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突如として始まった戦いは、宿屋の客や従業員たちを仰天させた。さもありなん。女性客からは悲鳴が発せられ、運んでいたティーカップがひっくり返って割れる音が入り乱れる。争いを目撃した宿屋の主人は、やめろ、と怒鳴っていた。
しかし、一旦、始めてしまったものを、すみません、とやめるわけにはいかなかった。互いに相手あってのことだ。向こうも攻撃をやめてくれるとは限らない。
アンは短剣<ショート・ソード>を振り上げた男の懐に素早く潜り込むと、そのみぞおちをえぐるようにしてパンチを喰らわせた。男が身体を二つ折りにする。あまりにもアンのスピードが速かったため、男は身構えることもできなかった。
たったの一撃で階段を転がって落ちていく男に目もくれず、アンは上にいるガデスをキッとねめつけた。ガデスは舌打ちする。階段を上がって、わずかに後退した。
「このアマァ!」
二人目が問答無用に斬りかかって来た。得物はやはり短剣<ショート・ソード>。アンの頭上を薙いだ。
今度の相手は、さすがに仲間がやられるのを見ていたせいか、アンの動きに気を配っていた。大振りをしてこない。その隙にガデスは、他の手下に命じて、クリスとジェラードを二階へ引き戻す。
セレブが宿泊する大きな宿屋ということを考えれば、下へ降りる階段はここ以外にもあるかもしれない。もし、そうならば逃げられてしまう。
アンは、そうはさせじと速攻で目の前の相手を片づけることに決めた。攻撃の隙を突いて、左へ高く跳びあがる。
そのアクションは相手を幻惑させた。一瞬、アンが階段から飛び降りたように錯覚したからだ。しかし、それは早計というものだった。アンの足は階段の手すりに着地し、それを再び蹴って、右脚のキックをならず者の頭に浴びせる。アンの空中殺法が鮮やかに決まった。
二人目も階段を転げ落ちた。これで敵はガデスを含めて三人。だが、向こうには人質となっているクリスとジェラードがいる。
「ガデス、人質を放せ!」
アンの目が怒りに燃えてガデスを射抜いた。アンの執念深さに、さすがに豪胆なガデスも舌を巻く。
「しつこいねえちゃんだな! そんなに返して欲しいなら、望みどおりにしてやるよ!」
ガデスはおもむろにジェラードを引っ立てると、その背中を突き飛ばした。老執事のひょろりとした身体が階段を踏み外したような格好でアンの方へ倒れてくる。
「――!」
アンは目を瞠った。アンが受け止めてやらねば、ジェラードは階段を転げ落ちてしまうだろう。かといって、いくら男勝りな武術を体得しているアンも、自分の方に向かって落ちてくるジェラードの身体をしっかりと受け止められる自信はなかった。
しかし、考えている暇はない。頭よりも先に身体の方が動いた。
アンは自ら前へ飛び込むようにしてジェラードを抱き止めた。ちょうどジェラードを押し倒すような形になる。とっさの判断であったが、こうでもしなければ女の力では男の体を受け止めきれず、二人とも落ちていたかもしれない。もっとも、階段への転倒は免れなかったが。
「ぐほっ!」
アンに上から覆い被さられ、ジェラードは目を白黒させた。老体にはきつい転倒だったろう。背中の階段が全身に激痛をもたらしたに違いない。
「ごめんなさい!」
一応、ジェラードを助けたのではあるが、アンは反射的に謝罪を口にした。
「チッ! うまくしのぎやがったか! ――おい、行くぞ!」
ガデスは人質のクリスとともに、手下を率いて二階の奥へと引き返した。アンはさらに追うべく、起き上がりかける。その下でジェラードがうめいた。
「大丈夫ですか、ジェラードさん!?」
「わたくしのことよりも、クリス様を……」
「分かりました! 必ず助けます!」
背中を強打したジェラードをその場に残し、アンはガデスたちを追った。
廊下を折れて逃げたガデスたちは、すでにアンから見えなくなっていた。アンは焦る。走るスピードを上げた。
曲がり角に差しかかったとき、突然、目の前に短剣<ショート・ソード>の切っ先が飛び込んできた。アンは反射神経よく、ブレーキをかけて、かろうじてそれを躱す。一歩間違えれば、顔をザックリだったろう。アンは心臓が口から飛び出るかと思った。
それはアンが追ってくることを見越した待ち伏せだった。仕留め損ねたガデスの手下が廊下の曲がり角から姿を現す。そして、不意討ちにひるんでいるアンへ、さらに斬りかかった。
