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勇者ラディウスの花嫁

−6−

 クリスは窓際のテーブル席にちんまりと座ると、目の前に出された紅茶にも手を出さず、ただ窓から日が暮れようとしている外を眺めては、「はあっ」と切なそうなため息を繰り返していた。
 それを少し離れた位置から見守る執事のジェラードは、クリスの心中をおもんぱかり、ハンカチを目に当てる。
「おいたわしや」
 アンからきつくラディウスの捜索に首を突っ込まないよう言い渡されて、二人は宿泊先の部屋に戻ってきていた。本来ならば、ロイヤル領などとは比べものにならない首都ラーズの街並みは、どこを歩いても珍しいものばかりのはずだが、クリスにとってはラディウス以外に、何の価値もないらしい。ジェラードは部屋に閉じこもるクリスを不憫に思った。
 そこへ部屋のドアがノックされた。はて、アンたちが報告に来のか、と首をひねりながら、ジェラードが応対に出る。
「何でございましょう?」
「こちらはクリス・ミハイロフ殿のお部屋で?」
 アンではなかった。いささか品を欠く男の声だ。宿屋の者ではない。ジェラードは警戒した。
「どなたかな?」
「勇者ラディウスがどこにいるか、知っているんですがね」
「ラディウス様を!?」
 その名前に反応したのは、ジェラードよりもクリスだった。窓際から走ってくると、ドアの前のジェラードを押しのけるようにして、鍵を開けてしまう。
「いけません、クリス様!」
 だが、ジェラードの警告は遅かった。
 相手は鍵が外れたと見るや、乱暴にドアを蹴破った。それがクリスをかばったジェラードにぶつかる。老執事は毛足の長いカーペットの上に倒れ込んだ。
「ジィ!」
 クリスは倒れたジェラードを案じ、屈み込もうとした。ところが、それよりも早く、その腕を強い力がつかみあげる。
「キャッ!」
 あまりの痛みに、クリスは悲鳴をあげた。
「騒ぐな! 静かにしろ! ――そら、お前らもさっさと入らねえか! 他の客に気づかれたら面倒だ!」
 命じる声に急かされるようにして、部屋へ五人の男たちが入ってきた。素早くドアは閉められ、鍵もかけられる。ジェラードは倒れた姿勢のまま、男たちを見上げた。
「無礼者! クリス様に何をする!?」
「おおっと、こいつは失礼! こっちも大人しくしてくれりゃ、手荒なマネはしねえぜ!」
 男たちのリーダーらしき人物がからかうように言った。野蛮そうな髭面で、筋骨隆々とした立派な体格の持ち主だ。背中には人間が扱うとはとても思えないほどの大剣<グレート・ソード>を背負っている。
 他の男たちも似たり寄ったりだった。一言でいえばならず者。よくもこんな輩が、金持ち相手の商売をしている高級宿屋に足を踏み入れられたものだと思う。普通なら門前払いだ。
 大剣<グレート・ソード>の男が改めてクリスの顔を見た。そのクリスはつかまれた腕の痛みと、男たちへの恐怖で今にも泣きそうな顔をしている。
「なんでぇ、貴族の令嬢だって言うから期待してたのに、まだションベン臭いガキか! ケッ! つまらねえ!」
 まだ十歳くらいのクリスに幻滅した大剣<グレート・ソード>の男は、興味を失ったかのように、そのまま部屋の奥へ移動した。クリスも、そして倒れていたジェラードも引き立てられ、奥へ連れて行かれる。
 そこで大剣<グレート・ソード>の男は高級そうな酒瓶を見つけて、嬉々とした顔を見せた。ガラス製の酒瓶をひったくるようにしてつかむと、蓋を開けて、そのまま口をつける。琥珀色の液体が見る見るうちに半分も喉に流し込まれた。
「ふぃーっ! やっぱり、お前たちが買ってくる安酒とは違うな! 五臓六腑にしみわたるぜ!」
 そう言って男は、どかっとベッドの上に腰かけた。さらに酒をあおる。
 突然、ならず者たちに部屋を占拠されたジェラードは、気丈にも男たちを睨みつけた。
「お前たち、何が目的だ!? 金か!? 金ならくれてやる! だから、さっさとここから出て行け!」
 するとベッドの上の男は、ぐいっと口許をぬぐってから、鼻で笑った。
「金だと? もちろん、それがオレたちの目的だが、ここにあるはした金程度じゃ満足できねえな。大切なお嬢様の身代金だ、金貨五十万枚は払ってもらわないと」
「五十万だと!?」
