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勇者ラディウスの花嫁

−2−

「うぉっほん! 失礼致します」
 ノックの音に続いて、咳払いと低く落ち着いた声が響いた。部屋にいたアンと、その母親であるドナは、一瞬、視線を交わしてから、ドアの方を見やる。
 母娘は、このカリーン王国の首都ラーズで、もめごと専門の何でも屋を営んでいた。ところが、こういう仕事自体が珍しいせいか、なかなか依頼人が訪れず、毎日が開店休業中の状態で、台所事情は火の車。今も二人して、これからどうしようかと打開策を話し合っていたところである。
 そこへ現れた依頼人とおぼしき訪問者。二人が、天の助けと神に感謝し、焦る気持ちを抑えるかのように、足音を忍ばせながら、ドナが事務机の椅子に、アンがその傍らに立った。
「どうぞ」
 ドナが努めて平静を装い、ドアの向こう側にいる来訪者に返事をすると、二人の人物の姿が見えた。まず、入ってきたのは執事らしき身なり老人。だが、その背筋はピンと伸ばされ、動きもきびきびして、遅滞がない。そのおかげで見た目より、とても若く感じられた。
 その老人がドアを支えているうちに、淡いピンク色のドレスを着た愛らしい少女が入室してきた。まだ、十歳前後といったところだろう。ほんのりと頬を染めてたたずむ姿は人形を思い起こさせる。
 そのとき、ドナの目がきらりと光った。二人が身につけているもの――特に少女がつけている装飾品の数々から、金の匂いを嗅ぎつけたためである。
 少女はドレスの裾をちょこんとつまみあげると、貴族の儀礼にならってあいさつした。
「初めまして。わたくしはミロノヴィッチ・ミハイロフ侯爵の子、クリスと申します」
「こ、これはご丁寧に、どうも……」
 普段は蓮っ葉な物言いをするドナも、さすがに高貴な家柄の令嬢を前にして気後れした様子だった。それも無理からぬことだろう。ここは王族や貴族とは無縁の場所なのだから。
 次にかしこまった老人も一礼する。
「わたくしめはクリス様の身の回りのお世話をさせていただいております、ジェラードでございます。以後、お見知り置きを」
 丁寧極まりないあいさつに、ドナは調子が狂ったが、そこはこんな商売を生業にしている以上、
「ようこそ、お越しくださいました。私はドナ。ここの主です。――こちらにいるのは私の娘で、アン。私の仕事を手伝ってくれています」
 と、緊張を喉の奥に飲み込んで自己紹介してみせる。隣にいたアンは、実の母親ながら舌を巻いた。
 クリスと執事のジェラードは、商談用のソファに促された。無造作に座ったクリスであったが、途端に少し怪訝な表情を作る。小さな体を上下にゆすってみているところを見ると、座り心地が堅いと思ったのかもしれない。どうせ、ここのソファとミハイロフ家のソファでは月とスッポンだろう。
「粗茶でございます」
 依頼人の二人に、アンは淹れたてのお茶を出した。いつもはローラが淹れるのだが、どこへ出かけたのか、あいにくと不在である。まあ、お茶程度ならばと、アンはさして気にも留めなかった。
 ところが、執事のジェラードは、一旦、ティーカップを手にして、口元へ持っていったものの、香りを嗅ぐや否や、そのままソーサーへ戻してしまったのだった。何が気に障ったのか。どうやら、ジェラードにとっては、本当に粗茶だったらしい。
 それを見咎めたドナが、給仕したアンをねめつけた。アンは精一杯、私は別に悪くない、と目で訴えかける。一応、ラーズでは人気のある高級茶葉を使って淹れたのだから。
 ジェラードの隣で、クリスは堅いソファの座り心地を気にしながら、物珍しげに部屋の中を見回していた。多分、彼女の家にはこんなに狭い部屋はないに違いない。ひょっとしたら、物置からして、ここの数倍はあるのかもと思うと、アンとドナはため息をつきたくなった。
 まず、話を切り出したのはジェラードだった。
「こちらは人助けをしていただけるところだと伺ったのですが?」
 いわゆる何でも屋として喧伝している以上、確かに人助けには違いない。ドナは首肯した。
「ええ。内容によりけりですが、仕事として請け負わせてもらっています」
「では、人捜しなどもしていただけるのですかな?」
「人捜し?」
「ええ。なにぶん、わたくしたちはカリーン王国の南、ロイヤル領からやって来ましたので、このラーズの街は不案内なのです」
