」と呼ばれるマンティコアは優しく声をかけると、ジリジリと近づこうとする一団を白濁した眼でねめつけた。
老いたりといえども、魔獣がその身に帯びている殺気は、常人を震え上がらせるのに充分だ。その姿が間近になると、包囲の輪を狭めようとする一団の動きに躊躇が生まれる。
「これ以上、近づくのならば、命の保証はせんぞ」
コケ脅しではないが、マンティコアはドスの利いた声を出した。魔獣の唸りは耳にした者の恐怖心を呼び覚ます。
「今さら脅し文句か、マンティコア」
唯一、魔獣を恐れていないデルモザードは鼻で笑った。すでに得物だった破壊槌<モール>を失い、丸腰であるはずなのに。
「警告はしたぞ」
「そんなもの、素直に聞くつもりはない。こっちだって、わざわざ、こんなところまで追いかけて来たんだ。この期に及んで引き下がれるか。――というわけで、オレたちを謀っただけでなく、与えてやった汚名返上の機会もパーにした貴様にも覚悟してもらうぞ」
デルモザードの視線は、マンティコアから中途半端な位置に立つジェリコへと向けられた。今のジェリコは、ナギを人質にしようとして失敗し、どちらの側からも孤立した状態だ。双方から敵視されても当然の立場と言えよう。
「こうなったら、仕方ねえ!」
ジェリコは意を決すると、短剣<ショート・ソード>を構え直した。切っ先が向けられたのは――デルモザードたちの方だ。
「やはり、こちら側につくつもりはないようだな」
すでに見越していたのだろう。デルモザードに驚きはない。先に脅し文句を吐いたのだから当たり前か。
「どうせ死ぬなら、一人でも多く道連れにしてやる! それがナギのために、今のオレがしてやれる、たったひとつのことみてえだからな!」
「お兄さん……」
覚悟を決めたジェリコの背中をナギは固唾を呑んで見守った。
「死に急ぐのなら、それでもいい。こっちはマンティコアさえ、町に連れ戻せばいいのだからな。――やれ」
トレードマークでもある顎の髭を触りながら、デルモザードは襲撃の合図を送った。三十名あまりの腕利きたちが、一斉に新月刀<シャムシール>を振りかざして襲い掛かる。
「ディノン!」
即座に、ウィルから発射された魔導光弾<マジック・ミサイル>がそれを迎え撃つ。三十名のうち八名が直撃を喰らい、その衝撃に弾き飛ばされる。しかし、それでもまだ、大多数が残っていた。
「ゾ・グルシア!」
次に呪文を唱えたのは、ウィルではなくマンティコアだった。黒い影で出来た触手のようなものが地を這うようにして襲撃者へと伸び、六名の男たちをあっという間に絡め取ってしまう。
「な、何だ、これは!?」
拘束された者たちは恐怖に顔を引きつらせた。無理もない。身にまとわりつく黒い影は得体のしれない代物なのだ。しかも黒い影は足下から腰、そして上半身へと這い上り、最後には頭まですっぽりと覆った。その途端、犠牲者たちは苦悶の表情を顕わにする。どうやら呼吸が出来ていないらしい。
これぞ黒魔術<ダーク・ロアー>のひとつ、窒息の魔法だ。黒い影は実体があるわけではなく、それでいて、その効果の中に囚われると抜け出すことが不可能になる。
男たちはそれぞれ、凄まじい形相で苦しみもがいた。しかし、どういうわけか、呻き声のひとつすら聞こえて来ない。空気が失われているので、言葉を発することも出来ないのだ。
息が出来ず、空気を求めて狂ったように身体をくねらせる様は、死のダンスと言えただろう。顔色が赤から青へ、青から土気色へと変化する。窒息死とは見るも無残な末路だ。
「やめて……」
ナギの口から微かに呟くような声が漏れた。目の前の光景を直視していられず、マンティコアの首元に顔を埋めるようにしている。その身体は震えていた。
「もう、やめてあげて、爺様」
「何を言う、ナギ。此奴らは、お前のことを――」
「分かってる! でも――」
顔を上げたナギの目には涙が光っていた。人間の最期をあのような形で迎えさせるのは、あまりにも惨たらしい。そう訴えているようだった。
「………」
マンティコアは無言で魔法を解いた。酸欠に陥った犠牲者たちは気絶した状態で倒れ込む。あと少し解除が遅れていれば、命はなかっただろう。
ナギの嘆願により、敵を助けた格好になったが、充分にマンティコアの持つ黒魔術<ダーク・ロアー>の恐ろしさについては伝わったらしい。襲撃の足は止まり、これ以上、近づいていいものか、ためらう者たちが続出する。
その点、魔法を使えないジェリコは対しやすい相手だった。こちらを標的に定めた四人もの男たちが容赦なく斬りかかる。
「ぐあっ……このぉ!」
ジェリコは短剣<ショート・ソード>で攻撃を防ごうとしたが、数の前には抗いきれない。敵の刃に押し出されるようにして、ジェリコは不覚にも背中から倒れ込んだ。
この隙を逃さず、トドメを刺されるかに思われたが、どういうわけか敵の動きが止まった。どうやらジェリコではなく、その後ろにいる者に対して脅威を覚えたらしい。
言うまでもなく、そこにいたのはウィルだ。黒衣の吟遊詩人。
助けてくれ、とは、命の恩人を裏切ったジェリコからすれば頼めなかった。むしろ、見捨てられて当然だ、とも思う。ところが――
「バリウス!」
