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勇者ラディウスの墓標

−6−

 シスター・マチルダは寝台の上に横になっていたが、まんじりとも出来ずにいた。
 元々、眠りはそれほど深い方ではない。常に何かしらの問題について考えなければいけないからだ。そういう立場にシスター・マチルダはある。ゼルダ修道院の長はマザー・ジャクリーンであるが、実際には高齢の彼女に代わって、それを補佐しているシスター・マチルダが統括していた。マザー・ジャクリーンは修道女<シスター>たちの指導者としては、仁徳もあり、とてもふさわしいが、それだけでは国や他の教会から独立した運営をしている修道院を守っていくことはできないからだ。その点、シスター・マチルダには、そのような実務をこなす能力があった。マザー・ジャクリーン自身、そのことに関してはシスター・マチルダを頼っているといってもいいだろう。必然的にシスター・マチルダの仕事量は多くなっていった。朝早くに起きて、夜も修道女<シスター>たちの就寝を確認してから床に就くというのが日課だ。ぐっすりと安心して眠ることなど、彼女の性格からも考えられなかった。
 しかし、もしも彼女の隣に誰かがいたら、熟睡しているに違いないと勘違いしたであろう。シスター・マチルダは眠れないからといって、遅くまで起きて、神書を読むようなことはしない。戒律に従って、ベッドに身を横たえるようにしている。そうしていても眠気に誘われることは稀なのだが、かと言って苦し紛れに寝返りを打つようなことはしない。心静かに横たわり、ジッと目を閉じるだけ。起きているときはもちろんのこと、夜、こうして一人でいるときも、シスター・マチルダは強靭な意志で自らを律していた。
 それでも昨夜、久しぶりにかつての教え子の顔を見たときは、驚きを表に出さぬよう苦労したものだ。もちろん、アンのことである。まさか彼女が修道院に忍び込もうとは。それも昔とまったく同じ手口を使って。もう二度と会うことはあるまいと思っていたのだが、今になって考えてみれば、このようなことも予測しておくべきだった。
 アンが修道院に忍び込んだのは、シスター・ケイトに頼まれて――彼女に問い質しても、認めはしなかったが――、シスター・メリーの失踪を調査するため。
 どういうわけか、二人は落ちこぼれと優等生という対照的な間柄のはずなのに、初めて会ったときからウマが合う仲だった。アンとケイト。マザー・ジャクリーンは二人を姉妹のようだと評したことがある。シスター・マチルダには、とても理解し難いことであったが。ともあれ、シスター・ケイトがメリーの身を案じた末、アンを頼るというのは考えられぬことではなかった。
 昨夜はああやって追い返すことに成功したが、あの問題児アンのこと、簡単に諦めたとは思えない。修道院時代も、毎日のように厳しい懲罰を課せられても、門限破りや外泊をやめなかった兵<つわもの>なのだ。あの程度でへこたれることなく、どうにかシスター・マチルダを出し抜いてやろうと意欲満々に違いない。ただでさえ色々な問題を抱え込んでいるというのに、これでシスター・マチルダの心配事がまたひとつ増えたことになる。
 どうしたものかと、しかめ面で考えていたそのとき、いきなり枕元で鈴の音が鳴った。楡の木に仕掛けておいた侵入者を知らせる鳴子だ。シスター・マチルダはむくりと起きあがった。
 修道衣に着替えながらも、シスター・マチルダは今夜の訪問を訝った。すでに鳴子のことはアンに明かしてある。楡の木を侵入経路に選べばこちらに気づかれることくらい分かっているはずだ。にもかかわらず、あえて同じ手口を用いるとは、血の巡りがかなり悪いとしか言いようがない。
 部屋から廊下へ出、楡の木のある中庭に向いながら、シスター・マチルダはアンが何を考えているのか、さっぱり分からなかった。一瞬、これが何かの罠かとも疑う。だが、仮に楡の木へ注意を惹きつけるという策略にしても、その隙を突いて他のところから侵入できなければ意味がない。シスター・マチルダが知る限り、侵入経路は楡の木のみのはず。そこにしても、アンのこれだけは誇れる抜群の身体能力がなければ外に張り出した枝に飛びつくことも出来ないはずで、何も用いずに修道院の塀を乗り越えるのは、さしもの彼女にも不可能のはずだ。
