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勇者ラディウスの墓標

−3−

 玄関先で立ち話をするわけにもいかず、結局、シスター・ケイトは奥へと通され、ローラがお茶を入れた。アンとケイトはテーブルを挟む形で向かい合っている。およそ半年ぶりの再会を喜んだのも束の間、シスター・ケイトが訪問した事情は単なる懐かしさからではなかった。
「実は、一人の修道女<シスター>が失踪したの」
 出されたお茶に口をつける間もなく、ケイトはそう切り出した。
「失踪?」
 聞き捨てならない言葉に、アンは眉根を寄せた。ケイトはうなずいて、先を続ける。
「一昨日の朝、シスター・メリーの姿がないことに、同室のシスター・アグネスが気づいたのよ。みんなで捜してみたけれど、彼女はどこにもおらず、ただ礼拝堂の中に折り畳まれた修道衣だけが残されていたの。彼女の靴はなくなっていたので、メリーは寝間着姿のまま、どこかへ消えたということになるわ」
 アンはローラが出してくれたお茶をすすりながら、上目遣いで話すケイトの顔を見ていた。ケイトはアンよりひとつ上の十六歳だが、彼女自身、両親と死別した六歳の頃から修道院で暮らしてきただけあって、年下に対して面倒見がいいことはよく知られている。いなくなったというシスター・メリーも、その一人だったのだろう。ケイトの顔はとても心配そうだった。
「メリーはまだ修道院に入って半年くらい――ちょうど、あなたと入れ替わりで入って来た娘で、年も十二歳と幼いわ。同室のアグネスの話だと、最近、故郷のお父さんがご病気になったそうで、とても心配していたということよ。そのことから、シスター・マチルダは勝手に故郷へ帰ったのではないか、と判断して、それ以上の捜索をしなかったのだけれど、私はそうじゃないと思うのよ。だって、いくらなんだって、寝間着姿のまま、故郷へ帰ろうとするなんて、普通はしないと思わない?」
「ふーん、シスター・マチルダがねえ」
 懐かしい名前が出て、アンは修道院時代を思い出した。
 シスター・マチルダというのは四十を過ぎた古株の修道女<シスター>で、若い修道女<シスター>たちを指導・教育する役目を担っている。アンも修道院時代は、このシスター・マチルダに何かと目をつけられていて、門限破りや無断外出をしては叱られ、厳しい懲罰を受けていたものだ。そんな修道女<シスター>の資質が疑われるアンに対し、最後通牒を突きつけ、修道院から破門を決めたのもシスター・マチルダである。いわばアンにとっては、天敵とも呼べる存在であった。
 ついつい、背の高いシスター・マチルダが鷲鼻をツンと立て、怒りを押し殺したような冷めた目で自分を見下ろす場面を思い起こし、自然とアンの顔はしかめられた。そんなアンの様子を見て、ケイトはプッと吹き出す。
「アンにとっては、聞きたくもない名前だったかしらね」
「まあねぇ。向こうも私を追い出して清々しているだろうけど」
「何言ってるの。あれはあなたが悪いんでしょ? とにかく、修道院の戒律を無視した行動ばかり取っていたんだから」
「そうは言うけどね、ああも、何でもかんでも、規律、規律、規律の毎日じゃ、息がつまっちゃうわよ! だから、ときどき息抜きが必要だったんじゃない」
「ときどき?」
 どの口がそんなことを言うのかと、ケイトは目を見張った。過去のあらゆる悪行を知られている友人には敵わない、とアンはそこでトーンダウンする。
「んーと、しばしば……?」
「ほとんど毎日のように、の間違いでしょ!」
 ケイトは声を立てて笑った。アンはかつてのルームメイトの笑顔を見て、自分もつらてしまう。
「でも、ケイトだって私と一緒に修道院から抜け出して、遊んだことがあったじゃない! それも一度や二度じゃなかったはずよ!」
「あーら、私はシスター・マチルダからお目玉をもらったことなんて、一度もありませんけれど」
 しれっと言うケイトに、アンは歯噛みした。
 確かに、ケイトはアンと違って、模範的な修道女<シスター>であった。しかし、それは表向きのこと。アンほどではないにしろ、彼女だって何度か戒律を破って、外出したことがある。だが、ここからがアンと違うところなのだが、どういうわけかケイトは立ち回りがうまく、悪さが露見しないのだ。いつも罰を受けるのはアンであり、ケイトは他の指導者たちから深く信頼されていた。
 だからといって、アンはそれを恨みに思ったことは一度もない。今でもケイトは親友の一人だと思っているし、こうしてアンを頼って来てくれたことからしても、彼女も同じ想いでいてくれることは確かめるまでもなかった。
「あのぉ、お話が逸れてますけど……」
 すっかり脱線してしまったアンとケイトに、お盆を抱えたローラが遠慮がちな言葉をかけた。二人はハッとする。今はいなくなったシスター・メリーのことの方が重要だ。
