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勇者ラディウスの記憶

−4−

 にせラディウスたちに尾行を勘づかれたアンは、このまま背中を向けて逃げようかと思った。足にはちょっとした自信がある。複雑な迷路のような下水道の中を逃げ回れば、そう簡単に追いつけないだろう。
 ところが、そんなアンに明かり代わりだった魔法の光がスッと近づき、その姿を照らし出す。光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>だ。アンは、にせラディウスと一緒にいるのが魔術師だと思い出した。
「逃げようったってムダだぜ。こっちには魔法使いがいるんだからな」
 にせラディウスが勝ち誇ったように言った。悔しいが、その通りだ。背中を向けた途端、どんな魔法が飛んでくるか分からない。光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>を呼び出したところを見ると、おそらくは白魔術師<メイジ>。ここはもう堂々と対峙するほかなかった。
 アンはキュッと唇を噛みしめ、こちらを見ているであろうにせラディウスを睨み返した。実際は光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>のせいで逆光になってしまい、こちらからは二人の姿が見えない。
 やがて、にせラディウスの驚いたような声があがった。
「おっ! お前……?」
 にせラディウスはアンの顔を憶えていたのだろう。そんな反応だった。
「知っている顔か?」
 反響しやすい下水道の中で、かろうじて魔術師の声を聞き取ることが出来た。陰気さを含んだ、かすれ声だ。これだけではどれくらいの年齢なのか判然としない。
 にせラディウスは苦笑した。
「こんなところで、また会おうとはな」
 アンはにせラディウスの下卑た表情を想像し、カッと頭に血を昇らせた。
「今度こそ観念しなさい! 逃がしはしないんだから!」
「相変わらず威勢がいいな、ねえちゃん。そういうところ、嫌いじゃねえぜ。──ところで、あのケインとかいう若造は一緒じゃねえのか?」
 きっと、にせラディウスにとっては、肩を斬りつけられた前回の敗北が忘れられなかったのだろう。その証拠にケインの名をしっかりと憶えている。同時に、その剣の腕前を恐れているのが窺い知れた。
 アンは強気の姿勢を崩さなかった。ちょっとケインには癪だが、ハッタリをかます。
「もうすぐ追いつくはずよ。そうしたら、今度こそ終わりね。さあ、ハダル村の人たちを困らせた罪、しっかりと償ってもらいましょうか」
 アンの勧告に対し、にせラディウスは鼻で笑った。どうやら下手なハッタリは見抜かれているらしい。
「あいつらに感謝されることはあっても、恨まれる覚えはねえな」
「よく言うわ! どうせ、また何か企んでいるんでしょ!?」
 それはアンの直感であったが、また確信でもあった。怪しげな魔術師と胡散臭い下水道へやって来たのだ。これで何もないはずがない。その悪巧みが何なのか、にせラディウスが少しでも口を滑らせてくれないかとアンは期待した。
 しかし、にせラディウスの饒舌を隣の魔術師が止めた。
「ガデス殿、時間がない」
 それがにせラディウスの本名であったか。もし、そうでなくても、今、名乗っている名前に違いない。アンは記憶に刻んだ。
 魔術師にせかされ、にせラディウスことガデスはうなずいた。どうやら、主導権を握っているのは魔術師の方らしい。ガデスは舌打ちした。
「分かっている。今、行く。──悪いな、ねえちゃん。今はゆっくりと相手してられねえんだ。代わりを呼んでおくからよ、それで勘弁してくれ」
 ガデスはそう言うと、懐から非常に小さい物を取り出した。アンがそれを目にすることが出来たのは、魔術師が光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>を自分のところへ引き戻したからである。ガデスはそれを口にくわえた。
 アンは身構えた。今、ガデスが何をしたか分かったからだ。アンの耳には何も聞こえなかったが、モンスターを呼び寄せる笛を吹いたに違いない。前回、ハダル村では、その笛でコボルドを呼び、まんまと逃げる時間を稼いだ。
 多分、今回はこの下水道に潜むモンスターがやって来るだろう。アンは何が現れるかと不安になった。ただひとつ、間違いなく言えることは、モンスターの中でも最弱の部類に入るコボルドよりも恐ろしいものだろうということだ。
「ハッハッハッ、怯えろ! 恐怖に顔を引きつらせろ! もう、お前は生きて、地上の光を見ることはないのだからな!」
 ガデスの哄笑が下水道に大きく響いた。それに混じって、背後から何かが急速に近づいてくる足音がする。アンは振り返った。