ウィルはジェリコを狙おうとした男たちに向かって右手を突き出した。瞬く間に真空の刃が発生し、襲撃者たちを切り裂く。その結果、一人の例外もなく、手にしていた新月刀<シャムシール>を砂の上に取り落としていた。全員が顔を歪ませ、傷ついた手首の腱を押さえる。もう武器を振るうことはもちろん、握ることすら出来ないはずだ。
ジェリコは驚いて、ウィルの顔を仰ぎ見た。
「ウィル……」
「立て」
倒れたジェリコに、ウィルが短く言う。まだ戦いの最中だ。ジェリコは言われた通りに立ち上がる。そして、何と礼を言っていいのか分からず、顔を背けてうつむいた。
すると――
「あの娘を守ってやれ」
敵の動きから目を離さず、ウィルは言った。ジェリコは目の前の吟遊詩人の言葉が何かの間違いではないかと思い、
「けど……オレは……」
と口ごもる。そんなジェリコにウィルが視線をよこす。
「あの娘なら、お前のことを許しているはずだ」
「えっ……?」
「そういう娘だと、この短い間、旅を共にして知っただろう」
「………」
「今、裏切ったことを後悔したところでどうにもならない。あの娘の信頼にだけ応えてやれ」
「……分かった。そうさせてもらう」
自分のすべきことを決めると、ジェリコは口許を引き締め、ナギとマンティコアの方へと走り出した。守るべきもののために。
まだ手駒は過半数が残ってはいたが、戦況はやはり不利だった。デルモザードは距離を置いたところから配下たちの戦いを眺め、歯軋りする。剣同士であれば手練れの者たちも、魔法を使う相手との戦いには慣れていない。
「やはり奥の手を使うしかあるまい」
まず、デルモザードはウィルを見た。相変わらず軽やかな身のこなしで凶刃を掻い潜り、隙あらば魔法で無力化していっている。どうやら眠りの呪文らしい。効果範囲の者たちが面白いようにバタバタと倒れてゆく。
次にマンティコアを見た。こちらもナギを庇いながら、五、六人の男たちを相手に奮闘中だ。サソリの尾を武器にして、ナギに近づけないよう牽制している。
ならば、とデルモザードは策を決めた。
「こうなったら、オレの真の力を見せてやる! 覚悟しろ!」
デルモザードは声を目一杯に張り上げた。
これに反応を示したのはナギだ。怯えた顔で、離れた場所にいるデルモザードを見てしまう。
このときを待っていたのだ。
デルモザードはナギに向かって異能者<ミュータント>の力を使った。
「ん? ナギ?」
ナギたちのところへ合流しようとしていたジェリコは、少女の動きに違和感を抱いた。突然、マンティコアから離れるや否や、敵の方へと駆け出したからだ。もちろん、それを見たマンティコアも慌てた。
「な、ナギ、どこへ行くんじゃ!? こっちへ戻って――ぐあぁぁぁぁぁっ!」
すぐさま追いかけようとしたマンティコアだったが、それは出来なかった。またしても、かけられた“制約<ギアス>”が発動したらしく、見えない責め苦が魔獣の動きを妨げる。
「危ない、ナギ! そっちへ行くな!」
ここはジェリコが止めるしかなかった。ナギの進路を塞ごうとする。
そのナギの目が赤く光った。何だ、と怪しむ間もない。走っていたはずのジェリコは、いきなり意識を失った。
するとナギも、まるで憑き物でも落ちたみたいに全身から力が抜け、そのまま砂の上に倒れ込んだ。顔を上げ、自分の置かれた状況に戸惑う。
「あ、あれっ? あたし……」
いつの間にかマンティコアと離れていたことにナギは背筋がゾッとした。しかもマンティコアは“制約<ギアス>”の力によってのたうち回っている。すぐに戻ろうとした。
「待て!」
「あうっ!」
立ち上がりかけたところを強い力で頭から押さえ込まれ、ナギは再び砂を噛むはめになった。何者の仕業か確認しようとすると、それがジェリコだったと分かり、愕然とする。
「そ、そんな……何で……?」
一度ならず二度までも、ジェリコは裏切ったというのか。
「フッフッフッ、大人しくしろ」
目に赤い光を宿したジェリコは、これまでに見せたこともない悪相を浮かべ、捕らえた少女に笑いかけた。まるで別人にでも豹変したような青年に、ナギは声も出なくなる。
「お前を町に連れ帰れば、彼奴も従うのだろう? どれ、役に立ってもらおうじゃないか」
ジェリコはナギの髪をつかむと、その身体を引っ立てようとした。
そこへ――
「ベルクカザーン!」
青白い電光が走った。ジェリコは素早くナギから離れ、それを避ける。でなければ、閃光雷撃<ライトニング・ボルト>によって貫かれ、全身が黒焦げになっていたに違いない。
そのジェリコへ畳み掛けるようにして、黒い疾風が襲いかかる。ウィルだ。それに気づいたジェリコは手にした短剣<ショート・ソード>で美しき吟遊詩人に斬りつけた。
ところが、それよりもウィルの方が速い。魔法ではなく、右手が黒いマントの下に隠されていた護身用の短剣<ショート・ソード>に伸びる。
次の刹那、目も眩むような光が一閃した。
「がはっ!」
目を開けると、ウィルの剣が深々とジェリコの腹部に突き刺さっていた。ほんの少し前、仲間と認めたはずではなかったのか。美しい貌には一切の感情が消されていた。
流れ出る血とともに立つ力が失われ、ジェリコの身体はゆっくりと砂の上へと倒れた。
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