「はあ」
「それに、お恥ずかしい話ですが、手がかりと呼べるものもなく、わたくしどもでは捜し出す手立てがありません。どうでしょう? もちろん、見つけていただければ、それなりの報酬をお約束させていただきますが」
「そうですか」
 ドナは一も二もなくOK――とはならなかった。貴族からの依頼ということで、報酬額はかなりの期待ができるが、人捜しというのはドナたちの専門外である。これが有名人なら、まだいい。捜しようもある。ところが、無名の、どこで生活を営んでいるか分からない輩を捜し出すとなると、この五大王国の広大な首都の中では雲をつかむに等しい話になってしまう。ここラーズの街には何万もの人々があふれかえっているのだ。もし、引き受けるなら、ちゃんとした成果を出せるだけの見込みがないと、依頼人の期待を裏切る結果になるだろう。
 しばらく考えてから、ドナは口を開いた。
「差し支えなければ、どなたをお捜しするのか、教えていただけますか?」
 すると、これに答えたのは、ジェラードではなく、今まで会話に入ってこなかったクリスだった。
「ラディウス様よ!」
「ラディウス!?」
 その名前にはドナも驚いたが、より声を出して反応したのはアンの方だった。思わず、身を乗り出すような格好になる。
「ラディウスって、あの勇者ラディウス!?」
「そうよ」
 少女はキラキラした瞳をさらに輝かせて、夢見るようにうっとりと答えた。
 勇者ラディウスといえば、その名を知らぬ者はいないだろう。伝説の勇者。魔界に連れ去られた美姫を取り戻したサーガは多くの吟遊詩人によって詠われているし、九つの頭を持つ不死身のヒドラを知恵と勇気で退治した武勇伝は子供たちがもっとも好きなおとぎ話とされている。
 しかし、半ば伝説となっているだけあって、誰も本当に勇者ラディウスが存在したのかまでは知らない。そもそも、いつの時代の人間なのか非常にあいまいだ。大昔なのか、それとも今もどこかで生きているのか。有名な勇者の名だけあって、それを騙る者も後を絶たず、諸説紛々というのが実態である。
 それゆえ、勇者ラディウスを捜してほしいという依頼は、途方もないことのように聞こえた。それにラディウスの名を巡っては、アンたちは浅からぬ因縁――というよりも、いたずら好きな神の手の上で踊らされているかのごとき出来事に、このところ遭遇してばかりいる有様だ。正直なところ、またか、とげんなり気味。
 ドナはひと呼吸おいてから尋ねた。
「なぜ、勇者ラディウスを捜しておられるのですか?」
「結婚するの!」
「ぶっ!?」
 あっけらかんとしたクリスの答えに、アンは依頼人の前だということも忘れて吹き出した。
確かに、様々な逸話を残す勇者ラディウスは世の女性たちが一度はあこがれる存在だ。一説には、女性かと見紛うばかりの美少年――もしくは美青年――であった、との話も残されている。だが、実際に結婚をしようとする者はいない。いくら好きであっても、一面識もなく、どこにいるのか、生きているのか、死んでいるのかさえ分からないのだ。それに、そんな一国の王すらも凌駕する英雄の中の英雄に、臆面もなく求婚する大胆さなど、誰が持ち合わせていようか。
 ――いや、いた。ここに。
 クリスは本気であった。その目を見れば分かる。彼女は勇者ラディウスを捜し出し、そして結婚をするために、わざわざロイヤル領から、このラーズへとやって来たのだ。
 しかし、ここでひとつの疑問があった。
「あのぉ……どうして勇者ラディウスがラーズの街にいると思ったんですか?」
 勇者ラディウスの故郷は、エスクード王国の首都セントモアであるというのが一般的な通説である。一応、五大王国――カリーン王国、ブリトン王国、リルムンド王国、エスクード王国、ルッツ王国――各地で勇者ラディウスの活躍は伝えられているが、このラーズに限って言えば、別段、ゆかりの地でもなんでもない。それなのに、どうしてクリスたちはこの街でラディウスを捜そうとしているのか。
 すると、クリスは熱に浮かされたように、恍惚とした表情を浮かべながら言い切った。
「わたくし、ここにラディウス様がいらっしゃると聞いて来たんです!」


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