「そうだったわ。それでケイト、私に頼みたいことって――」
「うん。シスター・メリーを捜してもらいたいの」
 やはりか、とアンは真顔に戻った。ケイトも深刻な顔つきになる。
「シスター・マチルダは故郷に帰ったのだろうと言っているけど、もしそうじゃなかったら、あの娘は――シスター・メリーは誰かの助けを待っているかもしれない。そういう予感というか、胸騒ぎがして仕方がないのよ。だって、置き手紙もなしで、寝間着姿のまま故郷へ帰ろうだなんて、誰が思うかしら? それに、どうして彼女の修道衣が礼拝堂に置かれたままになっていたのかしら? 何もかもが説明のつかないことばかり。あまりにも不可解なことが多過ぎて、一人で里帰りしたとは楽観できないのよ。私もこうやって買い出しで街に出た機会には、誰かメリーの姿を見た人はいないかと尋ね歩いてみたんだけど、収穫はゼロ。――アン、あなたは『何でも屋』をやっているって聞いたわ。人捜しもしているんでしょ?」
「ええ。そういうこともしているわ」
「シスター・マチルダには内緒で、官憲にも訴えようとしたけど、正式な捜索願が必要だと言われたわ。そうなると私の一存では出来ない。マザー・ジャクリーンか、シスター・マチルダの許可がいるわ。もう、頼るのはあなたしかいないの! お願い!」
 ケイトはまるで創造母神アイリスへ祈るように、アンにすがるような目を向けた。アンは、一も二もなくうなずく。これは親友の頼みであり、後輩の身に関わることなのだ。例え、報酬がなくても引き受けるつもりになっていた。
「分かったわ。私に任せて。メリーはきっと捜し出してみせる!」
 アンはケイトの手を自分の手で包み込むと、力を入れて、うなずいて見せた。
「ありがとう!」
 親友の快諾に、ケイトはようやく表情を和らげた。
「アン……」
 ローラが不安げな様子で、アンを見つめていた。アンには、その理由がなんとなく察せられる。ローラは自分とシスター・メリーのことを重ねているに違いなかった。
 一年前、ローラもまた寝間着姿で倒れているところをアンに助けられたという経緯を持つ。しかもローラには、それ以前の記憶がまったくなく、自分がどうしてそんなことになったのか分からないのだ。
 その頃、アンはまだ修道院の修道女<シスター>見習いであった。アンはローラのことを母ドナに託し、暇を見つけては、彼女の身寄りを捜したりもしたことがある。アンが夜な夜な修道院を抜け出していたのは、そういったローラのためであった。その結果、度重なる無断外出がバレて、とうとう破門されてしまったが、そのことに関しては少しも後悔してはいないアンであった。
 メリーの身に何があったのか。それが問題であった。ケイトが言うように、自分で外へ出たと結論づけるには、寝間着姿のままというのが引っかかる。普通に考えれば、誰かに連れ去られた可能性が思い浮かぶが、その場所が修道院という、普段から外の世界とは隔絶されたところでの出来事だ。今のケイトのように、食材の買い出し等で限られた外出はするものの、ほとんど修道院の中に引きこもっているような状態で、外部からの侵入も考えづらい。
 だが、メリーは消えた。どこへ? そして、なぜ?
「やっぱり、まず調査をするのは修道院の中ね。メリーはそこで消えたのだから」
「えっ?」
 アンの言葉が意外だったらしく、ケイトは思わず声に出していた。てっきり、メリーの行方を追うべく、ラーズの街で聞き込みでもしてくれるのだろうと思っていたようだ。
「何よ、そんな顔して。調査の基本は現場へ赴くこと、でしょ? 現場である修道院へ行かないでどうするのよ? 特に怪しいのは礼拝堂ね。そこにメリーの修道衣があったということは、彼女がそこを訪れていた可能性があるわ」
「ほ、本気で修道院に乗り込む気?」
「もちろんよ!」
「無理よ! そんなのできるはずないわ!」
 ケイトは首を横に振った。修道院の中は、男性はもちろんのこと、女性でも聖職者<クレリック>でなければ入れない。ましてや、アンは破門された身だ。昔のよしみなど通用するようなところでもない。
 しかし、アンは不敵な笑みを浮かべた。
「そんな顔しないでってば。何も正面から扉を叩くつもりはないわ。これでも厳しい監視をくぐりぬけ、何度も修道院を抜け出しては戻っている実績があるんだから。昔取った杵柄ってヤツよ」
 アンは太鼓判を押した。だが、ケイトは頭痛でもするのか、こめかみを押さえながら、自信たっぷりなアンの顔を不安げに見る。
「……あなた、そうやって何度、シスター・マチルダに見つかったと思っているの?」
「うっ!」
 痛いところを突かれて、アンは沈黙した。


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