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勇者ラディウスの悪評

−3−

 村長の家から逃げ出したアンとローラは、ハダルの村の裏手にある森の中へと逃げ込んだ。
 アンは痛めた右腕を押さえ、苦悶の表情を浮かべていた。起伏豊かな森の中をジグザグに走っていると激痛が襲う。しかし、だからといって、今、立ち止まるわけにはいかなかった。
「アン、大丈夫ですか?」
 隣で支えるようにしているローラがケガの具合を心配した。アンは歯を食いしばる。一度、弱音を吐いたら、抑えが効かないような気がしたからだ。
 かなり森の奥まで入り込んだところで、二人はようやく足を緩めた。アンはそのまましゃがみこんでしまう。顔には脂汗が滲んでいた。
「腕を見せてください」
 ローラはアンの右腕に触れた。途端にアンが悲鳴を押し殺す。
「ひどいケガ……」
 袖口をめくると、紫色に内出血した腕が現れた。多分、骨まで折れているに違いない。
 ローラはそんなアンの負傷箇所に、そっと手を添えた。
 次の瞬間、アンは目を見張った。傷跡に置かれたローラの手が優しい光を放ち、痛みをやわらげていったからだ。
「ローラ……」
 アンは驚いた。ローラにこんな力があるとは知らなかったからである。
 光がおさまると、右腕の痛みはすっかり引いていた。内出血も消え、肌には傷一つ残っていない。アンは試しに右腕を動かしてみたが、元通りになっていた。
「ローラ、いつの間にそんな力を……?」
 アンは尋ねたが、当のローラも戸惑っている様子だった。
「分かりません。アンを助けたいと思ったら、何か自分の身体から力が溢れ出るような感じがして……」
 ローラは自分の手を見つめた。それをアンは握りしめる。
「すごいよ、ローラ! 今の聖魔術<ホーリー・マジック>だよ!」
 聖魔術<ホーリー・マジック>は、神に仕える聖職者<クレリック>たちが使う魔法のことだ。神の奇跡を代行し、主に傷を癒したり、病を治したりする。
 しかし、ローラ自身が一番ビックリしていた。
「どうして私が聖魔術<ホーリー・マジック>なんかを……」
「理由なんてないよ。神様が与えてくださった力なんだから。きっとローラの想いが、創造母神アイリス様に伝わったんだわ」
 半年前まで、その聖魔術<ホーリー・マジック>を修得しようとしていたアンが決めつけたように言った。別に妬ましさはない。素直にローラの方が聖魔術<ホーリー・マジック>の使い手としてふさわしいと納得していた。
「じゃあ、逃げ出すときに光った、あの眩しい光も……」
「無意識のうちにローラが作り出したに決まっているでしょ! ああ、素敵! ローラが聖魔術<ホーリー・マジック>を使えるだなんて!」
 アンは喜びのあまり、ローラに抱きついた。ローラは受け止めきれず、キャッと小さな悲鳴を上げて、そのまま後ろへ倒れ込んでしまう。
「……でも、これからどうしましょう?」
 女同士で抱き合った状態のまま、不意にローラが言った。アンはむくりと起きあがり、自分たちが逃げてきた村の方向を振り返る。
「あの剣士、きっと村で私たちを待ち受けていますわ」
「チッ! あんにゃろぉ、ただの酔っぱらいオヤジかと思ったら、剣の腕前は一人前でいやがる!」
 アンは敗北を喫した屈辱感に歯ぎしりした。あれでも男は手加減をしていたはずだ。まともにやり合っても、アンが勝てる見込みは薄い。つまり力押しでは解決できないということだ。
 二人は立ち上がった。
「とにかく、せっかく森の中へ入ったんだ。あいつが退治したっていうコボルドの棲処を調べてみようよ」
 アンの提案に、ローラはうなずいた。
「そうですわね。私たちの目的は、あの人が本物の勇者ラディウスかどうか調べることですもの。もし、コボルドを退治したのがウソなら、村の人たちに知らせることもできますわ」
 かくして、二人はコボルドの巣穴へと向かうことにした。
 コボルドたちが棲み着いた洞穴の場所は、この村へ来る途中、依頼人のサムから聞いていた。無論、森に不案内なアンたちが簡単に辿り着けるとは限らないが、村へ戻れないのだから、他に方法はない。二人は互いにあっちでもない、こっちでもないと言いながら、洞穴を捜した。
 どれだけ歩き回っただろうか。いい加減、歩き疲れたところで、急に洞穴が見つかった。
