[←前頁] [RED文庫] [「勇者ラディウス」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]
「ここです」
ローラが案内したのは、ラーズの街でも有名な高級宿屋だった。ここに今回の仕事の依頼人であるクリスが執事のジェラードと一緒に逗留しているのである。昼間の聞き込みが終わったら、一旦、依頼人への報告を兼ねて、ここで落ち合おうと、アンと決めていたのだ。とはいえ、ローラには特に報告できるようなことはなかったが。
「アンもここへ?」
半日だけ、ローラと一緒に聞き込みをしていたケインは、気まずそうな表情を浮かべた。きっとアンは、単独行動を取って、朝からの聞き込み調査に加わらなかったケインの顔を見たら、ガミガミ言うに違いない。それを思うと、ケインは気が滅入った。
そんなケインの心の内を知ってか知らずか、ローラは明るく、ええ、と答えると、宿屋の中に入ろうとした。仕事の一環だとは申せ、半日、想いを寄せるケインと一緒にいられたことは、この藍色の髪の少女を幸せな気持ちにさせていたのである。その足取りはケインと違って軽かった。
ところが、宿屋に入る間際、悲鳴と叫び声がして、中から数名の客とおぼしき男女と、宿屋で働いている給仕とが飛び出してきた。只事ではない。ケインは一人の給仕の腕をつかんで、事情を尋ねようとした。
「どうした!? 何かあったのか!?」
顔色の青い給仕は引き留められたことに抗おうとしたが、しっかりと腕をつかんだケインから逃げられないと分かると、仕方なく喋った。
「どうしたもこうしたも、いきなり剣を抜いた男たちが赤毛の女の子に斬りかかって――」
赤毛の女の子。ケインとローラは、間違いなくアンのことだと思った。
「お客の女の子が剣を抜いた男たちの人質になっているみたいだったわ! 本当に、こんな恐ろしいことがここで起きるなんて! 私、この店、辞める!」
最後の方は二人とも聞いていなかった。給仕を解放し、ケインはさらに客が逃げ出してくる宿屋を見やる。
「女の子を人質……」
「ひょっとしたらクリス様が!? どうなさいます、ケイン様!?」
「どうしたも、こうしたも……」
ケインは素早く考えを巡らせた。そして、決断する。
「よし、ローラはここで様子を見ていてくれ。オレは裏から回ってみる」
「アンは!? 中で争っているのがアンだったらどうしましょう!?」
不安そうな顔をローラは浮かべた。給仕によれば、アンらしき赤毛の女の子が応戦中だという。男たちの人数は不明だが、相手は武装している。果たして、アン一人でどこまで保つか。
「一応、拳法をかじっているアイツなら大丈夫だろう。ムチャさえしなければな」
余計なひと言をケインは付け加えた。それが心配なのだが。しかし、ケインはアンの無事を信じているようだった。
「じゃあ、行ってくる!」
「お気をつけて」
ローラに見送られ、ケインは宿屋の裏口へと回った。さすがに大きな建物だけあって、ちょっとした距離を走らされる。幸い、裏口と見られる扉はすぐに分かった。
ケインが裏口を開けると、女の子の声が聞こえた。
「お願いです! 離して!」
「ええい、大人しくしていろ! ケガしても知らねえぞ!」
続いて聞こえたのは男の怒声。ケインはとっさに足音を忍ばせた。
階段を下りてくる、複数の足音がした。ケインはそれを二人分と聞き分ける。人質と犯人だ。
二人が階段を降り切ったところで、ケインは姿を現した。いきなりのことに、男はギョッとする。人質に刃を向けていることも忘れてしまった様子だった。
ケインは固まった犯人の男に対し、素早く動いた。まず、右腕を伸ばし、人質の首に押し当てられた短刀<ダガー>を持っていた犯人の手首をつかむ。ケインがひねりあげると、男は悲鳴をあげて短刀<ダガー>を取り落とした。
「痛てててててっ!」
「女の子を人質とは、男の風上にも置けないヤツだな」
ケインはあきれたように言った。さらに手首をひねってやると、男は苦痛にうめき、人質の女の子を離す。女の子はパッと裏階段に隠れるようにした。
