←前頁]  [RED文庫]  [「勇者ラディウス」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→


勇者ラディウスの墓標

−2−

「あれぇ、ドナさんは?」
 日も高く昇った昼頃、のこのこと起き出してきたケインは、テーブルに自分の朝食が用意されていないのを見て、その場にいたアンとローラに尋ねた。
「出かけたわよ」
 と、素っ気ない返事をしたのはテーブルについていたアンである。外出しているドナの一人娘であり、この家の主だ。居候同然のケインに対し、常々、出て行ってもらいたいと思っている。
 そんなアンの突っけんどんな態度にも構わず、ケインは寝癖を気にしながら、空いている椅子に自分も座った。
「ふーん。ドナさんも忙しいんだな」
 ケインはあくびを噛み殺しつつ、のんびりと言った。頭の中では、腹減ったなぁ、何を食べようか、とそんなことを考えながら。寝起きで、まだぼんやりとしていた。
「あのねえ――」
 いちいち気の障るケインに、アンのこめかみはピクピクと動いた。テーブルをバンと叩き、立ちあがる。
「母さんが出かけたのは、何か仕事がないかと探しに行ったからよ。忙しいんじゃないの! 暇すぎて、こちらから営業をかけないといけないくらい家計が逼迫しているの!」
 仕事がなければ収入もないわけで、母娘の他にローラとケインを住まわせている共同生活は破綻寸前だった。そういうことに気の回らないケインは、アンに言われて、ようやく気づく。
「ああ、そう言えば、オレもドナさんから給料をもらったことないなぁ」
 それでも食事はさせてもらっているし、ベッドも用意されている。ケインが過ごすのに、何の不自由もなかった。これがまた、アンを苛立たせる要因だ。
「アンタはしばらく仕事もしてないでしょうが! 給料なんて払えるわけないじゃないの! まったく、働きもしないで、食べて飲んでは昼まで寝ていられるんだから、王様もうらやむようなご身分ねえ!」
 それほど寛大な心の持ち主でもないアンは、とうとう堪忍袋の緒が切れた。自分が竜<ドラゴン>だったら、ケインを黒焦げにするまで、ファイヤー・ブレスを吹きかけていただろう。
「まあまあ、アンも落ち着いて。仕事がないのは、ケイン様のせいじゃないんだし」
 どことなくケインにホの字なローラは、居候の剣士をかばった。アンがケインにケンカをふっかけると、いつも仲裁に入るのがローラだ。
 こちらは同じ居候でも、妹のように可愛がっているローラのこと。アンも、うるさい、と一喝することはできなかった。それでも腹立たしさは治まらない。
「ちょっと、アンタも暇だったら、少しは仕事を探してきたらどう!? 何も受けた依頼を果たすばかりが仕事じゃないでしょ!?」
「何で、オレがそんなことを」
 剣士としては有能ながら、その他のことはからっきしなケインは、露骨にイヤな顔をした。何の当てもなくラーズの街を歩き回って、仕事を見つけられるわけがない。
 すると、アンは腕組みをして、冷やかにケインを見下ろした。
「何なら、アンタのこと、ミハイロフ家に売ってもいいのよ?」
 ミハイロフという名を聞いた途端、ケインの顔は青ざめた。思い出したくもない記憶がよみがえる。
「あのクリスって子、未だにご執心のようじゃない。あれから手紙も途絶えないんでしょ? 『どうか勇者様、私と結婚してください』って」
「ば、バカ! あいつは男なんだぞ!」
 想像するだけで悪寒を覚えるのか、ケインは震えあがった。
「でも、一緒になれば将来のロイヤル候になれるかもしれないわよ。流浪の剣士からカリーン王国でも指折りの貴族へ大出世! いい話だと思うけど」
「お前なあ、他人をからかうのも大概にしろよな」
「だって、ここにいても給料は出ないんだし、あの“男お嬢さま”に惚れられている今がチャンスよ。そうすれば、私たちにもわずかばかりの支度金が支払われて、この苦しい生活から脱出できるかもしれないし。これでみんなが幸せになれるってものよ」
「………」
 アンなら本気で考えていそうだと思い、ケインは黙り込んだ。ここで自棄を起こして、自分からロイヤルへ行く、などと言い出さないか、見ているローラはハラハラする。
 やおら、ケインは立ちあがった。
「ケイン様、どちらへ!?」
 ローラが緊張した面持ちで尋ねた。
「仕事を探してくる……」
 空腹のまま、かなり情けない心持ちで、ケインはうなだれながら出かけて行った。
 ケインがいなくなってから、アンはしてやったりと満足な表情を浮かべ、椅子に腰を下ろした。ローラは、そんなアンを睨む。
「言い過ぎですわ、アン」
「そう? 私は真っ当なことを言ったつもりだけど」
「ケインさんがいなくなったら、どうするんですか!? 今まで、どれだけケインさんに助けられたことか」
 ローラは力説した。だが、アンはそっぽを向く。
「あいつがいなくたって、何とかなるわよ。それまでだって、ちゃんとやっていたじゃない」