「大変です、ケイン様!」
 部屋の中に飛び込んでくるなり、ローラは剣の手入れをしていたケインにすがりついた。ケインはびしょ濡れのローラを見て、びっくりする。アッという間に、床に水たまりができるくらい、ひどい有様だった。
「どうしたんだ、ローラ?」
 ケインはとにかく落ち着かせようと、ローラの手を握ろうとした。その手がひどく熱く感じられ、反射的に引っ込めそうになる。明らかに熱があった。
 しかし、ローラは動こうとしないケインの身体を揺さぶった。そして、すぐにも立たせようとする。
「アンが、アンが一人で……!」
 ローラは街中で、にせラディウスを見かけたこと、アンがそれを追いかけていったことをケインに話した。話し終えた途端、力つきて膝から崩れそうになる。ケインは慌てて支えた。
「大丈夫か?」
「は、はい……」
 ローラはケインに抱きしめられるような格好になって、頬を赤く染めた。もっとも、今は熱のせいで、元から赤くなっていたが。
「あいつ、勝手なことを……」
 ケインは自己判断で尾行を選択したアンに立腹した。どれだけ危険がともなうか、もう少し冷静に判断できなかったのかと思う。
 ケインは自分の代わりにローラを椅子に座らせると、手入れの途中だった剣を鞘に収め、すぐにアンの後を追おうとした。
「ま、待ってください」
 それを止めたのはローラだ。よろよろと、ふらつく足取りで立ち上がる。
「わ、私も参ります……」
「ローラ、ムチャだ!」
 ケインは同行を認めなかった。ローラはひどい熱で、再びこの雨の中、アンを捜しに行くのは自殺行為である。それにこの緊急事態で共に行動するのは、申し訳ないが足手まといだ。
 だが、ローラは食い下がった。
「ケイン様は、まだこの街に来て、間がありません。ラーズの街のことなら、私の方がよく知っています」
 言われてみれば、その通りだった。運の悪いことに、ドナは先刻からどこかへ出かけてしまっている。ここはローラに案内を頼むしかない。ケインは決断するのに時間をかけなかった。
「分かった。じゃあ、一緒に来てくれ。その代わり、限界だと思ったら、すぐにオレに言うんだ。いいな?」
「はい……ケイン様……」
 二人はさらに降りが強くなった雨の中に飛び出した。とりあえず、まずはアンがにせラディウスを見かけた橋の近くへ行く。
 具合の悪いローラを連れていたため、橋へ到着するまでにかなりの時間を要してしまった。この時間のロスに、ケインは焦燥感に駆られる。発見が遅れれば、それだけアンの身に危険が及ぶだろう。できれば、アンが尾行に失敗して、今頃は悔しがりながらも家に帰っていてくれればいいと、ケインは思った。
「アンが行ったのは……こっちです……」
 息も絶え絶えな感じのローラが方角を指差した。ケインはローラの身体を支えるようにしながら、川沿いの道を歩く。
 雨の中の移動は鍛練を積んだケインでも音を上げたくなるようなものだった。高熱にあえいでいるローラはなおさらだろう。それでも、ここで引き返そうと言っても、きっと聞き入れないに違いない。ケインはローラの具合を気遣いながら、アンを追いかけた。
「け、ケイン様……」
 不意にローラが足を止めた。とうとう限界かと思い、ケインは顔を覗き込む。するとローラは増水した川を示した。
「あの川の先にある下水道……あの中です……」
「あそこにアンが?」
 ケインは訝った。なぜ、あんなところにアンが。いや、それよりもどうして、ローラにそんなことが分かるのか。
 しかし、ローラが突然、聖魔術<ホーリー・マジック>に目覚めたことを考えると、何か不思議な力が働いているのではないかという考えは捨てきれなかった。このまま闇雲に街の中を捜し回っても成果が期待できそうにない以上、ここはローラの言葉に従ってみるのも悪くない。そうケインは判断した。
 川へ降り、下水道の中に入ると、降りしきる雨から逃れることが出来て、ホッと一息つけた。しかし、すぐに別の責め苦がケインとローラを悩ませる。臭いだ。
「本当にこんなところを?」
 鼻が曲がりそうになりながら、ケインは下水道の奥を窺った。先に行くにつれ、闇は濃くなっている。
 すると、いきなりローラの身体が光を放ち始めた。淡く青白い光。その不可思議な神々しさに気圧され、ケインはついローラから離れてしまう。が、途端にローラが倒れそうになって、ケインは慌てて、再び小さな身体を支えなければならなかった。
「ご、ごめんなさい……」
「い、いや。それも魔法なのか?」
 ケインは質問した。剣一本で生きてきたケインに、魔法の知識は乏しい。
 ローラはかぶりを振った。
「私にも分かりません……どうしてなのか……そういう意味では聖魔術<ホーリー・マジック>が使えたときと同じです……」
「ふーん。まあ、いい。これで探索には困らなそうだ。先へ行ってみようか」
「はい……」
 ケインはローラと一緒にアンの無事を祈りながら、闇の奥へと進み始めた。


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