「ここかな?」
 洞穴は大人でも屈めば入れそうな大きさだった。入口からやや下へ下っているせいか、奥を見通すことは出来ない。近づくと猛烈な腐敗臭がした。
「うわっ、くさっ!」
 二人ともたまらず鼻と口を押さえた。よく見ると、洞穴の近くに動物らしき死体がいくつか転がっている。あれがコボルドだろうか。アンもローラも、コボルドの名前こそ知っているものの、実際にお目に掛かるのは初めてだ。
 もっとよく近づいて調べてみようと、アンとローラは死体の方へと向かった。かなり腐敗が進んでいるが、イヌのような頭部が確認できる。手足を見ると、それは未熟ながら五指に開いていた。どうやらコボルドであるらしい。
「もう行きましょう、アン」
 死体を直視することが出来ず、ローラは目を背けながら言った。しかし、アンはなおも死体を調べようとする。
「剣で一刀のもとに斬り伏せているわね。ほとんど真っ二つ……やっぱり、あの大剣<グレート・ソード>の仕業としか考えられないか。でも……死体は四つだけ……ちょっと少なすぎやしない?」
「危ない、アン!」
「──っ!?」
 ローラの警告に、アンは素早く動いた。顔を上げるよりも早く、転がるようにして、その場から離れる。次の刹那、アンが調べていたコボルドの死体に粗末な槍が突き刺さった。
「何!? なんなの!?」
「コボルドです!」
 ローラが言ったとおり、洞穴から数匹のコボルドが出てくるところだった。手には自分たちで作ったらしい不細工な槍。それをアンとローラに向けて投擲してきた。
「何でコボルドがいるのよ!? あの男が退治したんじゃなかったの!?」
 アンはローラの方へ駆けながら、文句を言った。槍が当たりそうになったローラを救う。ローラはコボルドたちの襲撃に怯えていた。
「わ、分かりません! でも──」
「でも?」
「コボルドたちが私たちを目の仇にしているのは確かなようです!」
「言えてる!」
 アンたちへ次々と槍が投じられた。あまり命中率が高いとはいえないが、いつ運悪く突き刺さるか分かったものではない。二人は必死の形相で逃げ出した。
 コボルドたちは執拗だった。どこまでもアンたちを追いかけてくる。おそらく、仲間たちの復讐を遂げるつもりだろう。
 途中、アンは後ろを振り返ってみたが、コボルドはざっと十匹くらいだった。コボルドはモンスターの中でも最弱の部類とされている。一瞬、アンの脳裏に反撃という言葉がよぎったが、一緒にいるローラの身の安全を思うと決断することは出来なかった。自分はともかく、いくら聖魔術<ホーリー・マジック>を修得したといっても、ローラに戦いはまだ無理だ。
 闇雲に逃げていたアンとローラだったが、どうやら天は二人に味方したようで、行く手にハダルの村が見えてきた。コボルドたちも人間の居住地にまで足を踏み入れる危険は冒さない。追っ手の数は次第に減っていき、森の奥へと引き返していった。
 そんなアンたちの前に、村民のサムが現れた。他にも何人か村人がいる。これで助かったと、アンは一息ついた。
「サムさん!」
「ああ、お二人さん、捜しましたよ。どこへ行ってしまったかと思って」
 双方は合流した。アンは乱れた呼吸を整える。
「森の奥の……コボルドの巣を……調べに……」
「そうですか。それよりも二人に来ていただきたいんです」
「私たちに?」
 アンは、ようやくサムたち、ハダルの村の人々に不審なものを感じた。サムはアンの腕を取る。
「ええ、一刻も早く」
「お断りよ!」
 アンはサムの腕を強く振り払った。村人たちの顔が強張る。アンは腰を落として、構えを取った。
「ひょっとして、あの男に私たちを連れてくるよう言われた、とか?」
「すみませんね、お二人とも」
「キャッ!」
「ローラ!」
 いきなり村人の一人がローラを後ろから捕まえた。アンは抵抗しようとしたが、ローラを人質に取られていては下手なこともできない。仕方なく構えを解き、ただ鋭い眼をサムへ向けた。
「あなたたち、あんな男の言いなりになるなんて……」
「本当に申し訳ないです。でも、これも村のことを思えばこそなんですよ」
 サムは苦渋に満ちた顔つきで言った。
 アンとローラは後ろ手に縄をかけられ、ハダルの村へと連行された。


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