「やあっ!」
男の短剣<ショート・ソード>が正面から突き出された。それをアンは後ろにひっくり返って避ける。足が滑ったか、先ほどの恐怖心にすくんだか。そう男は思ったはずだ。しかし、そのどちらでもなかった。
背中から倒れ込んだアンは、その勢いのまま倒立の体勢に持っていった。両脚はちょうど剣を突き出した男の腕を挟み込む。そのトリッキーな攻撃に、男は驚愕した。
男の腕をからめとったアンは、倒立した身体をひねった。グキッという嫌な音がして、男は短剣<ショート・ソード>を取り落とす。多分、折れたはずだ。アンはそのまま一回転するようにして起き上がると、苦痛に顔を歪める男の顎に下から頭突きをかまし、昏倒させた。
「ふぅ」
これで残るは二人。アンは休む間もなく、先を急いだ。
廊下をいくらも行かないうちに、今度は大剣<グレート・ソード>を抜いたガデスが待ち構えていた。もう一人の手下とクリスは先に行かせたようだ。アンは、とうとうガデス自ら出張ったかと、やや緊張した面持ちになった。
対するガデスは不敵に笑っていた。大剣<グレート・ソード>を肩に担ぎ、身体を揺らすようにして、ゆっくりと近づいてくる。アンは斜に構えを取った。
「まったく、あいつらもだらしがねえ。ねえちゃん一人に手も足も出ないとはな。――だが、威勢がいいのもここまでだ、ねえちゃん! オレの強さは骨身にしみているだろ?」
アンはハダル村でのことを思い出していた。右腕の傷は癒えたはずだが、まるで痛みがよみがえってくるようだ。あのとき、酔っぱらいだと侮ったせいもあるが、この巨大な大剣<グレート・ソード>を軽々と扱うガデスに歯が立たなかった。しかもガデスは大剣<グレート・ソード>を鞘から抜いておらず、明らかに手加減していたと思っていい。今度は勝てるのか。アンの闘志は揺らぎそうになった。
そんなアンを見て取ったか、ガデスは不敵な笑みを浮かべ、ずいっと前に出た。アンは頭を振って、雑念を振り払う。ひるんだら、勝負する前から結果は目に見えている。
「はああああああああああっ!」
自分を鼓舞するように、アンは腹の底から声を絞り出した。今、クリスを救えるのは自分しかいない。そのためにガデスを斃さねばならなかった。
アンは正面からガデスに挑んだ。どの道、そんなに広くない廊下で、回り込むことは不可能。ガデスもそれを待ち構えていた。
ガデスは肩に担いでいた大剣<グレート・ソード>を両手に持つと、それを横薙ぎに払った。ブゥン、とうなりをあげ、風が巻き起こる。
だが、廊下という狭い場所で振り回すには、大剣<グレート・ソード>という武器はあまりにも大きすぎた。切っ先が廊下の壁に触れてしまう。それは戦う場所を考慮に入れなかったガデスのミスに思えた。
「――っ!?」
ところが、ガデスには廊下の狭さなど関係なかったのである。驚くべきことに、大剣<グレート・ソード>は壁に当たって止まるどころか、強引に斬り裂いてしまう。切っ先のスピードもまったく衰えなかった。
大剣<グレート・ソード>が壁を引き裂き、アンの眼前に迫った。アンは右へ跳躍する。初めからガデスの攻撃が来ると予測していた動きだ。相手の攻撃がないと見誤ってはいない。
床を蹴ったアンは、その右側にあった廊下の窓の桟をも蹴り、ガデスの攻撃を回避しながら、ガラ空きとなった頭を狙った。廊下の天井は横幅に比べて高い造りになっていることが、アンの味方をする。
この三角飛びの攻撃はガデスの不意を討ったはずであった。アンはガデスの顔面めがけ、左の脚を振り抜く。ところがガデスは、突然、足がもつれたようにふらつき、反対の壁側に身体が流れた。そのせいで、アンの必殺の一撃は空振りに終わる。
「おっとととっ!」
ガデスがよたつく巨体を持ち直そうとするのを、アンは着地ざま、後ろを振り返って見た。ガデスの足は左右交叉するようにちぐはぐに動き、そのまま廊下の壁に背をつける。そして、硬い表情のアンに、下卑た笑い顔を向けた。
「へへへ、久しぶりに上物の酒を飲んだせいか、ずいぶんと酔いが回っちまったようだな。おかげで、ねえちゃんの蹴りを掻い潜れたわけだが」
ガデスの言っていることは、本気とも冗談とも判断しかねた。単なる偶然なのか。それとも酔ったように見せている芝居なのか。
いずれにせよ、ガデスは一筋縄でいかない相手だ。アンは気を引き締めた。
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