人質が解放されたのを確認し、ケインは男を突き飛ばした。戸口に身体をぶつけ、男はよろめく。その相手にケインは当て身をくれた。
「ぐっ!」
ケインは剣を抜くことなく、男を気絶させた。男は戸口で伸びてしまう。
「さあ、これでもう安心だ」
ケインは人質になっていた女の子を見た。女の子は熱っぽく潤んだ瞳で、命の恩人を見つめる。ケインは怪訝な顔をした。
「あれ? キミは……?」
見覚えのある顔だった。それも、つい最近。
すると女の子――クリスは、いきなり困惑気味のケインに抱きついた。
「ああ、あなたこそ、わたくしのラディウス様ですわ!」
ギュッと首の後ろに両腕を回されたケインは、クリスの身体を抱き止めながら目を白黒させた。
よっこらせ、とばかりに、ガデスは寄りかかっていた壁から身を離した。そして、重そうに大剣<グレート・ソード>を構えかける。その足は、まだヨロヨロしていた。
「さあ、オレ様をやるなら、今がチャンスだぜ。どうした? かかって来なよ」
ガデスは誘いをかけた。足と同じく、剣先も揺らいでいる。廊下の真ん中で対峙するアンは逡巡した。
一見、ガデスは酔いが回っているかに思えた。足取りがおぼつかない。だが、アンの攻撃を避けてみせたことを考えれば、それが単なる幸運がもたらした結果と鵜呑みにすることは危険に思える。こちらを油断させるための演技かもしれないと用心する必要があった。
「どうした、来ないのか? ならば、オレから行くぜ!」
まるで前に倒れそうになるのをこらえるかのように、ガデスはアンの方へ踏み出してきた。その目は瞼も重たげに、膝は砕けそうになりながら。剣の構えなど、まったくなっていなかった。
しかし、アンは踏み出せなかった。ガデスの動きが本物か否か見極めなくてはならない。なにせ、ガデスの大剣<グレート・ソード>は一撃でアンを両断する破壊力を秘めている。ひとつのミスが命取りだ。
酩酊状態のようなガデスの動きは、アンにとって予測不可能だった。ガデスの身体が急に沈み、思ってもみなかった角度から剣が繰り出される。アンはそれを後方へ退くことで回避するしかすべがなかった。
「そらそら、酔っぱらいの剣が怖いか?」
大振りの剣がアンを追い詰めていった。スピードなど、最初の一撃に比べれば、はるかに落ちている。普通なら掻い潜れない攻撃ではない。
だが、アンは迷いを捨てられなかった。戦いに雑念を持ち込んでは勝てるものも勝てないと分かっているはずなのに。ただ唇を噛みながら、ガデスの攻撃から逃げるしかなかった。
――こうしている間にもクリスは。
クリスのことも気がかりなことのひとつだった。焦りが迷いを増長させる。やはり、この男には勝てないのかと悔しくなった。
そこへ――
「おっと、苦戦か?」
突然、かけられた声に、アンの耳がぴくりと動いた。この世で、一番聞きたくない声。その瞬間、イライラだけが募り、頭に血が昇る。
「うっさい!」
まさか、これがアンの雑念を払うことになろうとは。
さらに、この緊迫した場面で、まるであいさつのように発せられた気軽な言葉は、同時にガデスをも反応させた。背後からの声。それも聞き覚えがある。つい、そちらが気になってしまった。
その刹那、アンが自分の間合いに飛び込んだ。一瞬ではあるが、ガデスの動きが止まったせいである。ガデスがアンに再び意識を向けたときは、眼前に拳が迫っていた。
「ちぃぃぃっ!」
パンチをもらう寸前、ガデスが頭だけを横に振ったのはさすがだった。アンの鉄拳を紙一重で躱す。攻撃は耳元をかすめ、チリッという灼けるような痛みだけを残した。
ガデスは大剣<グレート・ソード>を振るって、アンを遠ざけた。そうしておいて、割り込んできた声の主を振り返る。
「貴様か!」
「よぉ、勇者殿」
裏から二階に上がってきたケインは、にせラディウスのガデスをからかった。ガデスの表情が険悪になる。アンと戦っていたときには見せなかった顔だ。
ケインはすでに長剣<ロング・ソード>を抜いていた。その表情には笑みさえたたえているが、戦いの準備は万全だ。
今まさに、ハダル村の再戦が開始されようとしていた。
[←前頁] [RED文庫] [「勇者ラディウス」TOP] [新・読書感想文] [次頁→]