 ジェラードは思わず大声をあげた。そんな法外な身代金など聞いたこともない。いくらミハイロフ侯爵が大貴族でも、おいそれと用意できる額ではなかった。
「おい、間違えないでもらおうか! オレはお前と相談しているんじゃねえ! このお嬢様の父親と交渉するんだ! 可愛い娘の命がかかっているんだぜ。それぐらい出しても惜しくはねえだろ?」
 男は大声で恫喝した。その様は、まるで獣の咆哮だ。さすがのジェラードも言葉を失った。
「――それにしても、どうしてオレを捜していた? オレはロイヤルになぞ、行ったことはないが」
「捜す? わたくしどもが貴様を?」
 男の言葉に、ジェラードは訝った。すると男はわざとジェラードに顔を近づけてみせる。
「捜していたんだろ? 勇者ラディウスを」
「な、なんと!?」
 ジェラードは愕然とした。クリスも目を見開く。勇者ラディウス。この男が。
「そ、そんなはずはない! お主がラディウス様であるはずが――!」
「おや? ひょっとして本物を捜していたのか? マジかよ?」
 二人の反応に、男は唇を歪めた。そして、せせら笑う。
「こいつは傑作だ! てっきりオレのことを捜しているものと思ったが、まさか今どき、本物の勇者ラディウスが生きていると信じているヤツがいるとはよ!」
 男の仲間たちも笑った。部屋中に嘲笑がこだまする。ジェラードはともかく、クリスの顔が真っ赤になった。
「い、いるもん! ラディウス様はきっといる!」
 クリスはムキになって言い放った。これがまた爆笑を誘う。クリスは屈辱に唇をかみしめた。
「これだから田舎者は困るぜ! 勇者ラディウスなんて、作られた英雄だ! あっちこっちの伝説で活躍した英雄を一人にまとめちまったのがラディウスなんだよ! そんなことも分からねえのか!」
 男にまくし立てられ、クリスは涙目になった。ジェラードは、そんなクリスに近づこうとするが、男の仲間に阻まれる。足蹴にされ、再び床に転がされた。ジェラードは気色ばむ。
「き、貴様ら……!」
「やめときなよ、じいさん。ケガするだけだぜ。オレはガデス。つい、この間までは勇者ラディウスだったがな。おかげで今は追われる身よ。ずっと身を隠していたんだが、それにも飽きちまってなあ。するとこいつらから、ラディウスを捜している貴族令嬢がいるって話を聞いてよ、退屈しのぎを兼ねて、ちょいと稼がせてもらおうってわけさ。まったく、貴族ってのは世間知らずでいけねえや」
 そう言ってガデスは、また一口、酒を飲んだ。早くもカラに近い。
 この男がにせラディウスだと分かり、ジェラードはアンの話を思い出した。そのときはニセモノのことなど関係ないと聞き流していたが、まさかガデスが自分のことと勘違いして、こちらに刃を向けてくるとは。とにかく、クリスが人質に取られていては、うかつに手は出せない。
「さーて、そろそろ出掛けようか。くれぐれも妙なマネをするなよ。お嬢様はもちろん、他の宿泊客にも危害が及ぶかもしれないからな」
 ガデスはジェラードに釘を刺し、酒瓶を床に捨てて立ち上がった。クリスとジェラードは男たちにはさまれるようにして歩かされる。その背中には短刀<ダガー>が突きつけられていた。
 一行は一列になって廊下を歩いた。幸か不幸か、すれ違う者はいない。そのまま階段にまで到達した。
 このままガデスたちに連れ去られてしまうのかと、ジェラードが歯噛みした刹那、救いの主が現れた。偶然にも、クリスたちへ報告に訪れたアンが、階段を上がってくるところだったのだ。
 アンはまず、クリスとジェラードの姿を認めた。そして、自分が捜している当の人物の顔も。
 一瞬の間があってから、アンの顔が豹変した。燃えるような赤毛が逆立ったようにも見える。
「ガァァァ、デェェェ、スゥゥゥゥゥッ!」
 アンは宿敵の名を叫んだ。ガデスはこめかみをピクリとさせ、苦虫をかみつぶしたような表情になる。
「おいおい、勘弁してくれよ! また、あのネエちゃんか!?」
 ガデスにしてみれば、行く先々に現れるアンは目の上のたんこぶであったろう。舌打ちしたくなるのも当然だ。
 アンは問答無用とばかりに、拳に力を込めると、猛然と階段を駆け上がった。先頭の男が応戦のため、素早く短剣<ショート・ソード>を抜く。
「やあああああああああっ!」
 アンはひるむことなく、ガデスたちに立ち向かっていった。


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