 どうせ、侵入してからどこかに潜伏し、こちらをやり過ごそうとでもいう魂胆なのだろう。もし、そのような甘い考えでの再侵入ならば、シスター・マチルダも軽んじられたものだ。絶対に見つけてみせる。シスター・マチルダは無言で誓った。
 外へ出てみると、ちょうど中庭を横切る人影があった。てっきり礼拝堂に向かうものと思っていたのだが、そちらは反対側の方向だ。シスター・マチルダは息を吸った。
「性懲りもなく、また忍び込んだのですか!」
 鋭いシスター・マチルダの声に、人影はギクリとしたように立ち止った。そのおかげで、侵入者の容姿が露わになる。
 次の瞬間、いつも無表情の仮面をかぶっているはずのシスター・マチルダが、初めて驚愕の表情を浮かべた。
「だ、だ、誰ですか!?」
 それはアンではなく、見知らぬ若い男であった。軽そうな革鎧<レザー・アーマー>に、腰には長剣<ロング・ソード>も帯びている。
「いけね! 見つかった!」
 剣士風の若い男はぺろりと舌を出すと、すぐさま駈け出した。修道院の寄宿舎がある方へ。
「お、お待ちなさい!」
 外部の人間――それも立ち入りが厳に禁じられている男が侵入するとは、さすがのシスター・マチルダも想定していなかった。百五十年以上を誇るゼルダ修道院の長い歴史の中で、このような不祥事はない。シスター・マチルダはパニック状態になりながらも、すぐに男の後を追った。
 寄宿舎には貞淑な修道女<シスター>たちが数多くおり、今も何も知らぬまま眠りに就いているのだ。なんとしても彼女たちを侵入した男の毒牙から守らねばならなかった。



 そんな騒ぎが中庭で起きている頃、アンは礼拝堂近くの塀の上で中の様子を窺っていた。どうやら囮役を引き受けたケインがうまくシスター・マチルダを惹きつけてくれているようだ。これなら簡単に忍び込めそうだと、アンは塀の外でこちらを見上げているローラに合図の手を振った。
 それを確認したローラは、よろよろと危ない動きながら、大きな音を立てぬよう注意して、長い梯子を塀から外した。まさかシスター・マチルダも、このように大胆な手段に訴えてくるとは想像もしていなかったに違いない。あとは身軽なアンのこと、二階分はありそうな塀から飛び降りることなど造作もないことだった。
 こうして難なく礼拝堂へ忍び込んだアンは、昨夜と同じく、祭壇のロウソクを一本拝借し、中を調べ始めた。シスター・メリー失踪の手掛かりを捜して。
 暗い礼拝堂の中をただ一本のロウソクの明かりを頼りに調べることは、気が遠くなりそうなほど地道な作業の積み重ねだった。床は冷たく、四つん這いになった姿勢のせいで、段々と膝が痛くなってくる。それに、いくらケインが囮になってくれているとはいえ、アンがここにいると気づかれてしまっては、せっかくの作戦も台無しになってしまう。そのため、外にいる人間に気取られぬよう、どうしても慎重な行動が要求された。
 とは言え、元来、そのような根気のいる作業を苦手にしているアンのこと。さしたる発見も成果も出ない調査は、さほど時間が経過せぬうちに集中力を奪っていった。次第に雑念が多くなり、作業も大雑把になっていく。
 そのうち、昼間、ケインの言っていたことが思い出された。シスター・メリーの失踪には、ひょっとすると修道院の誰かが関わっている可能性が高い、という話だ。かつての同じ釜の飯を食った仲間を疑うのはアンにとっても気が引けたが、ケインが指摘した通り、内側からの手引きなしに、外部犯だけで何ら証拠を残さず、人をさらうというのは難しい。今回ばかりはケインの言うことを認めないわけにはいかなかった。
 そうなってくると、一番に怪しいと思える人物はシスター・マチルダだ。何もアンの心象の悪さだけが原因で言うのではない。シスター・メリーがいなくなったことに対し、シスター・マチルダは早くから無断で里帰りしたのだと決めつけ、捜索しようともしなかったからだ。それにアンが礼拝堂を調べようとすると、何か都合の悪いものを発見されることを恐れでもするかのようにやめさせた。なぜなのか。そのような疑問が浮かんでくると、シスター・マチルダ犯人説以外に説明ができないのではないかと思い込み、余計に怪しさが膨らんでいった。