「でも、ケインさんがいなければ、私はブードの手先に捕まって、今頃、どうなっていたか分からないんですよ。アンだって、にせラディウスにやられそうになったことがあるでしょ?」
「あ、あれは、ちょっと油断して……」
 いつになく強い口調でローラに責められたのと、思い出したくもない屈辱を掘り起こされて、アンは珍しく劣勢に回った。普段のローラは見た目の通りに大人しいが、それでも芯の強いところがある。彼女の持つ信念には、さすがのアンも敵わない。
「あのときだって、助けてくれたのはケインさんです。私たちの仕事には危険が付き物。だからドナさんだって、ケインさんを仲間に加えたんですよ。もしもケインさんがいなくなってしまったら、私たちは仕事を続けていけなくなってしまうでしょう」
「分かった、分かった! 私が悪かったわよ、ローラ」
 アンは両手をあげて、降参の意を示した。ローラは言っているうちに興奮したのか、ちょっと顔を赤くしている。アンが納得してくれたようで、ひとまず安心した。
「――それにしてもローラ」
 アンはローラに意味ありげな視線を投げた。やはり、やられっぱなしというのは、彼女の性に合わない。
「随分とあいつのことになると熱くなるのねえ。何か他に理由があるのかしら?」
 アンに勘繰られて、ローラは赤面した。無意識にスカートをギュッと握り、うつむいてしまう。
「べ、別にそんなことは……私はただ、ケインさんの力が必要だと思っただけで……」
「ふーん、ホントにそれだけ?」
「それはどういう……?」
「ローラはあいつのことが好きなんじゃないかって、以前から思っているんだけど。だって、何であいつが『ケイン様』なのよ?」
 アンに指摘されたローラは、今すぐにでも白魔術師<メイジ>になって、部屋の中を闇の精霊<シェイド>で覆ってしまいたかった。聖魔術<ホーリー・マジック>は使えるのだが。
「そ、それは……だから……えーと、その……つまり、私はケイン様に助けていただいたから……それが、その……尊敬という意味で……ついつい、何となく……」
 ローラはしどろもどろになり、答えにならない言葉を喋った。自分でも混乱してくる。そんなローラの様子を見て、アンは楽しんだ。
「別に誤魔化さなくたっていいじゃない」
「ご、ご、誤魔化すとか、誤魔化さないとか、そういうのではなくて……ただ、その……何と説明すればいいのか、自分でも分からないわけで……」
 ローラがケインのことを好きなのは、その慌てっぷりを見ているだけで分かった。ローラの恋愛に関しては、もちろん友達として応援してやりたいのだが、その相手がケインだということには、アンはどうにも引っかかりを覚えてしまう。もうちょっとマシな男を選べばいいのに、と思わなくもない。確かにケインは優れた剣の腕前を持っていて強く、顔も――黙ってさえいれば――それなりに二枚目だと言えるだろう。しかし、アンからすればデリカシーに欠ける点が甚だしく、どうしてローラがそんな男に惚れるのか、理解に苦しんだ。
 あまりローラをからかっても可哀そうなので、この辺で勘弁してやろうかと思った矢先、玄関からドアがノックされる音がした。アンは出て行ってみる。待ちに待った仕事の依頼だったら有り難い。
「はい、どなた?」
 アンが玄関のドアを開けると、そこには黒い修道衣を着た女性が立っていた。その地味な色合いの服装は陰気さを覚えるが、その修道女<シスター>は笑顔で、アンの顔を見た途端、およそらしくない嬌声をあげる。アンは目を丸くして驚いた。
「アン!」
「ケイト? ケイトなの?」
 シスター・ケイトは修道女<シスター>という慎み深い身でありながらも、大胆な感情表現を見せてアンへ抱きついた。アンもその身体を抱きしめる。二人の抱擁は久しぶりだった。
「半年ぶりかしら?」
「ええ! ケイト、よく来てくれたわ! 会いたかった!」
「私の方こそ! アンが変わりなく元気な様子で安心したわ!」
「とにかく中へ入って。こんなところで立ち話もなんだから」
 アンはシスター・ケイトを中に招き入れた。
「お客様?」
 玄関の様子が気になって、奥からローラが出てきた。
「うん。私の修道院時代の親友。シスター・ケイトよ」
「こんにちは」
 ケイトは初対面のローラに挨拶した。
「もう、いきなり来るんだから、ビックリしちゃった! ケイト、その辺に座ってて。今、お茶を出すから」
 だが、シスター・ケイトは首を横に振り、それを辞退した。
「ううん。アン、あまり時間がないの。すぐに戻らないと」
「やっぱり、戒律の厳しい修道女<シスター>さまはお忙しいようね」
 アンはからかったが、向けられているケイトの顔は真剣だった。口調もそれに応じて改まる。
「アン、私はあなたに仕事を頼みに来たの」
「仕事を?」
 そのときようやく、アンもケイトの深刻さを悟った。


<次頁へ>


←前頁]  [RED文庫]  [「勇者ラディウス」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→