 そのうち、これはシスター・マチルダを絞め上げて吐かせた方が早いのでは、とアンは思い始めた。無論、言うほど簡単なことではない。シスター・マチルダは、その年齢と外見から、まず初対面の人間は騙されるが、名にし負う修道女<シスター>たちが学ぶ体術の師範クラスだ。その実力は、一対一で手合わせして、彼女から一本を取れる人間が少ないことからも分かる。アンも修道院時代はシスター・マチルダから教えを受け、元々の格闘センスと恵まれた身体能力から体術を得意としているが、おそらく本気でやり合っても、何回かに一回くらいしか、彼女に勝てないだろう。シスター・マチルダはアンの前に立ち塞がる師範という高い壁であり、そして天敵なのだ。
 肝心の調査がおろそかになっていると、外から足音らしきものがアンの耳に聞こえた。ケインの囮が失敗し、シスター・マチルダがここへ駆けつけてきたのだろうか。アンはロウソクの火を吹き消し、長椅子の下に身を伏せた。
 礼拝堂に誰かが入って来た気配がした。アンは見つからぬよう息を殺す。中へ入って来た誰かは、しばらく入口のところで立ち尽くしていたが、やがてロウソクの明かりがある祭壇へ向かった。
 アンはちょっとだけ顔を上げて、誰が来たのかを確かめた。
「ケイト」
 それはアンの親友のシスター・ケイトだった。夜中だというのに、いつものように黒い修道衣を着ている。
 声をかけられたシスター・ケイトは、一瞬、ギクリとしたようだったが、相手がアンだと分かり、ホッとした様子になった。
「アン、来てたの?」
「もちろんよ。私があれくらいで尻尾を巻いて逃げますかって!」
 アンは胸を張った。ケイトは頼もしい親友に笑顔を見せる。
「ありがとう。それで何か分かった?」
「うーん、それが……」
 途端にアンは申し訳なさそうに頭を掻いた。芳しくない返答に、ケイトもやや落胆する。
「そう……」
「でも、絶対に見つけてみせるよ。約束する。――ところで、ケイトはどうしてここへ?」
「私はここでシスター・マチルダが待っているという手紙をもらったので」
「シスター・マチルダが?」
 変な話だ、とアンは思った。ケイトと話したいなら、何もこんな夜遅く、礼拝堂に呼び出す必要はないだろうに。誰か他の人に聞かれたくない話なのだろうか。それなら自分の部屋に呼び出せば済むはずだ。
「どんな用件だか見当がついているの?」
「うん」
「シスター・メリーのこと?」
 すでにアンが忍び込んだのは、ケイトから頼まれたためだと見抜いているシスター・マチルダのことだ。手を引かせるよう、釘を刺すくらいは考えられる。
「それは夕方にも言われたわ。納得できなかったけど」
「当り前よ。大体、シスター・マチルダの言っていることはおかしいって」
 シスター・マチルダがメリーの失踪に関わっているかもしれないことは黙っていた。まだ確証がない以上、軽々しく話せない。
「私もシスター・マチルダの言動が気にかかるの。でも、この呼び出しは別の用件だと思うわ」
「別の用件?」
「ええ。多分、私の――」
 ケイトが言いかけたとき、再び誰かがやって来る気配がした。近づいてくる靴音に、二人は顔を見合わせる。
「ひょっとして、今度こそシスター・マチルダ!?」
「アン、隠れていて!」
 言われるがままに――いや、言われなくても、アンはまた床に伏せた。見つからないことを祈る。それにしても囮だったはずのケインは何をやっているのだろう。
 礼拝堂の扉が開くと、誰かが入って来たようだった。這いつくばっているアンからは顔を確認できない。しかし、ケイトの顔だけは見ることができた。
 そのケイトの顔が強張った。
「ど……」
 ケイトが何かを言いかけた刹那、突然、礼拝堂の中が真っ暗になった。


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